ナチズムは夢か ヨーロッパ近代の物語 / 南 利明(勁草書房)畢生の大作、稀有な力業  近代の起源から始め視野の届く限りナチズムの現代性の問題地平まで分け入り切り込む|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年6月12日

畢生の大作、稀有な力業 
近代の起源から始め視野の届く限りナチズムの現代性の問題地平まで分け入り切り込む

ナチズムは夢か ヨーロッパ近代の物語
著 者:南 利明
出版社:勁草書房
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近代性の真の姿とナチズム体制の本質を抉り出さんとする畢生の大作、稀有な力業である。「ジェノサイドは近代的権力の夢であった」というM・フーコーのテーゼを手掛かりに(序)、はたしてジェノサイドは近代の、それとも反近代の夢だったのか、その起源は、理性の否定あるいは自己崩壊、はたまた理性の発現にあったのか、こうした選択的問いを劈頭投げかけ、フーコーの命題に対しては本書全体を通じて肯定的に判断するというスタイルをとっている。上記問いに接近するためには、近代とは何か、理性とは何かをあらためて問わなければならないとして、まず第一部は「夢のはじまり」副題「ヨーロッパ近代の相貌と本質」、第二部は「夢の展開」副題「ナチス・ドイツの憲法体制」、そして最後はごく短い「夢の結末」という構成になっている。

著者にとって、さまざまな領域を通底するヨーロッパ近代なる現象を刻印し定礎づける「形而上学」は、結局のところ、自己の意思と力の貫徹に相応しい最適の国家を求める権力主体のそれに帰着するのであるが、そうした統治が、より強く健全な種からなる人口集団の創造(人種改良)に向け整序され投入される局面において、近代という時代が愈々その正体を露わにするという(三六九頁)。

ルネッサンスにおける芸術と技法の問題から説き起こして、最終的には、ジェノサイドを生み出す全体主義権力の問題にいたるという、本書のような連続的直線的ネクサスの行論構成をとったナチズム近代化論は、邦語では初めてのもので、いたって注目されるが、ナチズムの「反近代」的側面を否定する(ゲッベルスはじめナチ体制が盛んに喧伝した、フランス革命抹殺も、額面通りに受け取ってはならないとする)著者の二者択一的把握は、評者には、もっと複雑な近代性のヤヌス的あるいは複合的相貌に関して、またナチズムそのものについても、近代性に対するアンビヴァレンス、両義的で矛盾した構えに関しての対質的な考察がなされてようやく説得性をおびるのではと思われるが、いかがだろうか。
「安楽死」殺人や「最終解決」(ホロコースト)も「反合理性」の表現とは言い切れないとされているが、政治的近代システムとしての議会制民主主義が(ヒトラーを政権に就かせた権威主義的反動派のパーペンによる「クーデタ」(一九三二年七月二〇日事件)によって廃棄されるまで)なお機能している限りは、「断種法」さえ成立させなかったヴァイマル共和国期プロイセンの例等も参照されて然るべきではなかろうか。いずれにしても近代性とそれをめぐるナチズムの歴史的定位という根本問題についてあらためて再考を促す著者の大胆なアプローチには敬意を表したい。

また後半のナチ法体制や政府の政治構造に関してこれほど詳細な考察も日本では未曾有のものであり、貴重な先鞭をつけたものと評価できよう。もっとも、ナチズムの法概念と法源に関しては、近代法・近代主権国家との関係が必ずしも本書では明確化されていないように思われる。

立憲主義、「法の支配」を破壊・廃棄するためヒトラー・ナチスが二月二八日大統領緊急令(本書では「民族と国家を保護するための大統領令」)および三月二三日全権授与法(一般的訳語は「全権委任法」)を重大な起点としていたことは、専門家の間では周知だが、初期段階では、法律自体を否定していたわけではないし、体制秩序を形成維持していくためには、手段として寧ろそれを不可欠としていた点にはあらためて注意してみる必要がある。全権授与法に賛成票を投じた、中道保守政党は「われわれが同意しなかった場合、ヒトラーはただちに手荒な暴力的手段を行使したことでしょう、その場合、予測することのできない結果を惹起する恐れがあったのです。全権授与法に同意しなければただちに彼らは予想もしえないような暴力行為に訴えるであろう、われわれはそのように考えたのです」と後に述懐したように[傍点部分は評者訳](本書四〇五頁では「法律がなくとも」という訳語になっているが、これでは意味が通じない――評者)、全権授与法があってもなくても左翼以外の政党に対しても暴力が振るわれると危惧されたのではなく、この法成立によって秩序は守られると他政党が判断したから法案に賛同した面もあるという事態理解が肝心なところである。本書が、ダイナミックに戦争体制へ向かって変質していく以前の比較的初期段階のフーバーやケルロイター等ナチ法学者の言葉を引きながら、早々とナチ国家の「無法律体制」が構築されていたかのような印象を与えかねない展開になっているのも正直気になるところである。

