連 載 映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(11)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2017年6月20日

連 載 映画/映画作家/映画批評 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く(11)

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受講生を前に講義するドゥーシェ
JD
 私が好むのは、矛盾し合うもしくは完全に関係のないショットです。物語というものは、ショットが連関していく流れによって生み出されるものです。映像によって語られる物語は、シナリオの中にある物語とは別のものなのです。私が作家の作品を分析する際には、各々のショットが物語の一部を構成していきます。そしてその総体が、作品の物語を作り上げるのです。映画作家は映画の言語によって、映画の生成によって、物語を語ります。前もって存在している物語、つまりシナリオを例証するために映像に置き換えるようなことはしません。
HK
 映画作家は自身の行なっていることを把握しているのでしょうか。
JD
 音楽家であれ小説家であれ画家であれ、一人の芸術家とは、自らの言うこと、自分の作品については理解していないのです。つまり、作家がとある道筋で何かを示しても、実際には別の場所を通過してしまいます。時には自らがしていることについて理解していることもありますが、しかし多くの場合には解らないのです。

葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』を例にとりましょう。北斎は、解らないということを分かっていました。理解しなければならないのはこのことです。重要なのは、表現つまり印象的知覚です。つまり知的認識ではなく印象による内的認識が問題なのです。そしてこの印象による認識を形作るもの、それがフォルムです。あの有名な「波」の絵に戻りましょう。非常に力強いものであることは明白です。一目見るだけで力強い波があることがわかります。その波による印象は官能的な感覚を引き起こします。そして知的な認識をも引き起こすのです。多くの場合、感覚による認識と知的な認識は同時に起こるのではなく、別個の問題として生じます。しかし時に、その二つが一体となって現れる場合があります。それが本当に偉大な芸術家の仕事です。そのような偉大な芸術家であっても大抵は作品を単純に理解しているだけであり、無意識のうちに様々な要素を作品の中へと入れているのです。完全な無意識ではありませんが、それでも知らないものとして行なっているといった方が正確です。偉大な芸術家が知っているのは、ただ単純に「物事がそうである」と感じることです。つまり、多少は物事については分かっているのですが、そのことは大した問題ではありません。重要なのは「ただそうである」ということを感じることだけです。このような経緯によって、私たちは芸術の中にいるのです。

作品を認識するためには二つの方法があります。宗教に続くようにして現れた、かつての世界の認識法について話をしているのではありません。宗教による方法は今日においてさほど重要な問題ではありません。二つの認識方法とは、科学的方法と芸術的方法です。科学的認識とは外的な理解です。観察者としての私は、一つの対象を選びます。その選んだ対象を、素材やフォルムなど必要だと思うものを分析しながら、客観的に観察します。つまり、物事がいかにして成り立っているか、いかにして制作されたのか、ということについての思索です。芸術とはいかにして物事が成り立つかということについての内的な認識なのです。芸術とは子供による認識なのです。その一方で科学とは観念による認識です。つまり作られた観念を積み重ねていくことで成り立っています。科学による理はいかなる場合も、芸術による理となることはできません。芸術の理とは別の仕組みなのです。このような認識方法は非常に難しいものです。なぜならば、芸術をそのままに感じとるということを受け入れなければならないからです。加えて複雑さに拍車をかけるのは、科学的認識と芸術的認識が完全に別個のものであるにもかかわらず、科学において対象の内的認識を持ち、芸術において外的な認識を持たずにはいられないということです。この問題は少し込み入っています。いずれにしても、二つの認識方法が互いに存在し合っているのは間違いのないことです。
HK
 ジャン=マリー・ストローブは、作品に関する質問には「自分よりも作品の方が聡明だ」と返事をし、質問に答えないということがよくあるそうです。
JD
 そのことに関してはストローブに強く同意をします。偉大な作品というものは作家の理解を超えたところに行ってしまうことが多くあるのです。

〈次号へつづく〉
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕
2017年6月16日 新聞掲載(第3194号)
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