光森裕樹『鈴を産むひばり』(2010) ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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現代短歌むしめがね
2017年6月20日

ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか
光森裕樹『鈴を産むひばり』(2010)

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現代短歌の主要な方向性のひとつとして、普段はこの現実社会の陰に隠されている部分を言葉によってあらわにしてみるという手法がみられる。穂村弘は「ないことにされているものを見る」という表現をしている。そしてそういう歌であらわにされる陰とは、死や暴力、悪意といったものであることが多い。

光森裕樹のこの歌も、典型的なそういうタイプだ。ドアの鍵をあけるという日常的な動作から連想して、「どれくらいのふかさまで刃を刺しこめば人間を刺殺できるのか」という想像力を羽ばたかせている。鍵穴なんてそんなに深いものじゃないはずと感じながら日々生活しているが、考えてみるとそこには日常の想像力の埒外にあるブラックボックスが広がっている。

だからこの歌で問いかけられているのは、殺人を犯す人間と犯さない人間とを隔てるものはほんの紙一重でしかないのではないかということだ。日常動作と変わらない行動が、相手が鍵穴であったか人間の腹部であったかだけで大きく結果を変えることになる。犯罪者に対して「他者に対する想像力が働いていない」なんて批判が向けられることがしばしばあるが、どの程度のことをしたら人は死ぬのかという境界線なんて、完璧に理解できている人の方が珍しいはずだ。「殺す」という行為は日常の中で「ないこと」にされているのが常識だ。しかしそんな常識がどれほどもろいものであるかを突きつける。まさに刃先のような鋭さを持った一首である。
2017年6月16日 新聞掲載(第3194号)
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