亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡 / 亀井 俊介(研究社)堂々たる「ある文学者の肖像」 いまなおラディカルきわまる文学思想史的研究への意志|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年6月19日

堂々たる「ある文学者の肖像」
いまなおラディカルきわまる文学思想史的研究への意志

亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡
著 者:亀井 俊介
出版社:研究社
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「あなたの仕事は亀井俊介の系統だね」と言われたことがある。一度や二度ではない。亀井氏ご本人もどこかでそのように洩らしておられたと聞く。わたしは氏とは親子ほどの年齢差があるうえに師弟関係がなく、たんなるSFオタクから出発してアメリカ文学者および批評家になった人間だから、当初は意外な評言に聞こえたものだ。ところが、いつからか氏の著書が少なからず書評に廻って来るので熟読するうちに、ひいては氏の編著にも参加を命ぜられるうちに、必ずしも師弟関係を前提にせずとも連綿と受け継がれる学問的系統というのは確実に存在するのだということを、ようやく実感するようになった。我が国を代表するアメリカ文学者であり比較文学者、しかも大衆文化研究者として亀井氏が切り拓いてきた知的フロンティアは、たしかに大枠ではわたし自身とも重なる。こう述べるのが不遜なら、亀井氏の長年の仕事に――学問的無意識とでも呼ぶべきか――わたし自身が知らず知らずのうちに多大なる恩恵を被っていたのだと説明すれば、より正確だろうか。今世紀に入ってすぐ松柏社編集部から「アメリカ古典大衆小説コレクション」なる叢書を出すので、未訳ないし新訳の必要な傑作を選定し、亀井氏とともに共同監修を務めよと言われた時に作業をご一緒したのは、まことに楽しい思い出であった(http://www.shohakusha.com/result.php?field=sub_cate_a01&key=b0202&key_m=?)

それにしても、亀井氏が開拓したのはどのような学統なのか。現代風に言えば、古典と通俗とを区別せず、文学研究と文化研究の交錯地点で仕事をするタイプということにまとめられそうだが、もちろんそれだけにとどまらない。ちょうど亀井氏がデビュー作『近代文学におけるホイットマンの運命』に一種のオトシマエをつけるつもりで書かれたのであろう前著『日本近代詩の成立』(南雲堂、二〇一六年)も書評する機会があったのだが、そこには明らかに、旧来の正典研究やジャンル論的研究を批評的に問い直し活を入れてやまぬ、それこそいまなおラディカルきわまる文学思想史的研究への意志が横たわっていた。

そんなことを考えているところへ本書が到着し、そのあまりのおもしろさに、一気に読み切ってしまった。亀井氏はこれまで自伝的著作としては一四年前に『ひそかにラディカル?――わが人生ノート』(南雲堂、二〇〇三年)を出しているが、そちらがいささかざっくばらんなエッセイの集大成といった感触だったとすれば、今回の『オーラル・ヒストリー』は一文学者の成立をめぐって自伝もあれば自作分析も、同僚や高弟による評伝もあり、それが細やかな編集の手捌きで精密に体系化された結果、堂々たる「ある文学者の肖像」になっている。

本書は三部構成。第一部「時代を追って」(第一章~第五章)は一九三二年に岐阜に生まれ、幼年時代にはクラスの寄せ書きに「見敵必殺」とすら記す軍国少年だったのが、四五年に終戦を迎えたのちに民主主義へ転向、アメリカ文学者をめざし東大教授、岐阜女子大学教授になっていく純然たる自伝。第二部「著作を追って」(第六章~第八章)は代表作のうちより『サーカスが来た!』『アメリカ文学史講義』全三巻、そして『有島武郎』を選び、それらが書かれた時代環境をふりかえる回想録。そして第三部「学びの道を顧みて」は第九章「わが極私的学問史」のみから成っているものの、そこに盟友・川本皓嗣教授のインタビュー、高弟・平石貴樹教授のまことに力のこもった亀井俊介論が併載されるという編集の妙技が発揮され、とりわけ後者では亀井氏の本質にホイットマン的反知性主義と戦後民主主義そのものを喝破しているのは慧眼というほかない。

思えば、かねてより自身を「都会の俊秀」とは違う「田舎者」と定義し、東大名誉教授にもかかわらず一時東大の代名詞のようになった「知の技法」を毛嫌いしてきた亀井氏を、わたしが慶應義塾大学文学部設置総合講座「情の技法」や日本アメリカ文学会シンポジウム「アメリカ文学と反知性主義」に引っ張り出したゆえんも、そこにある。そうした席においても、亀井氏が「情の技法を語る論者の知」や「反知性主義を語る者の知性主義」を俎上に載せていたのは、むしろ痛快であった。この逆説にこそ、アメリカ文学の精神史そのものの秘密が潜むからだ。ひとりの戦後日本を代表するアメリカ文学者が自己の歩みそのものによってアメリカ精神の真実を掴み取ったとすれば、それは偶然の僥倖といえるかもしれない。だが、さらに亀井俊介がそこで得た成果を元手に日本文学や大衆文化を把握する準拠枠をも知らず知らずのうちに変革してしまい、後続する者たちに影響を与えたとすれば、あとには明らかにひとつの学統が生じている。いまなお、必ずしも広くは見えていないかもしれない。だが、それはまぎれもなく、いまそこにある。
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2017年6月16日 新聞掲載(第3194号)
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