悪とはなにか / テリー・イーグルトン(ビジネス社)絶対的な不条理を前にして|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

絶対的な不条理を前にして

悪とはなにか
出版社:ビジネス社
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私たちは新聞やテレビのニュースなどで、しばしば次のような場面に出くわす。殺人事件が起きた。すると有識者なる人が出てきて、犯罪者の経歴を説明する。家庭環境や周囲からの偏見、社会のひずみなど様々な「原因」説明によって私たちは納得する。なるほど、こうして犯罪が起きたのかと。

しかしこうした説明は全て嘘である。因果関係による納得は、自分の理解できる範囲に事件を位置づけ安心しているだけに過ぎない。テロや大量殺戮、何より自然災害における「意味のない死や殺人」――ここには一切の因果関係も理由も正当化も何もない。ただ残虐と死が横たわるだけだ。なぜこんなことが起きるのか。まさしく「悪魔」の所業ではないのか。

著者のイーグルトンは、練達の文藝批評家に相応しく、博覧強記と分裂を孕んだ飛躍した文体で「悪魔とはなにか」に挑む。訳者・前田和男は原著に漲る躍動に憑かれ、日本語で見事に再現することに成功している。テロリストの凶行を見て驚く時、私たちはまだ人間を信頼している。彼らを人間ではなく、悪魔だと見れば何をしでかそうと驚かないからだ。フロイトの「死の衝動」とマルクスに依拠しながら作者は小説の登場人物のなかに、悪魔の特徴を発見してゆく。

本書の白眉をなすのは、やはり『マクベス』論であろう。作中登場する三人の魔女たちの奇怪な行動と心理に、悪魔を知る手掛かりが隠されている。社会の安定的な秩序、善悪判断を彼女らは全てひっくり返して見せる。逆説を弄び、きれいはきたない、あるものは無いと言ってみせる(105頁)。彼女らの快楽には、目的も野心もない。社会を善くしたいという善意は微塵もない。つまり魔女という肉体をもった老婆は、実は「虚無」の化身だったのだ。私たちの心の中に巣を食っている虚無、無目的が人間の姿となって表れているのである。

さらにイーグルトンは、日本で言えば坂口安吾のように道化師に注目する。道化師もまたこの世の価値を否定し、嘲笑し、破壊によってのみ溜飲を下げる。魔女と道化師に共通する心理を、次のような衝撃的な言葉でまとめてみせる「大量虐殺したくなる『他者』とは、通常は、何らかの理由で心中に恐るべき虚無があること明らかになってしまった人たちである…『他者』を絶滅させて卑猥なる快楽を得ることで、人は自分自身が存在していることを唯一確信できる」(130頁)。こうして悪魔の考察は、テロ、大量虐殺、無差別殺人といった私たちがテレビや新聞を通じて目撃する人間たちの犯罪心理を明るみにだした。それは因果関係やありきたりの原因説明とは全く異なる衝撃的なものだ。虚無が、すなわち何もない存在が、それでもなお自己の存在証明のために死の周囲に群がる。

こうした悪は、最終的にこの世が善に支配されるための階梯に過ぎないのだろうか。『失楽園』や『カラマーゾフの兄弟』を使った第三章の内容は、読者のために取っておくことにしよう。(前田和男訳)
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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