連 載 映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(10)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2017年6月13日

連 載 映画/映画作家/映画批評
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(10)

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ドゥーシェ(中央奥)、その左隣にギィ・カヴァニャック監督、右端に蓮實重彥氏(1996年撮影)
HK
 ドゥーシェさんのシネクラブに選ばれる映画作品は、チャップリンやドイツ時代のラングからアラン・ギロディやリサンドロ・アロンソまで、歴史的にも地理的にも様々な映画作品が選ばれています。どのようにして映画作品を取り上げているのでしょうか。
JD
 何よりもまず、私が良いと思った作品を取り上げています。作品を選ぶ最初の手順は、その作品を見られる状態にできるかということです。もし作品を見ることができないのならば、その後の準備をすることが無駄になってしまいます。決して良くない状態で保存されている作品も少なからずありますからね。この段階では、取り上げるかもしれない作品のリストをシネマテークの側に渡すだけです。次の手順は、私の仕事です。『カイエ』やシネマテークですでに私がした仕事を見返します。つまり過去の作品が現在の関係において何が変わっているのか、その作品に何か新しい観点が生まれているのではないかということを考えます。そうでなければ国に関係なく現代映画の中から面白いと思ったものを取り上げます。実を言うと、これから先、シネクラブで韓国映画をもう少し取り上げたいと思っています。すでに日本映画は非常に多く取り上げています。中国の映画も少なからず、取り上げました。しかし韓国のものに関しては、面白いものがあるにも関わらずあまり取り上げる機会がありませんでした。
HK
 ドゥーシェさんが多く取り上げている「中国映画」は台湾のものですね。
JD
 そうですね。アジアの国々では、日本映画に次いで台湾の映画が好きです。私にとって中国の最も偉大な作家とは、長年に渡って侯孝賢と楊德昌です。楊德昌には山形国際映画祭で会う機会がありました。山形の最初の年の審査委員長がダネーで、その2年後に私が審査員長でした。楊德昌が同じく審査委員のメンバーで、会う機会がありました。侯孝賢と初めて会ったのも日本でした。小津安二郎のシンポジウムが東京であって、彼もそこにいたのです。そこでは蓮實重彥とも一緒でした。
HK
 どのようにしてドゥーシェさんは批評家として映画を分析する能力を得たと思いますか。『カイエ』の始まりの時期にはバザンがおり、その後も哲学的でありながらもダネーの世代がいました。さらに下の世代になると、映画を分析できる人が徐々に減っています。映画を使って経済学とか社会学を語る人は増えていますが。
JD
 おそらく映画を見るという行為の中から得たのだと思います。それに加えて映画を作った経験から得た部分もあるはずです。その二つの経験が影響しているところが少なからずあると思います。

私が侯孝賢の映画を何よりも好きなのは、このことが理由です。彼の映画においては、今日における、映画を見る、つまりいかにして映画が生成するのかを見ることができます。どうしてこの映像が前のあの映像に続くのか、どうしてこの映像群が必要なのか、どうして別の映像であってはいけないのかということです。これが映画です。このような生成の結果、やっと一人の監督が映画作家として私たちの眼前に現れるのです。脚本や答えありきの主張のような、すでに書き示されたことを、ただ単に映像に置き換え説明するだけでは、そこに映画が生まれることもなく、何の面白みもありません。
HK
 どのようにして、そうした映像の連なりが映画作家の作品の中で機能するのでしょうか。ここで言われている連なりは、単純に切り返しや長回しのような技術的問題ではないことは容易に想像がつきます。
JD
 ありとあらゆる映像に言えることですが、一つのショットとはそれ自体で何かをいうために作られているのではありません。一つのショットとは可能性として作られているのです。私たちが理解しなければならないのは、この個々のショットではありません。物語とは、物語をさらけ出していくショットからショットへと繋がる運動の中に見出されなければなりません。非常に多くの平凡な映画は、脚本に書かれた内容を再現するためにシーンを並べていくだけです。つまり、とあるシーンがあり、その話の続きを見せるためだけに別の映像を繋げるということです。シナリオに書かれたことをそのまま映像に置き換え、そして舞台のような場面を描くだけです。要するに物語を語るためだけにショットがあるということです。

〈次号へつづく〉
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕

2017年6月9日 新聞掲載(第3193号)
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