〈6月〉二人冗語 居場所を探す女たち|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2017年6月6日

〈6月〉二人冗語
居場所を探す女たち

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馬場
 今回は定番四誌と季刊三誌です。新人賞掲載誌も複数あり、なかなかの数でした。
福島
 しかも力作ぞろい。なかでも居場所のない人々を描いた作品が目につきました。
馬場
 群像新人文学賞の優秀作二作は共にそうでしたね。上原智美「天袋」(群像)は、同棲していた男に一切合切持ち逃げされた主人公が、かつて一人で住んでいたアパートの合鍵を使って古巣に忍び込み、天袋に住み始めてしまうという話です。住人の声優志望の亜美の日常を観察しながら、アリエッティのように「借りぐらし」をしていたのですが、ある日、亜美のストーカーが部屋に侵入し、状況が変わっていくことに。江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」なみの異常設定ですが、乱歩の場合は、都会の新築ラッシュのアパート、こちらは、いまだ天袋が存在する古ぼけたアパートが舞台。
福島
 他人の部屋の天袋に隠れ住むなんて設定としてありえないと思って選評を読んだら、十年ぐらい前に実際に類した事件があったんですね。居場所がないにもほどがある…。ともあれ、天袋生活を説得的に読ませる語りの力、他人の行動を批評する主人公の分析力には舌を巻きました。これだけ怜悧に分析できてしまうと、その矛先が自分自身に向かったとき、自己否定の末、天袋に入るしかなくなったのも無理ないのかもしれません。
馬場
 唯一の計算違いは、ストーカー男のプライドを粉々にする計画が、効果覿面すぎて、亜美が刺殺されてしまったこと。ラストはその罪を主人公自らが引き受けて、天袋の外の世界に飛び出す。この展開は想定していなかったので驚きました。
福島
 実は、作品の最終段落ではじめて、「わたし」という言葉が使われるんですよ。それまでの主人公は外界を記述する描写の声に還元されていて、主体としての自分を名指していない。いくら分析力が鋭くても、天袋に隠れて見ているだけでは「存在」は決して得られない。しかし、ストーカーという他人の欲望(罪)を介してであれ、当事者になることを引き受けることで、主人公はついに「わたし」を取り戻す。その結果、「不審な女」としてではあるけれども、他人に見られる対象になる。本作は天袋を舞台にした再生の物語、黒いビルドゥングスロマンなのです。
馬場
 同じく受賞作の李琴峰「独舞」(群像)の主人公も、かなりきつい状況におかれてます。こちらは閉じこもらずに移動するタイプ。レズビアンへの憎悪からレイプされてしまう台湾人女性の話です。日本に留学・就職し、別の名前を生きながらも、結局はその過去から逃れられず、自死のための世界旅行に旅立ちます。
福島
 事件は主人公をマイノリティの中でも、さらなるマイノリティの立場に追い詰めます。日本でできた恋人にも忌避され、居場所がどんどんなくなっていく。
馬場
 問題はレズビアンというよりも、レイプによってそれを罪悪だと内面化させられてしまったことの方にあるように思えます。たとえば、その体験のせいで主人公は小説が書けなくなる。死の問題についても、小学生の頃の性の目覚めは、同級生の少女の死に魅惑されたときで、高校生で書いていた小説にはどうやら官能的な死の話が多かった。でも、事件にあって以降書けなくなる。
福島
 つまり、レズビアンという「秘密の花園」の住人として死ぬという美しい死、文学的なロマンティシズムも封じられるわけです。だから外国へ行くけれど、そこも逃げ道にはならない…。まあ、あらすじだけ見ると、やや携帯小説っぽい展開にも見えますが、作者が昨今には稀有な本気さで振り切り、がむしゃらに書いているのは確かで、その迫力は間違いなくこの小説の特質です。
馬場
 絶滅危惧種の文学少女です。
