原発事故から六年 「震災復興よかったです。首相がんばれ」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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論潮
2017年4月11日

原発事故から六年 「震災復興よかったです。首相がんばれ」

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東日本大震災から六年、論壇界でも風化が進む。だが『世界』四月号特集「原発事故に奪われ続ける日常」は別だ。まず(1)~(3)を見よう。「政府、国会事故調」が「踏み込まず」、「日本中のメディア」が「隠ぺいに手を貸した」「重要案件」を。

(1)東京電力は「津波地震の可能性に関する長期評価を取り入れ」、「新指針を踏まえた安全性の再評価」たる「耐震バックチェックを終える計画」だったのに、元副社長の「武藤栄氏」が「方針を変更し」、「チェックを何年も先送りし」た(海渡雄一「吉田調書は何を提起したか」)。裁判の「最大のポイント」だ。「第一原発は全国の原発の中で最も津波に脆弱」と指摘されてもいた。「一五メートルの津波」も「想定されていた」。武藤氏は「原発事業の最高責任者」だ(齋藤誠氏、後掲)。田辺文也氏によると、武藤氏は「原子炉の安全部門を歩んできた人」で、事故時に「テレビ会議などを通じて」「指示することが可能だった」のに、「指示や介入をまったくしない」(田中三彦、田辺文也、海渡雄一、澤井正子「原発事故の反省を共有するために」)。「有罪とすべきは明らかです」(海渡氏「吉田調書」)。市民による「検察審査会」で「強制起訴」となったが、当初「地検」は二度「不起訴処分」とし、「政府事故調」も「事実経過」を「隠した」。国家ぐるみで隠蔽だ。前橋で判決が出たが、高裁以上のヒラメ裁判官で無罪だ。

(2)「現地も、東電本店も、規制当局も、官邸も、格納容器圧力に応じた「格納容器スプレイ↓減圧注水↓格納容器ベント」という徴候ベース手順書の順序を完全に履き違えていた」(齋藤誠「危機に向き合うとは?」)。「吉田所長」ほか「責任者の多く」が、「手順書の概要さえまったく理解しておらず」「必要な手続きをほとんど知らなかった」。所長自ら「全交流電源が喪失した時点でこれはシビアアクシデント事象に該当し得ると判断しておりますので、いちいちこういうような手順書間の移行の議論というのは、私の頭のなかでは飛んでいます」と話す(田辺文也「福島原発事故の深刻化は免れ得た」)。移行とは、徴候ベース手順書のレベルを「超える事態に至った時」の、「シビアアクシデント手順書」への移行を指すが、吉田氏は後者の手順書からも「逸脱した対応を行なっていた」。「二・三号機が炉心溶融に至っ」たのは、「原子炉を減圧して低圧注水するという切り替えが遅れた」ためだが、前者の「手順書に従えば」、二・三号機ともに「減圧注水が可能だった」。一号機は「非常に早く事故が進展したので、炉心溶融を防ぐのは難しかった」にせよ、二・三号機に注水していれば、一号機への対応に集中できた。放射性物質の放出量も減った。第二原発では「徴候ベース手順書に忠実に従って事故対応を行った」が(齋藤氏)、第一原発では「現場責任者が「マニュアルは見ない、アドリブでやる」と宣言している」(田中氏)。同じ不参照により、東電は「メルトダウン」の定義を「忘れ」、「公表遅れ」も起こした。隠蔽でなく?

(3)「一五日に撤退した六五〇人のうち七割が一六日になっても戻らず、その間に最大量の放射能放出があり、四号機で火災が起こった」(七沢潔「原発事故の収束は誰が担うのか」)。発電所の「消防隊が撤退していたため、米軍に出動要請していた」。「後に英雄視される吉田所長と「フクシマ・フィフティ」が、中央制御室に長らく入らず、炉の圧力も温度も水位も把握できないまま」「無力」だった。朝日新聞が「裏付けを得て、「一時避難の所長命令に違反して九割の所員が第二原発に撤退」と書いた」が、「バッシングは凄まじかった」。「急先鋒だった産経新聞」が「朝日は事実を曲げて日本人をおとしめたいのか」と書き、「真相が覆い隠された」。英霊崇拝と同様、脳内が戦前だ。朝日の記事は、退避を「非難する趣旨で書かれたものではありません」(海渡氏「吉田調書」)。「大量に放射性物質が放出されるに至った時に、命がけで対処しなくてはいけない人間とは誰であるのか、という深刻な問いを提起したものだ」。「菅直人元首相」は「原発(で事故)が起きたときに」「命を本当に捨ててもやらなければいけないことがあり得る」と言う(七沢氏)。だが「何度も主体性が疑問視された原子力事業者の「自発的」緊急作業で、すべての危機が乗り越えられるのか」。真相は、傍観、即興芸、自称健忘、違背転進、トモダチ頼みだ。いや「そもそも、たまたま電力会社に入社し、発電所に配属された人が、いったん事故が起きたときには自分の生命をかけて対応しなければならない、ということなどあっていいのだろうか」(田中氏)。それは「憲法に抵触する」、つまり人権尊重の原則かつ最高法規に反する。原発推進には「個人」(憲法十三条)の絶滅収容所が必要だ。安倍晋三記念小学校のごとき、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉スル臣民の、「人」(自民改憲案)の調教所が。

