映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(6)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2017年5月16日

映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(6)

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溝口健二の墓参りに訪れたドゥーシェ
JD
 コンメディア・デッラルテとは、世界中の喜劇の歴史で最も重要なものの一つです。例えば、他の国と同様にフランスの喜劇は、コンメディア・デッラルテから着想を得て、大きな影響も受けています。モリエールですら非常に多くの影響を受けました。コメンディア・デッラルテは、それ自体が自発的に生じる喜劇の形式であり、創意工夫に富み、軽妙洒脱、また状況に応じて常に臨機応変に変化していく性質を持つ、比類なきものでした。このような方法からファシズムを煽動する作品が作れなかったのは言うまでもありません。単純に不可能なのです。既存の権力であれ、既存の秩序であれ、作品の中で別のものへと姿を変えられてしまうのです。そしてそのようなイメージの利用法が、イタリア映画全体に影響を与えていても何の不思議もありません。
HK
 しかし、このようなイタリア映画の方法論でもあり歴史も、1990年を過ぎる頃から急に失速してしまいます。80年代の後半にはフェリーニやスコラに代表されるチネチッタの作家たちが、示し合わせたかのようにしてイタリアと映画の関係を総括する試みをしています。フェリーニは『インテルヴィスタ』で映画の歴史をスタジオの内部から、年老いたマストロヤンニとエクバーグに『甘い生活』の有名なシーンを再現させながらイタリア映画の衰退を描いています。そして数年後にイタリア映画は、フェリーニという最大の原動力を失います。スコラは、マストロヤンニを映画館の館主役として迎えた『スプレンドール』という作品を撮っています。イタリアの田舎の映画館の歴史を、戦後から閉館まで描いた作品です。こちらの映画でも、マストロヤンニ自身が自らの出演した映画を見るという、イタリア映画特有のイメージの反復とそれに伴う差異化が見られます。このような例はいくらでも出てくるのですが、注目したいのは、彼らが皆90年代以降急に活力を失ってしまったということです。
JD
 そのことに関しても理由はそれほど複雑ではありません。要するにムッソリーニと共にいる方がベルリスコーニの時代を生きるよりも容易だったのです。有名な話ですが、イタリア映画を殺したのはベルリスコーニです。私はムッソリーニに対する好意などこれっぽっちも持っていません。しかし、ベルリスコーニはそれ以上に映画と文化に対する悪として感じられます。他の人も同じ意見なのではないでしょうか。
HK
 イタリア映画の中でも、90年以降にはナンニ・モレッティが、イタリア映画のレジスタンス活動のようなものを繰り広げていましたね。
JD
 モレッティがいたところで、それ以前のイタリア映画に比べれば取るに足らないものだったのではないでしょうか。イタリア映画はそこで息の根を止められてしまったのです。
HK
 いずれにせよベルリスコーニの失脚以降、イタリア映画というものは徐々に回復してきていると思います。例えば『グレート・ビューティー』を撮ったソレンティーノのように、かつてのイタリア映画を再考させるような作家も、少しずつですが頭角を現してきました。イタリア人の若い世代にしても、アルベルト・ソルディの名前やリージ、モニチェッリといった監督の名前がしっかりと伝わっています。ローマの街を歩いていても、至るところに映画のロケ跡を示す説明書きが立っていたり、レストランに往年のスターの写真が飾ってあったりと、実は最も自国の映画の歴史に真摯に向き合っている国ではないのかとも思わされます。

もう一つ、かつての勢いを失ってしまった映画の大国として真っ先に頭に浮かんでくるのが日本です。こちらは目に見える独裁者の支配もなかったと思うのですが…。
JD
 日本にも独裁者はいます。それは経済という独裁者です。日本の映画産業は、あっという間にテレビ産業の中に完全に身を投じてしまったのです。テレビ産業が映画を殺したのです。それだけのことです。出資されるお金がテレビの側に行ってしまい、その時から日本という国が映画に興味をなくしてしまったのです。20年近くにわたって、日本には映画と呼べるようなものはありません。あったとしても、かつての日本映画とは比べものになりません。最後の偉大な日本の映画作家は大島渚です。しかし70年代の中頃から、彼ですら日本では映画を撮れなくなり、その結果ヨーロッパで撮ることを強いられていました。 <次号へつづく>
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕

2017年5月12日 新聞掲載(第3189号)
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