文部省推薦のレコードコンサート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
哲学からサブカルまで。専門家による質の高い書評が読める!

▲トップへ

  1. 読書人トップ
  2. 連載
  3. 読写 一枚の写真から
  4. 文部省推薦のレコードコンサート・・・
読写 一枚の写真から
2017年4月25日

文部省推薦のレコードコンサート

このエントリーをはてなブックマークに追加
写真は文部省の案出したる民衆娯楽としての蓄音器のレコードコンサートで、5月26日日比谷公園音楽堂で催されたもので、民衆の情操教育としては好個の企図だ。(『写真通信』大正12年7月号)
日比谷公園音楽堂といえば通称「野音」、コンサートが日常的に開かれている憩いの場だ。

この写真は、大正十二(一九二三)年五月二十五日、日比谷公園音楽堂で開催された「蓄音器のレコードコンサート」の様子、『写真通信』大正十二年七月号に掲載されたもの。 

「欧州大戦と共に澎湃として興ったデモクラシーの思想に対しては、如何に無関心な当局者と雖も考慮せずには居られなかった。民衆教育、民衆娯楽、民衆衛生等凡ての施設が今や民衆を中心とし、民衆を目標として行われんとしつつあるのはその例証である」

とする記事で、この写真は「文部省の案出したる民衆娯楽としての蓄音器のレコード、コンサート」を開いたと報じている。「民衆の情操教育としては好個の企画」だと、好意的である。

明治三十六(一九〇三)年に日本初のレコード盤が輸入販売されたが、一枚が高い物で五円もした。はがき一枚一銭のころだ。

「民衆娯楽」を文部省用語になおすと「通俗教育」(『学制百年史』)、明治後期の文部省では社会教育の柱として「通俗教育の振興」をはかることにした。

明治四十四年十月十日に「幻燈映画及活動写真フィルム審査規程」を定めて、内容の改善指示を出すようにした。

そして、このコンサートが開かれた直前の五月四日に「活動写真“フィルム”幻燈映画及蓄音機“レコード”認定規程」を制定した。審査から認定へと、行政が娯楽に関わる姿勢はより強くなったことになる。「青少年の健全育成」をうたう映倫の源流である。記事にある「デモクラシーの産物」ではない。

どんな曲が「通俗教育」の模範としたのか知りたいところだが、このレコードコンサートで「演奏」された曲目はわからず残念だ。このころには民謡や小唄もレコードに吹き込まれて販売されていたので、洋楽だけでなく邦楽もあったと思われる。

さて、新緑に囲まれた音楽堂は、日本最初の野外音楽堂として、明治三十八年に出来た。

また、この大正十二年七月には大音楽堂がして完成して、こちらは小音楽堂と呼ばれるようになる。
「東京一と誇る日比谷公園の新野外音楽堂は衆議院議長官舎裏手の樹木鬱蒼たる中に工事を進めているがなかなかはかどらず」(『讀賣新聞』三月十六日付け)と報じられるように、桜の咲くころを目標にしていた開場が遅れていた。ギリシャ様式をモデルにした設計で、すり鉢式の客席には五千人を収容できる予定だった。

ようやく完成して、夏には市民が木陰のコンサートを楽しんだはずだ。

ところが、九月一日、関東大震災が音楽堂にも襲いかかって、写真の小音楽堂は倒壊し、敗戦後の昭和二十四(一九四八)年ころまでコンサートを中断する。

大音楽堂は無事ながら、日比谷公園は被災者の避難場所になった。

日比谷公園は旧練兵場に造られた日本最初の近代洋風公園である。

日露戦勝祝賀会、普選要求大会、震災と戦災の避難場所、戦後は恋人たちのデートの場にもなった。大小とも野外音楽堂は健在だ。

近代日本の足跡を万華鏡のように写す日比谷公園の、これも「ある日の風景」を記録する一枚である。
2017年4月21日 新聞掲載(第3186号)
このエントリーをはてなブックマークに追加