2017年度シェイクスピア祭「蜷川シェイクスピアをふりかえる」  松岡和子トーク(聞き手:野田学)抄録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年5月22日

2017年度シェイクスピア祭「蜷川シェイクスピアをふりかえる」 
松岡和子トーク(聞き手:野田学)抄録

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稽古場における蜷川幸雄の姿
◇『タイタス・アンドロニカス』

蜷川 幸雄氏
野田
 演出家・蜷川幸雄さんが亡くなられて間もなく一年を迎えます。本日は日本演劇界の巨人を振り返るお話を、「彩の国シェイクスピア・シリーズ」のほぼ全ての作品を翻訳された、翻訳家の松岡和子さんに、蜷川さんの思い出を交えながらお話いただきます。
松岡
 私は一九九五年上演の『ハムレット』から蜷川チームに参加していますので、二十年以上、蜷川さんの傍で仕事をさせていただき、「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の稽古場には必ず通っていました。
野田
 松岡さんがお持ちの台本には、膨大な蜷川語録が集積されていますよね。
松岡
 蜷川さんの横顔をずっと見てきた蜷川ウォッチャーとして、面白い発言を逐一メモしましたね。
野田
 蜷川さんの稽古場は苛烈さを極めており、役者に対して高い要求を課しながら四六時中怒号が飛び交っていました。過去にはダメ出し時に灰皿が飛んでくるという逸話もある程、怒髪、天を衝く演出家というイメージが一般的です。それにも関わらず蜷川演劇に出演したい、稽古を受けたいと願う役者は後を絶ちません。なぜ、蜷川さんの稽古を多くの役者は希求されていたのでしょうか?
松岡
 俳優に対する高い要求というのは、蜷川さんご自身が挫折した役者だという思いの裏返しであり、同時に愛情や敬意の表れでもあります。だからこそ、要求を満たさなかったときは激昂なさる。
野田
 蜷川さんはもともと劇団青俳に俳優として入団されましたが、演技者としては大成できませんでした。
松岡
 『タイタス・アンドロニカス』の台本に書いたメモに質問のヒントが隠れていますので、この作品を軸にお話しします。蜷川さんは稽古始めの時に「頭で読んでいるけれども読み切れていない。解釈における何かが先行しているわけじゃない。だから体験しながら読む。そういう意味で自分は俳優に近いんだ」とおっしゃり、自分が俳優に近い存在だと認めています。
野田
 俳優との距離は常に近く保っていたんですね。
松岡
 蜷川さんは、自らを安全地帯に置いてダメ出しをすることはありませんでした。必ずご自分を引き合いに出し、酷い目にあったときの心理状況までも盛り込まれる。ですから稽古の終盤には「俺の人生、披露しすぎたかな」なんて面白いことを言っていました。
野田
 役者を追い詰めることは、自身を追い詰めることと同義だった。
松岡
 裏方に対しても要求は高かったですね。劇中音楽担当の笠松泰洋さんに「ワーグナーでも何でもいいからやって。俺この頃ストイックだけど、もうやめた。ストイックだったらこんな芝居はやれねえからな」と注文をつけました。すると笠松さんは『凱旋と葬送』という第一幕を象徴する曲をお作りになった。相反する二つの儀式を想起させる見事な曲で、蜷川さんが語る「この戯曲って、のっけから葬式と凱旋で始まるからテンションが高い。融和するよりは、徹底的に対立する。神の存在を設定しないと生き延びられない」という作品解釈に見事にマッチさせたわけです。

蜷川さんは常々役者たち「てめえら欲望が小せえんだよ!」と発破をかけていましたが、自分にも向けられていた。現状には絶対満足せず、もっといい演出家になりたいと最後まで口にしていました。
松岡 和子氏
野田
 自分を安全地帯におかない、という姿勢を常に周囲に見せていたからこそ、蜷川さんの言葉は役者やスタッフにも通じて、高い要求をクリアすることに繋がったんですね。

『タイタス・アンドロニカス』は先日、「彩の国シェイクスピア・シリーズ」二代目芸術監督に就任された吉田鋼太郎さんが主演に抜擢された記念作ですよね。
松岡
 鋼太郎さんという稀代の役者との出会いが、蜷川さんの演出家としての想像力を一段高みに上げましたね。そんな鋼太郎さんをタイタス役に起用した蜷川さんは「鋼太郎に欠けているのはね、情緒。この国は湿気の国だから情緒がないとスターになれないんだよ。鋼太郎に情緒を」と稽古の時におっしゃったのが印象的です(笑)。
野田
 鋼太郎さんに対する蜷川さんの期待の高さが窺えます。
松岡
 鋼太郎さんの役者としての実力は折り紙つきでしたが、当時はあまり知られていないのも事実でした。だから蜷川さんは「こういう役者が中心にいて、人を呼べる演劇界にならなければいけないんだよ。そのためには鋼太郎にも頑張ってもらわないといけないけれども、みんなも切符を売ってくれ」と『タイタス・アンドロニカス』初日公演の直前のスピーチで全員にお触れを出しました。前代未聞の出来事でしたが、蜷川さんは演劇界全体を見通していたから、この言葉が自然と口に出たのでしょうね。 
演出家としての真情
◇『じゃじゃ馬馴らし』
◇『テンペスト』 