国民一人ひとりの生の全体を微視的な領域にまでわたって監視管理し、訓育と育種によって新たな人間類型を生み出し、地球支配をめぐる世界観相互の最後の戦いに向けて総動員する、巨大な機械装置の起動・運動を可能ならしめる統治国家を完成していく独裁者の役割をナチ党「指導者」にあてがう本書の見方が、ファシズム論よりは、ヒトラー中心史観に立つ点は、一九九八年の大著と基本的に変わっていないように見受けられる。もちろん国制的には帝制、君主制ではない、「第三帝国」が、ナチ党による一党独裁体制における「指導者」ヒトラーへ「絶対的権力」を賦与していた点は、世界の共通認識だろう。問題は「絶対的権力」の実態、実際如何であり、現在このメカニズムの深層が判明しているのはまだ輪郭程度といっても過言ではない。

戦後のニュルンベルク国際軍事裁判やそれに連接しておこなわれた米軍政府による継続裁判では、すでに終戦前自殺して裁判には登場しなかったヒトラーについて、被告席に座らされた他の国家・党指導者や軍人たちは各々自らの免責を図るためにもこの「指導者」を過度に「絶対化」「全能化」しようと努めた。その分、裁判史料も鵜呑みにしないで批判的に読まねばならない。本書が、ナチ国家の政府内政治の問題について、わけても従来邦語文献では殆ど検討が加えられていなかった、ライヒ官房長官ランマースのヒトラーとの権力関係について、国際軍事裁判における証人としての本人の証言等も引用しながら、検討しているのは貴重な試みである。しかしここはさらに厳密な史料的吟味が欲しいところでもある。継続裁判では一転被告人になったランマースの、国際軍事裁判よりもはるかに重要で分量も多い陳述に関する参照もみられない。

「弱い独裁者」という言葉さえ用いて、ヒトラーも制御しえなかったナチ体制内部の「権限のカオス」がもたらした動態を重視するH・モムゼンやブローシャートを筆頭とする所謂「機能派」よりも、全体主義論に立つL・グルッフマンやレーベンティッシュの研究を本書が多用偏重している点も無関係ではないと思われる。一時はヒトラーの後継者とされ、ナンバー・ツーと称されたゲーリングについても、「四カ年計画全権受託者」(ヒトラーの「最高協働者」)に任ぜられ、党と国家の外に、それらを超えて立ち、指導者から与えられた任務実現のため、指導者に代わって、その課題に関わる一切の党の機関および国家の管轄官署を監督し、動員する、ミニ指導者権力とでも呼ぶべき全権を手に入れた、としている(六九六頁)が、「首相ゲーリング」という奇妙な肩書が「ライヒ首相」ヒトラーとどんな関係になっているのか、不明としながら、並び立つのも不思議ではないとも述べている。ゲーリングのこの肩書は「プロイセン首相」の省略形とみなすべきものであるが、プロイセン首相に対するライヒ首相の優位という関係自体に矛盾はない。上記「プロイセン・クーデタ」以降さまざまないきさつを経てプロイセン首相になっていたパーペンに一九三三年四月彼がとってかわった点も付言しておきたいが、ゲーリングひとりとってもホロコーストへの関与の全容が解明されているわけではないというのが研究の現状であろう。

さらに史料操作について一言。ラウシュニングの『ヒトラーとの対話』が本書では重要基礎史料の一つとして扱われているが、「対話」は実際にはなされておらず、その点が明らかにされた一九八三年以降ドイツの史学界では現代史資料としては利用に値しないものとされている。以上些末な評言をいくつか並べてきたが、近代の起源から始め視野の届く限りナチズムの現代性の問題地平まで分け入り切り込もうとした、本書のかくも遠大な射程に感銘を受けたことにかわりはない。

この記事の中でご紹介した本
ナチズムは夢か  ヨーロッパ近代の物語 /勁草書房
ナチズムは夢か ヨーロッパ近代の物語
著 者:南 利明
出版社:勁草書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年6月9日 新聞掲載(第3193号)
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