マルクス経済学の方法と現代世界 / 伊藤 誠(桜井書店)〈原理〉と〈方法〉が問われる時代へ  マルクス経済学の独自性、系統的に解きほぐす|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. マルクス経済学の方法と現代世界 / 伊藤 誠(桜井書店)〈原理〉と〈方法〉が問われる時代へ  マルクス経済学の独自性、系統的に解きほぐす・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年3月17日

〈原理〉と〈方法〉が問われる時代へ 
マルクス経済学の独自性、系統的に解きほぐす

マルクス経済学の方法と現代世界
出版社:桜井書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
経済学の基礎理論と方法論―『資本論』の経済学とそれにより学問的根拠が与えられる唯物史観―という視座からみれば、マルクス経済学の独自性と潜勢力は他学派(古典派・新古典派、ケインズ派、新リカード派やオーストリア学派など)と顕著に異なっている。社会科学としての経済学が市場経済にもとづく資本主義経済の自己認識の歩みを体系的に解き明かす学問として発達してきたその経緯に照らせば、「資本主義」論こそ経済学のコアであろう。それなくして資本主義をこえうる「社会主義」論の基盤もない。マルクスの経済学はそれら両方に立ち向かえる唯一の学問的体系といってよい。

当該著書は「現代世界の資本主義と社会主義の双対的危機の考察に活かす道を模索する試み」(4頁)をあらためて推進すべく、歴史としての未来を切り拓く政治経済学の方法(論)とその役割・射程を説き及ぶ作品である。入門書とは言い難いが、著者の思索を繰り返し論じ直す筆致と展開構成のおかげで奥行きある密度の濃い仕上がりになっている。著者はマルクス経済学とそれにもとづく作品を多数世に問うてきたが、本書はこれまでの諸作品の総括というより新たな再省察を重厚に加えた問題提起の一著だ。

本書を通じて提示される論点はきわめて多岐に及び、全4章を唯一の観点から直線的には理解しえない。マルクスの経済学と宇野理論の「方法(論)」の詳細な再検討から氏が何を汲み取り(第1・2章)、それを資本主義と社会主義をめぐる根深い「双対的危機」の多面的理解と打開策にどう活かしうるのかを広く問い直す後半の第3・4章は現代的関心を強く喚起させられる。その際にとくに着眼すべきは、宇野『経済原論』(岩波文庫、2016年)の「解説」で、「宇野が示唆していたように、現状分析にはいったん原理論は考慮の外において、といってはいられない思いがつのる」という氏の見解であろう。

それはまた、「資本主義市場経済の原理論を人類史的な観点のもとに読みなおし、再考すること」(124頁)があらためて要請されているという、本書全体を貫く氏の問題意識を端的に表明している。資本主義市場経済という細胞形態としての商品を起点とする社会経済システム自体が内包する自律的運動法則とその特殊歴史性を客観的で学問的な認識の体系として理解することをめざしたマルクスにおいて、その明確な「方法論」が省略されていることは「いわば方法論の方法が問われるところがある」(64頁)。とはいえ、のちに宇野がマルクスの「経済学批判」の精神を継承しながら豊かな内容をもつ方法論的「序論」を付した新旧『経済原論』を構築しえたように、『資本論』にもとづく経済学の意義と妥当性、その適用の方法について氏は、「歴史としての現代の世界と日本の考察にそれをどのように活かすかをめぐり、われわれに残され続けている課題とみなければならないのではなかろうか」(同頁)と説く。科学とイデオロギーを峻別し、論理と事実に立脚して現状分析を豊富化する原理(論)の位置づけとあり方が双対的危機の時代により強く問われているわけだ。

とくに戦後資本主義の高度成長を支えた現実的諸条件の喪失に起因する、ケインズ主義的政策潮流から「新自由主義的グローバル資本主義」への歴史的転換とその特質を正確に把握することは、「21世紀の新たなオルタナティブ」を構想する認識営為と密接不可分にほかならない(第3・4章)。