福島
 宮崎誉子「水田マリのわだかまり」(新潮)では、主人公マリは高校に居場所が見つけられず、三日でやめて洗剤工場で働き始める。ただし、この行動は自分に対する処罰願望みたいなもので、中学でいじめを苦にして自殺した級友の美輪へのわだかまりから、ぬくぬくと自分だけが高校に行っているのに耐えられなかったのでしょう。しかも、彼女の場合、そもそも父は競馬狂、母は毒母で家庭も決して安らぎの場所ではない。せめてもの救いは、(やや極端なまでに)優しい祖父母です。
馬場
 読み始めは、登場人物の極端さが、マンガのキャラクター風で気になったのですが…よくよく考えると、あそこまで歯に衣着せぬ会話が展開しているせいで現実離れしてみえるのかもしれません。たとえば主任の家に無理やり連れて行かれて、自己完結している娘と引き合わされたときの拒否反応が清々しい(笑)。置かれている状況はみんなシビアなんですけれど。
福島
 高校にも家にも居たたまれなくなって飛び込んだ工場ですが、そこのルールも全然人間に優しくない。工場内の描写はこの小説で最も感心したところで、機械的な流れ作業とそこに組み込まれた歪んだ人間関係のリアルな細部が読ませます。
馬場
 女受刑者ものみたいですよね。
福島
 結局、いじめの主犯だったリカにも毒母がおり、さらにその祖母の介護のストレス下にあったということがわかる。娘をだめにしてしまう母、また母とその母(祖母)という三世代にわたる親族関係が裏テーマとしてありそうです。ともあれ、物語の進展とともに、主人公は自分への処罰をやめることができるようになっていく。「お務め」を終えて女子高生に戻る決心をする。
馬場
 「女工哀史」ならぬ女工ワールドで、マリは自分の意志で外の世界に出られるわけで、かろうじて居場所を選択する自由が残されていたのかな。
福島
 今村夏子「白いセーター」(たべるのがおそい)は、同棲中の彼氏とクリスマス・イブの行き場所探しから始まったと思いきや、いつのまにか、自分の居場所すら失ってしまう話です。彼氏の姉とその子供たちとの行き違いから、恋人関係も砂上の楼閣のようにあっさり崩れていく。帰る家なんかどこにもない。夜のどぶ川の側道ですれ違う大きな袋を抱えたホームレスは、皮肉なサンタクロースであるとともに鏡に映った自分自身の姿です。いずれも家庭の象徴である子供たちから「でていけーっ!」と大合唱される対象なのです。
馬場
 この作家は、悪意ある悪意と悪意なき悪意の境界を描くのがうまいですね。読後に背筋が寒くなります(笑)。ちなみに、行き場がないのは、女子だけの問題じゃないですよ。高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」(群像)は居場所がない人々の集まりを描いた話ですが、結局、みんな次々と自殺していく。理由はだいたい、処罰願望、親族からの虐待、そして自死していった人への罪悪感…。
福島
 彼らの「朝の会」という居場所作りも結局は崩壊していきますね。まあ居場所なんて、もともとどこにもないのかもしれません。ただ、幸いにも居場所を見つけている人もいます。中上紀「天狗の回路」(早稲田文学)は、父の健次が語った男の暴力というテーマを外国出身の自分の夫を事例に語り直しています。中上家にとって、男は暴力の象徴でしかなく、女たちはそれに振り回されるばかりです。自分の息子ですら、学童保育で粗暴に暴れていると書いていますから、本質的に男は災厄の元凶です。ただし、本作の女主人公には、抵抗の拠点がある。一つは、健次の仕事場だった紀州の「田舎」のマンション。そして、もう一つはSNS上の女たち。この二つが主人公の居場所となっています。
馬場
 そうですね。この主人公はもうキッチンが居場所じゃないんです。冒頭はキッチンで始まりますが、最後は作家の仕事場で終わる。女の居場所はやはり仕事なのかな?(笑)。

2017年6月2日 新聞掲載(第3192号)
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