リブの息吹きと情報への“プロ根性”を発揮したフェミニズムのミニコミ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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書評
2017年3月17日

リブの息吹きと情報への“プロ根性”を発揮したフェミニズムのミニコミ

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あごら九州編


あごら 雑誌でつないだフェミニズム

第一巻 斉藤千代の呼びかけと主張 Ⅰ
第二巻 斉藤千代の呼びかけと主張 Ⅱ
第三巻 人と人とを繋いで 雑誌『あごら』の四十年


♪私は女、私の叫びを聞いて/無視するには大きすぎる数の

ヘレン・レディのポップス曲「I am Woman」が流れていたのは、一九七二年の高校一年の時だった。同時期、「AGORA」という「広場」の意のギリシャ語を知った。『あごら』という女性の女性による女性のための雑誌によってだ。新宿の模索舎、神保町の地方・小出版流通センターのみならず、新宿紀伊国屋書店でも見たように記憶する。

既に七〇年のウーマンリブ集会、七一年のリブ合宿に呼応して、久野綾子が主宰する雑誌『おんなの叛逆』が出ており、七二年創刊の『あごら』は、翌年創刊の『女・エロス』と並ぶリブの論壇誌・情報誌・投稿誌だった。
田中喜美子が『わいふ』を引き継ぐのが七六年、松井やよりが『アジアと女性解放』を発刊するのが七七年、半田たつ子による『新しい家庭科We』の発行が八二年。七七年創刊の、メジャーな出版社から出版された『わたしは女』(JICC出版局)やアメリカ帰りの渥美育子が主宰する『フェミニスト』は、そのデビューが華々しくメディアで扱われたもののあまり巻を重ねることなく消えていったのに対し、大資本を持たない『わいふ』『アジアと女性解放』『We』は形を変えて現在も地道に出続けており、『あごら』も二〇一二年まで刊行されていたから、女性たちの「持続する志」には頭が下がる思いだ。

電子メールやSNSといったコミュニケーション・メディアも、ウェブサイトによる情報メディアも、各自治体の女性センターもなく、NGOやNPOということばもない時代。他グループの活動や仕事の情報、他の女性たちの意見、最新の理論と資料などに飢え、理不尽な会社に対する抵抗で孤立し、大学や地域で意見を率直に言っては浮き、男との恋愛や性に煩悶し、結婚生活における性別役割分業に懊悩していた女たちは、これらのミニコミによって勇気づけられ、学び、投企し、自らの性と生を解放していった。中でも一九六四年、斎藤千代が、女性のクリエイティブな力と社会のニーズを結びつける情報の流通のために、BOC(バンク・オブ・クリエイティビティ)を起業したことを嚆矢とし、七二年二月から二〇一二年九月までの四十余年、総計三五九冊を刊行して多くの執筆者と読者を擁したフェミニズム運動雑誌が、この『あごら』なのであった。

本書は三分冊で構成されており、第一巻と二巻は「斎藤千代の呼びかけと主張Ⅰ・Ⅱ」と題する扉を掲げて斎藤千代の論考をセレクトし編年で再録、第三巻は「人と人を繋いで
雑誌『あごら』の四十年」と扉に記して、テーマごとに『あごら』の記事を紹介・解説している。三巻付録の年表「『あごら』とその時代 1972年~2012年」を入れて、総ページは一〇六〇ページと大部になる。抄録集および解題からなる本書は、「読み物」としても「記録」としても、貴重な編著として、今後フェミニズム研究および雑誌やミニコミ研究にとって有用な書となるだろう。

『あごら』創刊号は、A5判九〇ページ、二〇〇円。ガリ版刷りの当時のミニコミではなく、活版印刷で二〇〇〇部も発行する本格的な雑誌で、当時「マス」と「ミニ」の間を取って「ミディコミ」と呼ばれた。女性の労働をテーマとした七二年創刊号の執筆者たちには、松谷みよ子、三枝佐枝子、田中喜美子、赤松良子、影山裕子、梶谷典子、青木やよひなどそうそうたる顔ぶれが並んでいる。本誌、サブ媒体『あごらミニ』、別冊特集などを刊行ののち、八三年からは月刊誌として、九二年から不定期刊となって、その間に斎藤千代個人の編集・発行から運営会議が、八九年からは企画会議と拠点交流会議が、それぞれ編集を受け持ち、「BOC出版部」が発行所となって刊行されてきた。

雑誌としての特徴は三つある。一つは、数百人にのぼった全国の読者会員に、毎月の例会の案内などハガキ通信を送付していたことである。写植で打つと一二〇〇字入るというハガキ通信は、今でいえばメーリングリストやHP、ツイッターなど電子メディアの役割を果たし、本誌よりも小回りが利き、集会や学習の情報に飢えていた女性たちのニーズを満たし、ネットワークづくりをもたらした。

