カント 美と倫理とのはざまで / 熊野 純彦(講談社)類例のない「批判書の批評」  不思議な魅力と慰めに満ちる |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年4月17日

類例のない「批判書の批評」 
不思議な魅力と慰めに満ちる 

カント 美と倫理とのはざまで
著 者:熊野 純彦
出版社:講談社
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カントは自分の批判哲学の課題を、「さまざまな書物」ではなく「理性能力一般」の批判と規定していた。このとき理性の「批判」から区別されているのは、ドイツ語のKritikが含む「批評」の意味である。そのカントの批判書、第三批判と呼ばれる『判断力批判』の、本格的な批評が現れた。本書は文芸誌『群像』に連載された、著者熊野によれば「批評と見なされるべきものであるかもしれない」、第三批判論を書籍化したものである。

熊野の多くの著書のうち、カント論としては二〇〇二年の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版)があり、経験と世界の境界を跨ぐ議論として『判断力批判』の崇高論を扱った。今回のカント書は、この読みの筋を第三批判全体に拡張する。副題にある「美」とは世界内で感じられるものの、「倫理」は感覚と自然を超えるものの典型であり、カントが明言する両者の断絶と、暗に仄めかす両者の交差のあいだを読解は往復する。

本書は12章からなる。まず『判断力批判』本論序盤の美の分析の検討を通じ、美と倫理、自然と自然を超えるものの交差という主題が導入され(第1・2章)、続いて第三批判の序論をもとに、自然と自由、理論と実践の峻別という批判哲学の前提と、その架橋という課題が示される(第3・4章)。自然においては崇高なものが「超感性的なもの」を呼び起こし(第5章)、美をめぐる判断の正当化も最終的に「超感性的なもの」に訴える(第6章)。さらに芸術との関係で自然(美)が捉えかえされ(第7・8章)、終盤の4章は『判断力批判』第二部の目的論を扱う。有機体の考察を経て、全自然を従える「究極的目的」を倫理の主体としての人間に求めるに至る、表向きの議論を押さえつつ、自然の美や秩序から生と世界の意味を保証する神に至る自然神学の反復が、第三批判全体の隠れた主題として取り出される。カントの遺稿や先行研究で武装して、作品を解剖する「カント研究」と異なり、素手で内側に分け入り、背後のモチーフを掴み出す本書の読解は、やはり「批評」と呼ぶべきなのだろう。ただしその批評は、著者が作品社から刊行した三批判書の訳業に裏打ちされている。

カントをめぐる批評といえば、同じく『群像』の連載稿を原型とする柄谷行人『トランスクリティーク』や、柄谷が「文学評論」として読み、決定的影響を受けたという坂部恵『理性の不安』が思い浮かぶ。ただ柄谷の批評は特定の批判書を読み解くものではなく、坂部のカント解釈は『視霊者の夢』など批判書以外の作品を扱う。その意味で本書は、類例のない「批判書の批評」である。逆に本書に見当たらないのは、柄谷の読解では資本制経済、坂部の解釈ではデカルト的主体に対応する近代の世界像という、現にある世界ないし世界像に対する抵抗の姿勢である。世界の別のあり方を求めることなく、類似の表現が反覆される「ときにひどく美しい」世界の前で、著者は立ち止まる。なお十五年前のカント書で熊野は、主体が経験を拡張するその都度世界は生起するという、カントの洞察に注目していた。それが本書では、探究し行動し経験を拡張する主体への関心は背景に退き、意味と目的への問いを、観照される世界の側に投げているように見える。この十五年のあいだに、カントらを同行者として世界を歩み抜き、その最果てに至りついたために、著者は足を止めるのか。

本書の原型の連載稿は、文学部の危機のさなか、「すくなからぬ日々の用務のあいまを縫って、文学部長室で書きつがれたもの」だという。そうした執筆の事情もあってか、ある種の諦念の裏返しとも感じられる本書での生と世界の肯定は、不思議な魅力と慰めに満ちている。だがそれにしても、と評者は思う。著者の年齢の頃にカントは、第二批判も第三批判も書いておらず、その明確な構想すら持っていなかった。本来私ごとき若輩者の言うべきことではないが、それでもあえて言う。達観するのはまだあまりに早すぎるのではないか。
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2017年4月14日 新聞掲載(第3185号)
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