ナサニエル・ホーソーン伝 / ランダル・スチュアート(開文社出版)名著の誉れ高い伝記  生涯を克明に追い類い稀な文学者的本質を評価|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年3月17日

名著の誉れ高い伝記 
生涯を克明に追い類い稀な文学者的本質を評価

ナサニエル・ホーソーン伝
出版社:開文社出版
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遠藤周作が一九六六年に発表して谷崎潤一郎賞に輝いた『沈黙』は鎖国初期における隠れキリシタンの悲劇とポルトガル人宣教師の棄教を描き出した作品として名高い。同作品は一九七一年の篠田正浩監督作品から三五年の歳月を経て、名匠マーティン・スコセッシ監督の手によりリメイクされた。発表当時は、折しも日米安保条約その他反戦をめぐって学生運動華やかなりし時代であったせいか、宗教的弾圧の問題が政治的転向の問題と不可分であるかのように評価された記憶がある。しかし、アメリカ文学を研究する者としては、『沈黙』の扱っている島原の乱(一六三七年~ 三八年)平定直後から一六四四年までの時代というのが、まさに一九世紀アメリカ文学を代表するロマン派作家ナサニエル・ホーソーンの第一長編にして世界文学的な名作『緋文字』(一八五〇年)が舞台としたピューリタン異端審問が激越化する時代、すなわち一六四二年から四九年までの時代に重なることを見逃すわけにはいかない。我が国ではキリシタン弾圧がエスカレートしたあげくポルトガル人司祭を仏教徒に改宗させるという暴虐の限りが尽くされていたのとまったく同じ時代に、地球の反対側に位置するマサチューセッツ植民地ボストンでは異教徒を恐れ教会離れを恐れるあまりの異端審問、転じては魔女狩りがくりかえされていたのである。

ホーソーン研究に特化した場合には、さらにもうひとつ重要な時点、しかし作品の盲点に潜む時点に注目せざるをえない。『緋文字』の物語開始時点では主人公へスター・プリンと牧師アーサー・ディムズデイルの道ならぬ恋は娘パールという厳然たる証拠を残して終わっており、かつてヘスターが責め立てられたさらし台のところでアーサーが死ぬ間際の劇的な告白を行いクライマックスを迎えるのだが、そのきっかり二百年後にあたる一八四〇年代、南北戦争以前の激動の時代に、作者ホーソーンはまったく同じマサチューセッツ州にて本書を構想し執筆しているからだ。一六四〇年代のピューリタン植民地と一八四〇年代アメリカ北部とが二世紀の時空を超えて対話的想像力を醸し出した点にこそ、『緋文字』最大の読みどころがある。

もちろん、一九三〇年代から五〇年代まで隆盛を誇ったアメリカ新批評の精読指向からするならば、作品テクストのみを相手にすることこそ肝心で作家やその歴史的背景のコンテクストなどは一切顧みずともよいという姿勢が、我が国の英米文学研究にも濃厚な影を落としてきた。しかし、一九八〇年代以降の新歴史主義批評は、そもそも厳然たる事実の集積と捉えられて来たコンテクスト自体がきわめて流動的なテクスチュアリティを孕んでいたのではなかったかと捉え返す。だとすれば、十七世紀ピューリタン植民地時代を舞台にした物語と、そもそもセイラムの魔女狩りに加担した先祖をもつホーソーン自身が生きた十九世紀アメリカの歴史とがいかに相互交渉し相互影響し合っているかを確認しておかねばなるまい。

折も折、日本ナサニエル・ホーソーン協会会長も務めた丹羽隆昭氏による読みやすい訳文によって、キリスト教の視座に立ったアメリカ文学研究では先覚者たるランダル・スチュアートの名著の誉れ高い伝記『ナサニエル・ホーソーン伝』(一九四八年)が本邦初訳され、まさに初心に還るような思いを味わった。全十一章のうち十章は、作家の幼少期から『緋文字』執筆時期における苦境、ひいては同書を第一作とする四大ロマンスを代表とする諸作品の執筆背景とともに、当時のエマソンやソロー、フラーらを筆頭とする超越主義思想家の共同体との交流や誰よりハーマン・メルヴィルとの深い交友、さらにはイギリスやイタリアで過ごしたヨーロッパ時代や晩年に至るまでを克明に追いかける。そして最後の第十一章「作品集成」ではキリスト教的文脈においてエマソンの楽観主義とホーソーンの懐疑主義が対比され、後者が人生の暗黒面をたえず意識し、悪に対する鋭利な洞察力を備えていたことが、類い稀な文学者的本質として高く評価される。

それでは、『緋文字』執筆時期の苦境とはいったい何か? 作品評価の決め手たる自伝的序文「税関」のペシミズムがヒントを与えるだろう。そしてスチュアートの伝記が如実に明かすとおり、民主党系の第十一代大統領ジェイムズ・ポークの治世においては、ホーソーンは一八四六年に「セイラムおよびビヴァリー地区の輸入品検査官およぶセイラム港の歳入調査官」の官職を与えられ、二人の子供を伴う家庭を支えるにはじゅうぶんな財政基盤を獲得したが、一八四八年には米墨戦争の英雄にしてホイッグ党(現在の共和党の前身)に属するザカリー・テイラーが第一二代大統領に当選し、この政変に伴い税関の仕事を失職せざるをえなくなったのだ。ここで自らのクビを自虐気味に扱う「税関」の筆致は、クロムウェルによるピューリタンの政変によって文字どおりイギリス国王チャールズ一世のクビが刎ねられた事件を彷彿とさせるが、その政変の期間が一六四二年から四九年であったことにかんがみれば、それは『緋文字』の物語が扱う七年間と精密に一致する。同時代の苦境がなければ、ホーソーンが環大西洋的精神史に横たわる「深い時間」に切実に思いを馳せることもなかったろう。しかも同作品で中核を成すマサチューセッツ植民地総督選挙とそれに伴う牧師ディムズデイルの苦境は、まさに執筆時期の大統領選挙の結果がもたらした作家ホーソーン自身の苦境とオーヴァラップする。二一世紀における最近の大統領選がアメリカ合衆国に一定の存在論的苦境をもたらしたとしたら、むしろそれこそは新時代の文豪誕生の予兆たりうることを、この浩瀚な伝記は実感させてくれる。(丹羽隆昭訳)
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2017年3月17日 新聞掲載(第3181号)
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