すなわち新自由主義的グローバル資本主義は「歴史の終わり」を告げるものではけっしてありえない。高度情報通信技術(ICT)を物質的基盤としながら国際金融市場の(貨幣的)不安定性を助長し投機的バブルリレーをグローバルに連鎖反復させるだけでなく、それはまた労働・雇用条件での個人主義的「合理化」を加速させその劣悪化と不安定性を顕著にもたらしてきている。日本では少子高齢化の速度と深度が増し、将来不安を広く世代間を超え定着させ、「経済生活の原則的基礎をなす人間の再生産自体」(185頁)の実現をいっそう困難にもしている。資産と所得の格差再拡大問題を世界的に再燃させたピケティの一連の主張のコアも1980年代以降の「金融化資本主義」としての新自由主義的諸政策の帰結と軌を一にしている。新自由主義的グローバル資本主義は「歴史の流れを反転し逆流させる反動の時代を螺旋的にもたらしている」(188頁)のであり、「その実績において効率的で合理的な望ましい経済秩序を実現しているとはとてもいえない」(184頁)。現代資本主義の現状分析に対し、「むしろ原理論はいったん忘れて」(175頁)という宇野のスタンスに付随しうる方法論上の障害に配慮しながら、むしろ資本主義市場経済に内在する原理的作用の発現として上記の諸相を把握しようとする論調は含蓄に富んでいよう。

ソ連型集権的計画経済の破綻の教訓を総括し直し、新自由主義的グローバル資本主義に対抗しうるヴィジョンと代替戦略・変革論を再構築することも、『資本論』にもとづく経済学と宇野理論(ことに流通形態論)を活かすことから探究されなければならない。宇野の『『資本論』と社会主義』(1958年)や晩年の法政大学最終講義「利子論」(1968年)における一連の洞察をふまえて氏は、「資本主義社会の本質を完全に知りうるということも、その特殊な歴史性を広い『人類的立場』に立ってあきらかにするという意味になるはずである」(235頁)と述べ、宇野が論じ宿題として残していた多様な社会主義経済モデルの理論的可能性を根拠づける原理・方法論のあり方に踏み込む。

宇野自身による「社会主義への道は決して一つではない」(266頁・285頁)という見解の含みを、ソ連型社会主義崩壊後の現代世界においてわれわれはいかに理解すべきか。社会主義の合理的存立可能性をめぐって争われたマルクス派、新古典派とオーストリア学派間の社会主義経済計算論争や近年の市場社会主義論をめぐって常に問われ続けているのは、経済学の基礎理論の弾力的な活かし方をふくむ「市場経済と社会主義」の関係にほかならず、自由な個人のアソシエーションを標榜したマルクスの社会主義の可能性もまた、そうした原理的考察なしには論じえないだろう。スラッファと宇野による「同時代的な客観価値論の相似的な再建の試み」(253頁)の意義と潜勢力もこうした文脈で注目に値する。そもそも「資本主義をこえる」とは何を意味し、20世紀と異なる「21世紀型社会主義」は何を根本にめざすか、本書における多彩な試論的省察を現代社会主義論の学問的再生の契機としたいところだ。

宇野三段階論の批判的展開の試みや原理論自体をめぐる論争的練り直しがマルクス経済学内部で現在も活発におこなわれているが、「経済学が各専門分野に分化しすぎて、それをつうじる総合的な方法論がむしろ検討されにくくなっている」(137頁)という昨今の経済学の現状を鑑みても、マルクス経済学外部の諸学派との理論的・思想的関係が経済学史や広義の経済学研究を通じて再考を重ねていくことがさらに重要度を増している。本書全体からそうしたメッセージが明確に読み取れ、価値論論争や社会主義経済計算論争をめぐる氏独自の貢献はそのことを強く示唆していないか。

初期の『資本論研究の世界』(1977年)における、「学問としての資本論研究の内実に国境はなかったのである」という文章を念頭に置き、欧米マルクス派のルネッサンス以降、海外の研究者との知的交流を促進してきた氏の資本論研究をめぐる着地点はまだ先にありそうだとの感慨をおのずと抱いた。伊藤誠氏のマルクス経済学講義をまた拝聴したくもなった。本書は著者の思索と論理(の軌跡)を味わい掴みながら精読したい作品である(最新作『資本主義の限界とオルタナティブ』もあわせてぜひ参照されたい)。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月17日 新聞掲載(第3181号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本
学問・人文 > 哲学・思想と同じカテゴリの 記事