東京まで、セルビア / 高橋 ブランカ(未知谷)バミューダトライアングルが生み出す物語|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面に掲載された書評
2017年3月17日

バミューダトライアングルが生み出す物語

東京まで、セルビア
高橋 ブランカ(未知谷)
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東京まで、セルビア(高橋 ブランカ)未知谷
東京まで、セルビア
高橋 ブランカ
未知谷
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まず、表題にぎくりとさせられる。小国のちょっとした自虐がこめられていると著者はあとがきで説明するが、セルビア語の「スルビヤ・ド・トキヤ」には、ユーゴスラヴィア紛争期に、セルビアのナショナリズムに寄り添うフレーズとして流布した歴史があるからだ。しかし、『東京まで、セルビア』には凄惨な戦争への言及はない。思い起こせば、ユーゴスラヴィアをめぐる思索のほぼすべてが戦争へと収斂していた九〇年代、それに異議を唱えたのは文学だった。日本で当時紹介された作品のいくつかをあげれば、ミロラド・パヴィチの『ハザール事典』(工藤幸雄訳、東京創元社、九三年)、ダニロ・キシュの『若き日の哀しみ』(山崎佳代子訳、東京創元社、九五年)、イヴォ・アンドリッチの『サラエボの鐘』(田中一生、山崎洋訳、恒文社、九七年)。いずれも、豊かな発想、繊細な抒情、あるいは厳しい自己批判をもって、歴史、宗教、政治に翻弄される人間の生のあり方を探求した作品たちである。軽やかなユーモアと温かな人間観察によって織りなされる本作は、その流れに連なるといえるだろう。

『月の物語』という共通のタイトルをもつ三つの短篇「ハサン湖」「しあわせもの」「赤毛の女」は、それぞれ、ミステリアスな日本人男性、花の名前をもつファム・ファタル、赤毛の女性の人生を描く。「人間」の視点と「月」の視点という二種類の一人称は、文末表現で区別される。人間の語り手は、各篇の主人公にたいしてさまざまな葛藤を抱き、自らの感情と生々しく向きあう。一方、「月」の視線は、すべての人間に等しく温かい。不道徳な行為や、犯罪すれすれの行為に対しても。表裏一体となった二つの語りは、不思議な親しみをともなって、主人公を照らしだす。

レフ・グミリョフの詩をタイトルに持つ中篇小説『選択』は、無神論者のセルビア人女性と信心深いロシア人女性の交流を主題とする。その背景には、ロシア東欧において、宗教がふたたび人々を引きつけているという現実がある。二人の宗教観は異なるけれど、対立しない。たがいを尊重しつつ、理解しあおうとする。こうした態度こそ、人間のあるべき姿ではないか。日記と手紙という構成は古風にみえるかもしれないが、二つの時系列の交錯のなかで、主人公が究極の「選択」にいたるまでの人生が徐々に明らかになる。

著者はベオグラード大学で日本語を学び、日本人と結婚した。ロシア語圏での滞在経験をへて、セルビア語、日本語、ロシア語で書くようになったという。言語の壁を単純に乗り越えるのではなく、「バミューダトライアングル」(あとがき)の渦のなかから、言葉を紡ぎだす。世界文学という言葉が頭をよぎるところだが、そこにあるのは不定形であいまいな「世界」ではない。著者のなかに広がる、セルビアから東京までの確かな空間によって育まれた、彼女だけの文学である。たとえばそれは、ベオグラードという土地に、NATO軍の空爆の傷跡以外の記憶を植えつける。この本を読んだあなたが、もしもベオグラードの目抜き通り「ミハイル公爵通り」に足を踏み入れることがあれば、はっと目をみはるようなワンピースを着た女性をついつい探してしまうことだろう。その後ろ姿についていけば、あなたも新しい世界のドアにたどりつくかもしれない。
2017年3月17日 新聞掲載(第3181号)
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