ダーク・ヒロイン ジョージ・エリオットと新しい女性像 書評|矢野 奈々(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年5月29日

「新しい女性像」の多様性を丹念に読み解く

ダーク・ヒロイン ジョージ・エリオットと新しい女性像
著 者:矢野 奈々
出版社:彩流社
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十九世紀後半の英国を代表する小説家ジョージ・エリオット。この男性名で執筆していたのは、当時としては先進的な生き方をした女性、メアリ・アン・エヴァンズである。これは英文学史的常識ではあるが、本書『ダーク・ヒロイン――ジョージ・エリオットと新しい女性像』によると、ことはそう単純でもないらしい。エヴァンズには「ジョージ・エリオット」以外にも彼女を指す名前が複数あり、それは「エリオット自身の複雑なアイデンティティと関わって」いる、との指摘が近年の研究書にあるという(第一章)。

本書著者は「エリオット自身」の「複雑なアイデンティティ」と書いているが、前後の流れから判断すると「メアリ・アン・エヴァンズ自身」の方が正確な記述かもしれない。だが本書を読み通したあとでは、「エリオット自身」でよいような気がしてくる。信奉していた福音主義を二十歳代には実証主義哲学の影響のもとに手放し、独学で身につけたドイツ語や神学・哲学等の知識でシュトラウスの『イエスの生涯』やフォイエルバッハの『キリスト教の本質』を翻訳。故郷イングランド中部からロンドンに出て知的な交流を重ねながら雑誌編集に携わり、妻子ある文芸評論家ジョージ・ヘンリー・ルイスと三十五歳から同棲生活を開始。六十一歳で亡くなる七ヶ月ほど前に、二十歳年下の相手と結婚。このような「複雑なアイデンティティ」の女性メアリ・アン・エヴァンズが、ジェンダーを変えて(小説執筆を勧めた同棲相手の名に部分的に同一化して)作り出したペルソナとしての「男性名」作家ジョージ・エリオット。

本書は「ダーク・ヒロイン」という形象を通して、エリオットの小説における「新しい女性像」の多様性を丹念に読み解く。その試みの先に統一的な作家像を求める必要はない。他者の言葉の間接的引用として発せられた「エリオット自身の複雑なアイデンティティ」は、本書の主題を兆候的にあらわしているように思われる。序章では「ダーク・ヒロイン」たちをそれぞれ「エリオット自身の自画像的な存在」とみなしており、本書は三部構成の本論六章にわたって数多くの小説を取り上げながら、その「自画像的な存在」たちの、そして結果的には「自画像」の描き手である小説家エリオットの、多様で「複雑なアイデンティティ」を明らかにしていく。

「ダーク・ヒロイン」とは、エリオットの小説でしばしば重要な役割を担う「黒髪で黒い目のヒロインたち」をまずは意味する。ただしそのような外見だけでなく、「目に見えない内面における「ダーク」な要素」という比喩的な意味も含まれる。彼女たちは「「家庭の天使」像から逸脱しつつも、「女性らしさ」を全面的に放棄する「新しい女」ではなく、「女性らしさ」を垣間見せる女性としても造形されている」という(序章)。フェミニズム批評からしてみれば、「ダーク・ヒロイン」が「女性らしさ」を手放さずに「垣間見せる」中途半端さこそ、ジョージ・エリオットが女性問題を十分にフェミニスト的な姿勢で描いた作家とは言えない根拠となる。

副題に「新しい女性像」と掲げる本書は、このようなフェミニズムの読解に応答している。しかし、あくまでも本書の醍醐味は、エリオット的女性像の「新しさ」がフェミニズム的か否かの判断をひとまず括弧に括りながら、多くの「ダーク・ヒロイン」たちの具体的な表現の差異を跡付けることで、様々な「女性らしさ」の微妙な揺れやズレを丹念に精査する手続きの積み重ねにある。著者は本書を次のように締めくくる――「フェアとダーク、家庭と自立、男性と女性といった様々な二項対立ではなく、各々が補い合って一つの完全体になるというエリオットの理想を具現化する試みとして、彼女はダーク・ヒロインを造形したと言えよう」(終章)。差異をともなう「試み」の積み重ねを丁寧に解きほぐす本書は、「一つの完全体」という「理想」が「具現化」しつくされないからこそ、エリオットは自分の「自画像的な存在」としての多様な「ダーク・ヒロイン」たちを多様な設定において「造形」し続けたのではないか、と思わせる。「理想を具現化する試み」の失敗は、しかしながら小説の失敗ではない。全体として「一つの完全体」に到達しえない「試み」の反復は、女性問題を扱ったエリオット小説の歴史的重要性を、そして「エリオット自身の複雑なアイデンティティ」を、逆説的ながら、なによりも証明している。
この記事の中でご紹介した本
ダーク・ヒロイン  ジョージ・エリオットと新しい女性像/彩流社
ダーク・ヒロイン ジョージ・エリオットと新しい女性像
著 者:矢野 奈々
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年5月26日 新聞掲載(第3191号)
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