野田
 蜷川さんの稽古場は役者が自身の演技をプレゼンする場だと伺いました。『ヴェニスの商人』で主演を務めた歌舞伎俳優の市川猿之助さんは、湯水の如く演技のアイディアを出し、蜷川さんもある程度自由にやらせたそうですね。
松岡
 その前の市川亀治郎さん時代の『じゃじゃ馬馴らし』の稽古も見ていて楽しかったですね。まさに蜷川さんの理想の稽古場だったんじゃないでしょうか。歌舞伎は座長が全てを取り仕切るので、亀治郎さんはご自身の流儀を駆使なさった。それに触発されて、他の役者さんも自発的に演技をトライしていく。そんな稽古場には活気と熱量が充満していました。その時の蜷川さんの横顔はとても幸せそうでした。
野田
 役者同士の才能の発露は蜷川さんの目にも魅力的に映ったんでしょうね。
松岡
 蜷川さんが相好を崩された場面は『お気に召すまま』の稽古でもありました。食事の場面で突如パンを使った演出を思いついた。すると演出部は蜷川さんが欲しがるパンを先回りして用意していたんです。その瞬間、驚き混じりに本当に嬉しそうな顔をなさっていました。
野田
 周りが演出の意図を汲み取って自発的に動くことは、蜷川さんが求める根本だった。
松岡
 みんな蜷川さんの笑顔を見たいと思っているから、どこまでも頑張るんです。蜷川さんを喜ばせるために全員が能動的に動く。カリスマってこういう人の事を指すのでしょうね。
野田
 誠心誠意支えてくれる人が蜷川さんの周りに大勢いたからこそ、年に十五作も演出することが出来たわけですね。
松岡
 演出家・蜷川幸雄は自分の姿を『テンペスト』の主人公プロスペローに重ねていました。プロスペローは魔法の杖を振るって大嵐を巻き起こす力を持っていますが、自分の宿願を叶えるためには、島に住む妖精たちの力が必要でした。蜷川さんがプロスペローであるならば、妖精たちは演出部を始めとする大勢のスタッフ陣です。プロスペローは念願成就のあかつきに妖精たちに向かって心から感謝の言葉を口にします。そのセリフがそのまま、蜷川さんが周囲の人たちに向ける真情を表しているんです。

かねてから『テンペスト』再演の折にはプロスペロー役に吉田鋼太郎さんを据えて演出をし、「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の幕を閉じたいと願われていました。これほどまでに蜷川さんが敬愛した作品の翻訳に携わることが出来たのは光栄でしたし、幸福な仕事でした。近い将来、蜷川さんの遺志を受け継いだ、吉田鋼太郎さん扮するプロスペローが皆さんの前で、阿鼻叫喚の大嵐を巻き起こすと思いますので、ぜひ楽しみにしていてください。
生活者の羞恥心 西洋への対抗心
◇『ペリクリーズ』 

松岡
 蜷川さんが残した最後の原稿は国際シェイクスピア学会から昨年刊行された『Shakespeare’s Creative Legacies』に掲載されている「シェイクスピアと私」というタイトルのエッセイで、蜷川さんの喋った内容を私が書き起こしてまとめたものです。シェイクスピアへの思いを主題にお話しいただきましたが、「僕の中には世界をまるごと把握したいという誇大妄想的な欲望がある。(中略)シェイクスピア劇をやれば世界がみんな手に入る。そう思った。僕は世界だ、世界は僕だ、というふうにしようと思った。(中略)未知であるシェイクスピア作品への挑戦で、どんなものが自分の中で呼び覚まされるかわからなかった。(中略)自分のコンプレックスが、つまり「たかが洋服屋の倅が偉そうに世界を語るんじゃねえよ」っていう思いが何か解放されていて、もうなにやってもいいやって。それはシェイクスピアだからだろう。シェイクスピアが僕を解放してくれる。シェイクスピアって枠なら何でも出来るって思える。シェイクスピアに会えてよかったと思いますよ、僕は」と語っていました。
野田
 お話の終盤に服の仕立て職人の家の出身であることに言及されていますね。蜷川さんはご自分ことを様々なインタビューで「生活者」という言葉を使って強調されていました。生活者であることの羞恥心を芝居の随所に滲ませていたと自認していますね。
松岡
 蜷川さんは西洋の翻訳劇における、俳優の付け鼻、タイツ姿を恥の極みだと考えていました。だからシェイクスピア劇をやるにあたっても日本人に一番似合う袴衣装を多用されたんです。
野田
 私が蜷川さんの恥について思いを馳せるのは、『NINAGAWA・マクベス』における蜷川さんの解説です。そもそもこのお芝居は舞台全体に仏壇の観音開きのセットを作り、幕開きと同時に二人の老婆が開帳します。そして仏壇の内側で物語が進んでいく構造になっています。

