無情の神が舞い降りる / 志賀 泉(筑摩書房)私たちの日常の物語へと手渡される生きることの根源的なもの|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 無情の神が舞い降りる / 志賀 泉(筑摩書房)私たちの日常の物語へと手渡される生きることの根源的なもの・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年5月1日

私たちの日常の物語へと手渡される生きることの根源的なもの

無情の神が舞い降りる
著 者:志賀 泉
出版社:筑摩書房
このエントリーをはてなブックマークに追加
時が経つと記憶の絵のようなものがしだいに色あせていく部分がある。しかしそれとは反対にむしろ鮮やかになってくるところがある。味わったことのない質感で色濃く迫ってくる。この時に思いがけない傷が開いていたことを知る。それを知ろうとするには時の流れが必要であったのだということも。

福島の震災から六年が経ち、その心の中の〈記憶の絵〉を見つめようとしていることが多くなった。鮮やかさはこの歳月への実感と深くつながっている気がする。これからは福島の災いを即時的に伝えるということよりも、時間というものをくぐり抜けてその〈鮮やかさ〉を宿してゆく物語が登場していくだろう。本書には二つの物語が収められている。前半の物語を読み、ずっと息を潜めるようにして暮らしていたあの日々があらためて蘇ってきた。住民が避難をした後の町の空気がよく伝わってくる。

四十代の吉田陽平は浜通りの街へと戻って来た。避難をすることの出来ない、寝たきりの母を看病するためにである。やがて原発が爆発した後に避難を命じられた。しかしそのようなことは母には到底無理であり残る。取り残された寂しさと不安。

記憶をめぐるように人気のない町を歩きながら、やるせなさに耐える姿。「どこを歩いても何かを思い出す。何を見てもだれかを思い出す。記憶は俺の頭にあるのではなく、道端に街角に転がっている…人が街を記憶するように、町が人を記憶している」。そして人のいない風景だからこそ、次々に浮かぶ震災前の記憶にまるで追われるかのようにして、過去とそして今の心の傷を持て余していく。

日々の話し相手は、会話もままならなくなってしまった母親のみであった。しかしある日にペットレスキューの怜子が現れ、惹かれていく。陽平の心の拠り所となる。やがて介護の末に母は亡くなってしまう。遺品を整理していると、自分が引き金となった、かつて好きだった美鈴の事故死への、母の隠された思いが明らかになっていく。

「孔雀は神様の鳥だって信じた子が孔雀を追いかけて死んで、原子力は未来のエネルギーだと信じ込まされた俺たちが、原子力のおかげで未来を失って」。随所に地元出身の作家であるからこその実感や現地の声がある。震災というテーマと対峙しているが文章は軽妙であり、交わされる会話には方言も混ざったりする。私もまた南相馬にかつて青年の頃はずっと暮らしたから、故郷をめぐった気持ちになった。そして防護服を着て初めて、二十キロ圏内に入った時の当時の衝撃の光景を思い出した。ここに書かれてあるのはその時に感じた震災後の町の無表情の風景である。 

後半は避難生活をしている十代の女子高生の姿が描かれている。震災をテーマにした高校生制作の映画を作ることになり、ヒロインをまかされる。しかし様々な葛藤の末に辞めてしまう。この悩んだ経験がやがて形を変えて、絶交していた母のもとへと出かけていく決心を与えてくれることになる。母を失う、母と再会する。故郷を失う、故郷と再会する。本を閉じると生きることの根源的なものが、私たちの日常の物語へと手渡されていることに気づく。それが新鮮な〈記憶の絵〉の中で目の前に置かれた気がする。歳月が経ちむしろ色濃くなっていく精神の色彩を福島の人間として見つけていきたい。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年4月24日 新聞掲載(第3187号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
和合 亮一 氏の関連記事
この記事の中でご紹介した本
無情の神が舞い降りる/筑摩書房
無情の神が舞い降りる
著 者:志賀 泉
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
文学 > 日本文学 > ノンフィクションと同じカテゴリの 記事