〈老い〉の営みの人類学 沖縄都市部の老年者たち / 菅沼 文乃(森話社)新しい地平を切り開く  老いの現代性を浮かび上がらせる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年6月19日

新しい地平を切り開く 
老いの現代性を浮かび上がらせる

〈老い〉の営みの人類学 沖縄都市部の老年者たち
著 者:菅沼 文乃
出版社:森話社
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「老い」が世間の注目を集めている。その背景には高齢者の数の増加という単純な事実がある。二〇一四年には総人口に占める六五歳以上の割合が二六・〇%に達した。俗にいう「高齢化社会」の到来である。しかし、高齢化社会とは、単純に高齢者人口増加の事実を指す言葉ではない。注目すべきは、その量的変化が、老いをめぐる語りの質的変化をもたらしたことだ。

本書は、語りの変化の要因として、老いの「社会化」をあげている。まず家族機能の変化、経済発展と人口移動が誘因となって高齢者の数が増え、その結果として福祉制度が必要となったわけだが、そのプロセスを経て老いは「社会で対処すべき問題対象」となった。老人福祉法の制定以来、六五歳という、それ自体は恣意的な年齢規定が、高齢者の指標として人びとの間に定着したことも老いの可視化につながった。

ネガティヴな「老い」のイメージが拡散した背景には、戦後の高度経済成長の影響もある。業績原理の導入と生産に必要な知識の変化が、指導者としての役割を高齢者から奪い、結果的に「高齢者=非生産者」という意味付けが定着した。本書は、高齢者が老人福祉の対象と名指されることで社会的な「実体」となったことを指摘する。老いは、さまざまな〈力〉が働くことによって構築された歴史的産物なのだ。

著者は、安易に老いを語ることの暴力性についても充分に意識している。たとえば、「老人」や「高齢者」という言葉にはすでにある価値観が織り込まれていて、暗に当該社会の「お荷物」というニュアンスが含まれている。本書では一貫して「老年者」という言葉が使われているが、それは本質主義的な語りの枠組みから脱却し、老年者を「生の背景ごと包み込んで拾い上げたい」とする著者の姿勢の現れである。

本書の最大の特色は、老いを「行為」としてとらえることで「老年者が主体的な行為を積み重ねて老いを獲得していく課程に焦点をあてたこと」にある。研究の対象はしたがって、ある社会的属性をもつことで特定のカテゴリーに回収される老年者一般ではない。著者の目は、「個別の生のなかでそれぞれに経験される」老いに向けられている。老いは社会的・歴史的な現象である前に、すぐれて個人的な〈生〉に関わることなのだ。

著者はフィールドワークの対象として沖縄県那覇市の辻・若狭地区に住む老年者を選んだ。これまでの研究に多く見られた伝統的な農村共同体ではなく、都市部が選ばれたことで、本書は老いの現代性を浮かび上がらせることに成功した。著者によると、沖縄における老いのイメージは、琉球王府時代の敬老思想や長寿儀礼に起源をもち、社会が期待する役割によって規定されてきた。その一方で、日本社会によって制定された福祉理念が浸透する中で、保障されるべき老年者という認識に回収されていくことにもつながった。

著者によると、辻は三つの点において特殊な社会を形作ってきた。第一に、この一帯は琉球王朝の時代には外国からの客人をもてなす遊郭であり、戦後は隣の若狭地区とともに沖縄を代表する歓楽街となった。しかし今では、その一帯にかつての賑わいを見ることはない。第二に、戦後の辻は、土地とつながりのない移住者による共同体として発展し、そして衰退してきた。第三に、辻には地域の高齢化と相関する社会的変容がみられる。著者は民族誌的記述を駆使して、個人と老いの接点を見つめていく。

行政が準備するさまざまなプログラムを利用しながらも、老年者はときに流れに抗う道を模索する。そこに新たな老いの形態があることを著者は見逃さない。辻の短期賃貸アパートに計一七ヶ月も住み込んで、老年者たちの生に寄り添ってきた著者ならではの発見と言えるだろう。老いを主体的な「行為」としてとらえ、辻の老年者の生き様をその全体性において描き出した本書は、老年者研究のみならず、沖縄研究にとっても新しい地平を切り開いたと言えるだろう。
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2017年6月16日 新聞掲載(第3194号)
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