『週刊読書人』創刊号7面(1958(昭和33)年)掲載 営利主義を排す 最近の雑誌を読んで思うこと(正宗白鳥)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 特集
  3. 『週刊読書人』創刊号7面(1958(昭和33)年)掲載 営利主義を排す 最近の雑誌を読んで思うこと(正宗白鳥)・・・
読書人アーカイブス
2017年7月26日

『週刊読書人』創刊号7面(1958(昭和33)年)掲載
営利主義を排す 最近の雑誌を読んで思うこと(正宗白鳥)

このエントリーをはてなブックマークに追加
1958(昭和33)年発行の『週刊読書人』創刊号7面掲載の「雑誌」評より、正宗白鳥の評論*1


正宗 白鳥氏
明治二十年代、私の十年代の頃から、「雑誌」と名づけられたものを、毎月毎月読み続けるのが、私の習慣になっていた。手あたり次第読んださまざまな雑誌から受けた感化は甚大であるといってよかろう。「少年園」「文庫」などが最も早く親しんだ雑誌であった。それから進んで、当時の進歩的総合雑誌「国民之友」に心を惹かれて、最初のページから最後のページまで、一字一句残らず熟読したのであった。政治・経済・文学・宗教に関する知識を、分かってもわからなくても、この雑誌から受け入れたのであった。
■文学雑誌では「しがらみ艸紙(そうし)」「早稲田文学」「同志社文学」「文学界」


私が二十才前に読んだそれ等に雑誌は、いつも純粋性を保っていた。今日からみると内容は幼稚であったが、経営者編集者がアクセクと売れ行きばかりを考え、営利第一主義の悪知恵を働かせていることはなかった。無論ワイセツな話題をはさんで読者を釣ろうとするところはなかった。

私は、幸か不幸か、いつとはなしに雑誌を自分の職場とするようになり、一生、さまざまな雑誌に寄稿して、生活の糧を得たばかりでなく、文壇人として有力な地位にのし上がるようになったので「雑誌」を軽蔑する訳には行かないのである。雑誌学問、雑誌知識は、浅薄であるというのが、通りの相場であり、私自身も昔からそう思っているにかかわらず、絶えず雑誌を無視してならない気持ちになっている。余儀ない次第である。

自分に深遠な思想が宿っているのならそれを一巻の書として出版し、小説の形に於てでも誌に於てでも、世人を魅惑する力を持っていたら、単純に発表したらいい筈であるが、私は一生そういういさぎよい事を決行し得なかった。終始雑誌に寄食していたようなものだ。雑誌という合宿所に身を置いていたのである。

思想や文学の合宿所である雑誌は近年ますます繁盛している。私は、多年の習慣で雑誌を読んでいる。読んでいるといっても、寄稿の雑誌でも十数紙に達しているので、幼年時代少年時代のように、はじめのページから終末まで読み通すことの出来ないのは勿論である。パラパラとページをめくって、出たとこ勝負で、そこに出て来た何かを読んだだけで抛り出すことが多い。これも余儀ない次第である。

読みながら惹きつけられて、しまいまで読んで、ホット息を吐くようなことは稀である。殆どないといっていい。歳のせいで、感性が鈍っているのであろうがそればかりではないかも知れない。よくも悪くも、雑誌の経営主や編集者に昔のような純粋性がなくなって、売れ行きばかり考えて、事にあたっているためではあるまいか。

文学雑誌だけについていっても「しがらみ艸紙」「早稲田文学」「文学界」など、幼少の頃私の愛読した雑誌にはペテン師みたいなところはなかった。この頃のような時世でも、文学雑誌は売れないそうだが、あの頃は、はじめから売れ行きを無視した存在であったことはいうまでもない。

私は演劇研究家伊原青々園*2から聞かされたことがある。「坪内逍遥先生*3が早稲田文学を廃刊したのは、いつまで経っても毎月三十円づつの損失は免れないので、台所を引受けている令夫人から苦情が出たためである。早稲田文学廃刊の頃、三木竹二編集で「歌舞伎」という雑誌が創刊された。それは、安田善次郎*4の令息安田善之助*5が、月々三十円ほど経済助力をしたために、どうにか経営が成り立ったのだ。今から考えると、その三十円を早稲田文学の方に注ぎ込めばよかったかもしれぬ」

善之助は江戸時代の古本珍本を蒐集したりする趣味があり、青々園などとも懇意にしていたらしい。その三十円で早稲田文学が続刊されるもよかったであろうが、「歌舞伎」は我々芝居好きにとっては、甚だ意味ある雑誌であった。たった三十円の富豪のポケットマネーであんな面白い雑誌が出来たとすると、その三十円はいかにも費い栄えがしたといっていい。「しがらみ艸紙」「めざまし草」などは鷗外(鴎は旧字)などの小遣銭が基本であり、「早稲田文学」は逍遥の生活費から搾り出された三十円によって成立したとして、それ等の雑誌が文学社会の常識になったことを思うと、雑誌も馬鹿にされないのである。

今日は文学の世界も非常に広くなった。微々たる個人の雑誌が権威を揮(ふる)うことは出来なくなった。資本次第宣伝次第ということになった。しかし、夢想は我々人間に許されている。若し今日、微々たる雑誌としても、その雑誌の主宰者執筆者にして、往年の逍遥鷗外(鴎は旧字)を凌ぐような人物が出現して、その知脳文才を自由に発揮したなら資本力と宣伝力だけに物をいわせて大袈裟に振舞っている合宿的雑誌を睨み潰すような奇現象が起こらないものか。
(おわり)
*1:正宗白鳥(まさむね・はくちょう/1879年〜1962年)は明治から昭和にかけて活躍した自然主義文学の小説家、劇作家、文学評論家。
*2:伊原青々園(いはら・せいせいえん/1870年〜 1941年)は、演劇評論家、劇作家。本名は伊原敏郎(いはら・としお)
*3:坪内逍遥(つぼうち・しょうよう/1859年〜1935年)は、主に明治時代に活躍した日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。表作に『小説神髄』『当世書生気質』など。近代文学の成立や演劇に大きな影響を与えた。
*4:日本の四大財閥の一つ、安田財閥の祖。安田財閥は富山県出身の安田善次郎が設立した財閥である。善次郎は1921年(大正10年)9月27日に大磯町の別邸で暗殺されたが、約1か月後の原敬暗殺はこの事件に触発されたといわれる。前衛芸術家のオノ・ヨーコ(小野洋子)は善次郎の曾孫。ミュージシャンのジョン・レノンとの間に産まれたショーン・レノンは善次郎の玄孫
*5:安田財閥安田善次郎の長男。善之助は書誌学に造詣が深く蔵書家としても知られた。

1958年5月5日 新聞掲載(第223号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人アーカイブスのその他の記事
読書人アーカイブスをもっと見る >
Notice: Undefined variable: category_check in /var/www/dokushojin.com/htdocs/article.html on line 1945