以上、原発事故は幾重もの「無責任」(七沢氏)による人災だ。事故時に「混乱が極まってくると」、責任者らは「うまくいかないことを相手の落ち度とする責任転嫁」も続けた。「撤退はない」と首相に言われ、「最高責任者勝俣恒久会長」は「子会社にやらせます」と答えた。「当事者意識の欠如」、他人事だ。事故がなければ、(4)~(7)はなかった。

(4)「避難指示解除」により、避難者は「帰還することが制度的には「可能」になるが、実際には現実的ではない」(金井利之「核害被災市町村の「転生」」)。被災市町村は「帰還に向けた現実的な条件整備をする」ものの、「整備は「最低限必要かつ充分」ならば、それで打ち止めとなる可能性」がある。また避難先の「生活が軌道に乗」れば、「最低限度の生活機能が条件整備されただけ」の地に「帰還をするメリットが乏しくなる」。実際「帰還しない意向の住民が多数」だ。まさに「それゆえに」、国は「復興=帰還を加速したがる」。「長期化すればするほど、避難住民の帰還意向がさらに減少すると想定されるから」だ。「帰還奨励に向けた「圧力」が強まる」。日本人が愛する同調圧力。

(5)「区域外避難者(いわゆる「自主避難者」)の住宅供与打ち切り」が三月末に行われた(吉田千亜「原発事故7年目に問われる「復興」」)。「被害を償われず、救済もされないまま置かれた区域外避難者たちの唯一の命綱を断ち切り、新たな経済負担を強いる決定」で、復興加速の“圧力”だ。「今後「退去完了」の世帯数が数字で示されたとしても、その数字のひとつひとつに、どのような「暮らし」があったか」が「問題」になる。「経済的に苦しい」人々だ。「家賃の支払い」に困る母親。「『路頭に迷う』という言葉が頭をよぎりました」。「どうして国は、福島県は、私たちを守ってくれないんだろう」。「一人娘が障がい」をもつ「シングルマザー」。「仕事を休んで、もしクビになったらどうしよう」。「給料がなくなったら『死ぬんだ』とも」。「高齢者も多い」。「通院」「人工透析」「八〇歳、九〇歳」。「被害弱者――特に母子避難世帯、高齢単身者世帯の困窮」も、国家は隠蔽する。同調圧力の暗黒面、異質者の排除。いじめの構図だ。

(6)「避難者の子ども」は「突如」「生活を奪われ」、「高度のストレスに晒され」、「知り合いもいない避難先の学校などの集団生活に順応しなければならなかった」(黒澤知弘「追い詰められている避難者の子どもたち」)。そこへ「「放射線」「福島」「賠償金」など」の「言葉の暴力」を浴びせられる。「大人であっても」「福島に帰れといった暴言を浴びせられる、福島ナンバーの車両に傷が付けられる」。「大人の行動が子どもに対して影響を与えていった可能性」がある。避難者の子どもに「寄り添っていく」「努力が求められる」。だが「末人は根絶しがたい、地蚤のように」(ニーチェ)。「大きな喪失感」のなか、「不登校」、心身の「変調」、「自死」の意識に陥る子、「被ばく」を「理由」に「結婚」や「恋愛」を「諦めて」いる子さえいる。事故が「希望、目標や夢」を、人生を「奪って」いく。

(7)「原発の町最後の行方不明者」、「汐凪さん(当時七歳)」が「五年九ヶ月」ぶりに「発見された」(尾崎孝史「汐凪が帰ってきました。」)。「大熊町」は「震災翌日に全町避難の指示」により「バリケードで閉ざされた」。「がれきの中から」見つかったのは「下顎と歯」、「ほんの一部」の「骨」、「マフラー」だ。「がれきの移動」で「バラバラにされ」、「別のがれきが積み上げられ」…。父の紀夫さんは言う。「汐凪は原発事故の犠牲になって、見捨てられたような気がします」。「避難した時、汐凪は生きていたかもしれない」。「捜してやれない[…]その心の痛みを東電の経営者はどう考えるのでしょうか」。子会社に考えさせる。賠償も電気料金に上乗せする仕組みだ。

五輪を控え、“復興の加速”を掲げる安倍政権は、同化政策と棄民政策に躍起だ。国家のために被災者がいる。復興五輪は安倍晋三記念的運動会になろう。被災者は開会式で、原発推進の「公の秩序」(自民改憲案)に奉スル“人”として、「震災復興よかったです。首相がんばれ」と宣誓を忖度させられる。
2017年4月7日 新聞掲載(第3184号)
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