この演出について、蜷川さんはあるインタビューで「あの老婆は、ある種の後ろめたさの象徴なんです」と語っています。それで「普通の生活者を置き去りにして、ポップな遊びをやっていた」自分は、歴史的な時間の堆積をあらわす老婆達に「小さなラディカリズムなんてゴミみたいだ」と言われたかったらしいんです(蜷川幸雄、長谷部浩『演出術』)。生活者の側にたちながら、同時に彼らに裁かれたいという意識ですね。
松岡
 シェイクスピア劇はセリフを聴くものである、という認識が世界中の演劇シーンにおける通説でした。そこに蜷川さんは『NINAGAWA・マクベス』を投げ込むことにより、シェイクスピア演劇を観るものに転換させてしまった。これこそが蜷川さんの最大の功績じゃないでしょうか。
野田
 翻訳劇をやる恥じらいや気後れの裏側にある、西洋への対抗意識が働いて、従来の聴くシェイクスピアという概念を壊すことが出来たわけですね。
さらに蜷川さんは反目ではなく、我々の東洋的価値観を西洋思想とうまく融合させることに成功しました。このポイントは蜷川さんの功績の核ではないかと考えます。
松岡
 西洋への対抗意識の象徴は、『ペリクリーズ』のロイヤル・ナショナル・シアター公演でしょうね。この作品の前半部は他の作家が書いたのではないかと言われるほど、前後半で文体が違い、英語ネイティブは手を出したがらない。ゆえに世界的にみても評価に値する上演はなかったのです。この作品で蜷川さんを権威あるNTの俎上に上げるということは、英語圏からの挑戦だったんですよ。

ここで屈しないのが蜷川さんの蜷川たる所以で、稽古場でも西洋への闘争心を剥き出しにし、世界に類を見ない全く新しい『ペリクリーズ』を作り上げました。本作の世界観は英国のリアリズム至上主義を打ち砕くほど素晴らしい、レジェンダリーな作品になりました。
野田
 日本の話芸の伝統、説経節を取り入れていますから、まさに東西世界の融合した素晴らしい公演でしたね。
松岡
 この作品はもともと中近東を舞台にしたお話ですから、東洋的観念は作品のバックグラウンドに合致するんですね。蜷川さんの構想がまたしても世界を打ち破りました。

ご自身では世界に進出することを誇大妄想だとしていましたが、世界全体を掴み取りたいという貪欲さも併せ持っていました。だからこそ、世界を相手にする演出家像をイメージしながら、常に高みに向かって手を伸ばしていました。
次の世代に託す蜷川幸雄の「言葉」

野田 学氏
野田
 最後に、蜷川さん亡き後、後進の演劇人やシェイクスピア演劇に携わる人々に伝えていきたいメッセージをお話しいただきたいと思います。
松岡
 今後、蜷川さんから直接演出を受ける新しい俳優は出てこないので、蜷川さんに言葉と魂をもらった方たちがしっかり次の世代に伝えていく使命を担っていますし、私もきちんと若い世代につないでいかなければならないと自覚しています。

蜷川シェイクスピアを語る上で最も重要なのは舞台で発せられる言葉です。ご自身でも「シェイクスピアをやる上ではあくまでも言葉が軸になっていなければ駄目だ」と、どの作品に対しても口にされていました。

役者さんが感情過多にセリフを読んだ時は「何を言っているかわかんない。ボワボワしていて。風呂屋だ。感情過多になり過ぎて罵るから言葉まで行っていないんだよ」とダメ出ししていましたし、言葉以外で表現しようとすることを禁じていました。役者さんが手を動かしながらセリフを言うと「その手、切り落とすぞ」と過激な事も言う。

顔で演技をしない、ジェスチャーをやらない、余計な間は取らない。極めてテクニカルな演出の一部分に聞こえるかもしれませんが、これこそがシェイクスピア作品を作る上での本質なんです。
野田
 言葉を重要視する姿勢を見せてくれるのは、翻訳家冥利に尽きるのではないですか。蜷川さんが言うからこそ、説得力がありますし。
松岡
 世界的に高名なシェイクスピア劇の演出家として知られるデヴィッド・ルヴォーも「シェイクスピアのセリフというのは一見、ただの状況説明とか情景描写にみえるかもしれないけれども、そんなものはただの一言、一行もない。全てのセリフが相手を動かそうとして言わなければ駄目なんだ」と語るほどにセリフを意識させますし、世界のトップランナーたちは口々にシェイクスピアの作るセリフに気を配っています。

蜷川さんは奇抜な手法を用いて世界と戦っていたわけではなく、基本をきちんと押さえた上で挑まれていました。だからこそ、世界中の耳目を集めるシェイクスピア演出家であり続けたわけです。

蜷川イズムの基本は言葉です。だから私は蜷川さんの言葉の代弁者として「言葉が大事」ということを後世に伝えていきたいと思います。
この記事の中でご紹介した本
2017年5月19日 新聞掲載(第3190号)
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