二つめは、編集・発行形態のユニークさである。地方に拡がった読者会などの「拠点」が、編集を担当するようになって、東京の事務局のほか編集を担当した拠点は、あごら新宿を筆頭に、あごら九州、東海BOC、あごら札幌など、全国二五カ所近くにのぼる。

そして三つめは、原典主義・データ主義とでもいうべき資料の厳密性である。法律、法案、判決、条約、議事録、要望書など、インターネット検索のなかったあの当時、収集するだけでも大変だったろうが、それが多くの女性たちの理論的バックボーンを手助けした。

まず、雑誌の四〇年をたどった第三巻からひもとくと、第一章は「総合情報誌『あごら』創刊」と題し、創刊時からのテーマである「女性が働くこと」と「主婦」に関してが冒頭にくる。また本誌の終生のテーマとなる、「女と法」「女と教育」「女と結婚」「女と生涯教育・生涯学習」「女と戦争」「女と情報」の六つの主題が各号にそって解説され、さらに「女性解放運動」と「産む・産まない・産めない(リプロダクティブヘルス/ライツ)」についての論考が紹介されている。既に七〇年代にフェミニズム、ジェンダーをめぐる今日的課題が網羅されていることに驚かされる。

第二章「国際婦人年との邂逅」は、七五年のメキシコ会議、八〇年のコペンハーゲン会議、八五年のナイロビ会議、そして九五年の北京会議と二〇〇〇年のニューヨーク会議までの国連主催世界女性会議について、本誌の記事や活動について記述されている。

第三章「真の雇用平等を求めて」は、七九年の「私たちの男女雇用平等法をつくる会」結成の前後から、八五年に成立した「男女雇用機会均等法」に至る流れを本誌にそって追い、「均等法後」の運動やセクシュアルハラスメント訴訟などについても詳説し、『あごら』の大事なコンセプトである「女性と労働・雇用の平等」について、問題提起を行っている。

第四章「平和の課題を受けて立つ」は、本誌のもう一つの主要テーマである「女性と戦争」について、沖縄、安保、アジアへの加害、PKO、9・11、イラク戦争、改憲などの問題を扱った論考が整理されている。残念ながら本書では充分な紹介がなされていないが、原発や3・11の特集もしばしば本誌で組まれていたことを付言しておこう。

そして、最後の第五章「仕事の流儀」は、『あごら』の活動や運営を振り返り、中でも先述した「原典主義を貫く資料」、そして「小さな記事から見える女性の実像――新聞切抜帖」に、情報誌としてもこだわった本誌の性質がよくみてとれる。昨今のネット上のいい加減な情報とはわけが違う、「情報に対するプロ根性」が感じられる。

このように、第三巻はリブ以降3・11に至るまでの戦後の女性運動史としても読むことができ、編者たちの力に敬意を表したい。

さて、第一巻・二巻の斎藤千代の論考は、『あごら』に掲載された全部で六〇〇あまりの中から八四編がチョイスされ、七二年の創刊時から二〇一二年の休刊時までを七つに分けて、再録されている。時評集・同時代論集としても出色で、これらの文章に通奏低音のように流れるのは、女性差別と戦争に対する深いアンチの信念と、弱者に寄り添おうとする広いシンパシーの感性である。数多く例示したいがそれは禁欲し、情報に関して言及している文を一つだけ引用しておこう。《情報活動もフェミニズムの一端として必要ではないか、と思ってきたのは、私は女の問題は簡単に言うと「情報の南北問題」と考えているためです。経済秩序同様、情報秩序でも、女は明らかに「南」に位置しています。マスメディアのつくり手は大部分が男で、女は五パーセントにも達していません。しかも情報の流通は「弱肉強食」、権力のある側から弱い側に流れます。南側の「女」の情報が、もっともっと流通してもいい、そして女自身がもっともっと情報の発信者になる必要がある、という状況は、まだまだ続くと思います》。

そのような眼でみた時、ネット情報やネットコミュニケーションのツールである電子メディアは、現代の、次世代の、オルターナティブな「AGORA」たり得るか。このところの女性状況を見回してみると、自分をあたかも家電製品のごとくモノ化して自分の「トリセツ」を男に示すか、「逃げ恥」のように男を雇用主、女を従業員とする婚姻関係に開き直るかしている。『あごら』と同時期に生まれたヘレン・レディの詞が示した「抵抗の主体」は、ネット時代にどのように醸成されるのか、大きな課題だ。

♪私はずっと床に這いつくばらされてきた/誰にも二度とそんなことさせやしない/私は女/私は不屈/私は強い
2017年3月17日 新聞掲載(第3181号)
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