第10回(池田晶子記念) わたくし、つまり Nobody賞 表彰式開催|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
哲学からサブカルまで。専門家による質の高い書評が読める!

▲トップへ

  1. 読書人トップ
  2. ニュース
  3. 受賞
  4. 第10回(池田晶子記念) わたくし、つまり Nobody賞 表彰式開催・・・
受賞
2017年3月24日

第10回(池田晶子記念)
わたくし、つまり Nobody賞
表彰式開催

このエントリーをはてなブックマークに追加
 3月3日、東京都新宿区の日本出版クラブ会館で、第10回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞の表彰式が開催された。本賞は作品に対してではなく、賞の趣旨にふさわしい人物に与えられるもので、今年は政治学者(アナキズム研究)の栗原康氏が選ばれた。

主催者である「NPO法人わたくし、つまりNobody」理事長の伊藤實氏は、「10回目の今年はとびきり若々しくて元気な表現者を授賞することになった。『村に火をつけ白痴になれ 伊藤野江伝』(岩波書店)は大変な名作だが、この本のあとがきは日本語で書かれたあとがきの中で史上最も恥ずかしいあとがきだと思っていたら、最新刊『死してなお踊れ 一遍上人伝』(河出書房新社)の「はじめに」はもっとすごかった(笑)。
いずれも赤裸々に恥ずかしく、言葉は大胆で表現も率直ではあるが下品ではない。池田晶子の言葉と同質のものを感じた」と受賞者とその著書を紹介したのち、「池田晶子が亡くなって今年で10年、生前の著者を知らない読者にとっては言葉だけが問題になる。
言わば著者の姿かたちをあらわす皮や肉がなくなって骨だけとなった言葉、誰のものでもない言葉がこれから読者に試されていく。
そうした時間のふるいの中で残っていく言葉、強い強靭な言葉だけが我々の中の一種の古典としてよみがえってくるのではないか。
池田晶子の言葉もそうした著作物の歩みの端緒についたのではないか。
どこまで読まれ続けられるかわからないが、そのようにして新しい読者と出会い、鍛えられ、あるいは試されていくのが言葉の運命」と語り、さらに、「日本語の言語空間、特に言論の世界が非常に息苦しくなってきて、とりわけこの1年は加速しているように思えてならない。
偽りの言葉が横行し始めている日本の言論空間。
今こそこれまでのしがらみにとらわれない若い方々が登場してきて表現や言論の世界で大いに活躍していただきたい」と受賞者への期待とその前途を祝した。
その後、昨年の受賞者・武田砂鉄氏からの祝辞と正賞の贈呈に続く受賞のことばで栗原氏は、「日本で一番恥ずかしい文章を書く栗原です(笑)」と会場を沸かせた後、「僕が哲学思想などに関心を持ったのは高校生だった95年、96年頃。
埴谷雄高さんがものすごく好きで、池田晶子さんと埴谷さんの対談本を読んで池田さんに憧れの念を抱いていたので、この賞をいただけるのは本当に嬉しい」と語り、「自分で自分を祝うのはヘンなんですけど、一遍上人の本を出したばかりなので」と趣味の詩吟を朗々と吟じた。
会場からは、割れんばかりの拍手が贈られた。続いて、選考委員の田中尚史氏から受賞理由が述べられ、「栗原さんがこれからどういう革命を起こそうとしているのかわからないが、どんどん我々を踊らせてくれるような新しい表現に向かってくれることを期待して、この賞を贈りたい」と激励した。
その後、栗原氏の受賞記念講演が行われた。式では、栗原氏の著作を担当した各出版社の編集者からワイン詰め合わせ(1本は栗原氏の生まれ年の1979年の白、もう1本は『大杉栄伝』刊行の2013年の赤)の贈呈、株式会社豊島屋から鳩サブレーの大箱の贈呈なども行われ、盛会のうちに受賞者を囲んでの懇親会へと移行した。

■「授賞理由」と栗原氏の記念講演「こん棒をもった猿の群れ なにから盗むべきか」の抄録はこちら
2017年3月24日 新聞掲載(第3182号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本