連 載 映画/映画作家/映画批評  ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(2)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

  1. 読書人トップ
  2. 連載
  3. ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
  4. 連 載 映画/映画作家/映画批評  ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(2)・・・
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2017年4月18日

連 載 映画/映画作家/映画批評 
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(2)

このエントリーをはてなブックマークに追加
HK
 UGCやMK2のような商業映画館で、商業的映画を見るときなのですが、大半の映画がどこかですでに見た映画の、言い換えるとハリウッドのクラシック映画の模造品のようにして眼に映ることが多々あります。同じ主題を100年以上に渡って、クラシックの時代よりも興味深くない方法で、繰り返しているのです。社会派映画にしろヒューマニズム映画にしろ根本的なところでは何一つ変わっていないように感じます。昔からこの種の映画は多々ありましたし、現在においてもこちらの方が社会の仕組みについて、映画について雄弁に語ります。
JD
 そうなのかもしれません。しかし現代のハリウッドが行なっているのは同じ方法ではありません。現代ハリウッドとはすでにクラシック映画ではないのですが、アメリカ映画という概念について取り組んでいるのです。日本映画に関して言えば、このような特定の概念は真実味がありません。その一方でアメリカ映画では、映画の終わりに「ハッピーエンド」を見せるということが問題となります。このハッピーエンドが純粋無垢なものではないということを忘れてはなりません。ハッピーエンドとは、アメリカという国家が生んだ幻想に他ならないのです。どうしてハッピーエンドなのか、理由は単純です。1912年にこのような概念が到来した際、アメリカという国は多くの移民に開かれていました。多くの移民は英語というものを理解しません。しかしながら、言葉がわからなくても良い表現方法が、偶然にもその当時にはあったのです。それが映画です。移民たちは人々の言うことがわかりません。それでも映像は理解できたのです。そういうわけで、アメリカという国は映画という媒体が移民たちを同化させる、そしてアメリカンスピリットを教え込む最良の方法だと結論付けたのです。つまり個人主義の精神、行動の精神、成功の精神を教え込んだわけです。ハッピーエンドの目的とは、全体の中でそれぞれが個人であるということです。それぞれの個人は成功しうる、そして成功しなければならない。だからこそ、話の最後で成功した主人公を見せるために映画は良い終わり方をしなければならなかったのです。主人公たちは、個人個人が成功に値するといった具合にです。そして、このハッピーエンドはほとんどすべてのアメリカ映画に押し付けられたのです。未来は勝ち取らなければならない、そしてその未来の中に身を置き、その未来の支配者となり、来るべき幸運に胸打つ。このイデオロギーは、やがてハリウッド映画全体を支配し、世界中に影響を与えました。

一方で、例えばフランス映画のようにして、アメリカ映画のハッピーエンドに好意的になれなかった映画がありました。フランス映画の考えとは、私たちが皆フランス人だというところから来ているところがあります。つまりフランス革命のフランスであり、革命的であらなければならないという精神です。その結果、物事は決して楽観的ではありません。確立された物事を常に転覆させなければならないのです。そういうわけで、例えばカルネの映画を見ると、いつも悪い結末で終わります。反抗するということを見せなければいけないのです。
HK
 映画における悪い結末というのも、一種の見る喜びと言えるところがあるのではないでしょうか。
JD
 フランス映画におけるその種の影響について話をするのならば、19世紀の文化について話をしなければならないでしょう。日本であれ、中国であれ、フランス、ヨーロッパを問わずですが、私たちは皆過去に、そして過去の文化に依存しているのです。19世紀というのはヨーロッパ全体にとって非常に重要な時期でした。そしてフランスにとっても重要だったのです。なぜならばメロドラマというものが生まれ発展した時期だったからです。よく知られている言い回しに「マルゴーの泣いたメロドラマ万歳」というものがあります。いいメロドラマとは、話の終わりで皆が泣かなければならない。同じ悲劇に自分たちが遭わないように願いながら主人公のために泣くのです。要するにメロドラマというものが重要なものとなったのです。悪い結末の文化というものが重要となっていったのです。そして、実際のところ、私たちが30年代から50年代のフランス映画を見ると、多くの映画がこの悪い結末の文化というものに基礎を置いています。すべての作品がこのようなメロドラマだったというわけではなく、名作と呼ばれていた作品の大半と言った方がいいかもしれません。(次号につづく)
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕
2017年4月14日 新聞掲載(第3185号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
芸術・娯楽 > 映画と同じカテゴリの 記事