【横尾 忠則】生老病死の宿命背負ってどう生きたの? 仏陀さん|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの向こう側
2017年3月17日

生老病死の宿命背負ってどう生きたの? 仏陀さん

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2017.3.6
 明日パリを発って帰国するけれど一週間後再びパリに戻ってくる。「その時には赤飯を炊きましょう」と知らない年輩の女性が言うという夢を見る。

次の夢は今日、帝国劇場に音楽劇「マリウス」を観に行くが昼食時間がないので車の中で食べるアンデルセンのサンドウイッチを用意して、と徳永に頼む。夢の通りのサンドウイッチを持って劇場に行くが、楽屋でお弁当を用意してもらったのでサンドウイッチは食べずに持ち帰るが、現実がそのまま夢をなぞったに過ぎない。

ところで「マリウス」に郵便屋さんになって出演している北山雅康さんは山田映画には必ず端役で出る常連俳優さんなんだけれど、いつもその存在が空気みたいにファーとしているので個性の強い存在の役者の中ではその存在は消えてしまい勝ちだが、その非存在性が他の存在の強い役者を逆に食ってしまう存在に変るのである。楽屋でその人から以前ぼくに会ったことを覚えてくれていて声を掛けられたので、「アゝ、郵便屋さんですね」と言うと力いっぱい嬉しそうな笑顔を返してくれた。その笑顔には非存在的な自分を認識してくれている人がいたんだという喜びが溢れていた。

2017.3.7
 小学校に向う椿坂で同級生と合流する。誰かがザリガニを持っていたのでぼくはその生きたままのザリガニを口の中に放り込んだ。友達を驚かす目的でやったんだけれど腹の中に入ったザリガニが胃の中で暴れ出したので痛くなった。胃液で溶けるまで時間がかかりそうだ。大変なことになったと思ったところで目が覚めたが、それでもまだ痛みが残っていた。

台湾に続いて今度は中国から「芸術ウソつかない」の翻訳出版のオファーが来たが、昔の本だから今読むとウソばかり書いているような気がする。次は「芸術はウソをつく」という本を出すべきかな。

夜、頭が痛くなったので時間外だったが隣の水野クリニックで診てもらう。いつも先生に会うだけで治ることが多い。

2017.3.8
 歌舞伎座の近くの食堂で休憩していると、猿之助(現猿翁)さんが数人の方と店に入って来られた。「イヤー、お久し振りですね」と握手を交して、ぼくのテーブルに腰を下されて、海外の人達との交友関係の話題になった。ぼくは高校時代にエリザベス・テイラーにファンレターを出したら彼女から返事が来て、彼女が来日した時に会いました、とこんな話をする夢を見るが夢の内容は事実のまま。どうも最近の夢は夢特有のウソがなさ過ぎて面白味がない。
デヴィッド・ボウイ大回顧展「DAVIDBOWIEis」
寺田倉庫G1ビルにて (撮影・徳永明美)
2017.3.9
 朝日新聞の仕事でデヴィッド・ボウイ展を見に行く。早い死を予知したかのようなボウイは自分に関する膨大なコレクションによって自己伝説化的遺作展を計画した。病気を患う前から彼が最もやりたかったことの実現だったので彼はきっと満足していることだろう。ロック界のスーパースターは自らスター意識が強いために、そのエネルギーによって運命的に短命である。そのなか彼等のほとんどが死に懐かれる。そんなボウイは死に憧れていた。

2017.3.10
 キャンバスの前で考えることと考えないことが同時に起こることがある。そんな時は自分からはみ出した作品ができる。どうにでもなれという捨て身が自然に自分の存在を消したがるようだ。

昨日から谷崎潤一郎と内田百閒と江戸川乱歩のかつて記憶にある面白かった短篇を読み直している。どの作品も醒めない夢を見ているようだ。醒めないまま終るような作品は芸術とは呼べない。醒めた瞬間に芸術が立ち上る。

2017.3.11
 昨日と似たりよったりの一日。

2017.3.12
 音楽劇「マリウス」の初日が明けたので演出の山田さん久し振りに増田屋へ。役者でも消える役者がいるそうだ。忍者のような存在だろうか。能のシテはある意味で消える存在でもある。いていない存在になれるのはよほどの名優であろうか。郵便屋役の北山さんは消える存在ではないが、観客は彼に気を止めない。郵便屋という職業はもともとどこへでも出入りできるので、気に止まらない存在。ぼくが十代の頃本気で郵便屋さんになろうと思っていたのは目立つ格好をしているにもかかわらず目立たない存在であるということに興味があったのかなあ。とそこまでは考えなかったけれど。

現在絵を描きながら誰の絵だかわからないような絵を描きたいと思うことはどこかでこの郵便屋思想と結びついているのかも知れない。

運動不足を解消しようと思って散歩に出かけようとした時北沢さんから電話があったので野川のビジターセンターで会うことに。彼の家から自転車で数分。この間亡くなった長友啓典君に近い人なので彼のことを訊く。長友君は一月十五日にゴルフをして、終って食事をしたものの味覚が全然ない。味がさっぱりわからないというので病院に行ったら、もう手遅れだったそうだ。人間は生老病死からは逃れられない。三島さんみたいに老病のない人は別として、この当り前の道理を宿命的に背負ってどう生きたんですか、と仏陀さんに訊くしかないのかな?
2017年3月17日 新聞掲載(第3181号)
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