演奏史譚1954/55 / 山崎 浩太郎(アルファベータブックス)激動の二年間の追体験をメディアを通じて再構成 |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年5月29日

激動の二年間の追体験をメディアを通じて再構成 

演奏史譚1954/55
著 者:山崎 浩太郎
出版社:アルファベータブックス
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歴史を語る際に、マクロな視点を用いるか、それともミクロな視点を用いるのかと問うた場合、本書はずばり「ミクロな視点」からの切り口を示した一冊といえるだろう。何しろメインタイトルからも分かるように、「1954/55」年の二年間に話を絞って、クラシック音楽の歴史を語ったものなのだから。

しかも、これまたメインタイトルにあるように、「演奏史譚」というアプローチがなされている点がユニークだ。演奏史譚とは聞きなれない単語かもしれないが、そもそも一体何か? 著者の言葉を引用するならば、「タイトルに演奏史譚と名付けたのは、ここに書かれた歴史物語が、演奏という再現芸術を主題としていることを示したかったからだ。音楽史譚では作曲の話題が主体のように思われそうだし、録音史譚ではオーディオの話のように思われるかもしれない。音楽史譚では名盤の紹介本と思われそうだ。そうではなく、あくまで音楽が響く現場、それを意識の中心とした。」

この言葉には、幾つかのポイントが隠されている。まずは一九五四/五五年という時代が、クラシック音楽においては「作曲の時代」から「演奏の時代」にシフトを遂げつつあったということ。本編にも出てくるように、たとえばフルトヴェングラーは生前から――本人の意思はともかくとして――作曲家としてよりも指揮者として圧倒的人気を博しており、まさに彼が死を迎える一九五四年にもこの問題が色濃く付いてまわった。

あるいは、レコード技術の発達ということ。それこそ、フルトヴェングラーのライヴァルだったカラヤンがレコーディングに積極的な姿勢を示したり、そのカラヤンをスターダムにのし上げたレコードプロデューサーのレッグによって老指揮者クレンペラーの再発見がおこなわれたり。さらにはステレオの実用化が本格的に始められたり、ピアニストのホロヴィッツが公の演奏活動の場から身を引いて、しばらくは録音のみによる活動をおこなったり(グールドの先駆けのようだ)、といった具合である。

本書はこうした激動の二年間を、当時を象徴する数々のディスク録音、ならびにリアルタイムで書かれたルポルタージュ、つまり現在を生きる我々が当時を追体験できるメディアを通じて再構成する。そして、クラシック音楽界における熱気と変革の有様をつぶさに追ってゆく。

しかも海外渡航が困難だった当時、欧米に渡り、文字通り「本場」のクラシック音楽をつぶさに体験することとなる大岡昇平、吉田秀和、山根銀二といった評論家の著述が随所に挿入されるのもユニークだ。あるいは、この時代の日本のクラシック音楽界に起きていた数々の出来事も。そこから明らかにされるのは、「本場」に憧れ、追いつこうとしつつ、それとは異なる道のりを歩んだ戦後日本におけるクラシック音楽受容の道のりに他ならない。

このように考えると、著者が示した「ミクロな視点」には、多分に「マクロな視点」が含まれている。わずか2年という期間から、現在にまで至るクラシック音楽の歩みが立ち現れてくる。
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2017年5月26日 新聞掲載(第3191号)
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