対談=田島泰彦×斎藤貴男 融解したジャーナリズム 「共謀罪」法案成立の背景にあるメディアの危機|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 特集
2017年7月6日

対談=田島泰彦×斎藤貴男
融解したジャーナリズム 「共謀罪」法案成立の背景にあるメディアの危機

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ジャーナリストの斎藤貴男氏が『国民のしつけ方』(集英社インターナショナル)を上梓した。刺激的なタイトル同様、内容も政権によるメディアへの圧力やメディア自身の姿勢について言及している。一方、憲法学者の田島泰彦氏は編著書『物言えぬ恐怖の時代がやってくる』(花伝社)を上梓。こちらもサブタイトルに「共謀罪とメディア」と付し共謀罪によって市民社会が脅かされる事態についてメディアの立場からの報告と討論をまとめている。この刊行を機にお二人に対談をお願いした。共謀罪法案成立の二日後に対談を収録した。 (編集部)

2017年6月15日、16日の新聞朝刊の紙面より

オオカミ少年になれたら

田島
 共謀罪法案が六月十五日朝に参議院本会議で可決されました。共謀罪とは、ごく簡単に言うと犯罪の実行行為がなくても計画するだけで処罰される仕組みです。これによって市民監視を加速するのではないかと指摘されていて多くの団体、組織が反対声明を出していました。正直に言うと、私はこんなにすぐには成立出来ないとある時期までは考えていたんです。

二〇〇三年に法案が提出されて、これまでに三度否決されていた。他の立法に比べるとハードルが高いと思っていたし世論やメディアの対応もシビアなところがあったでしょう。それがどうして変わったのかを考えるとオリンピック開催が関係していると思います。オリンピックをするためにはテロ防止が必要だと政府が言うようになってからですね。街頭アンケートをとると賛成の中で、テロ防止のためという声が多くを占めている。意外と政府の言っていることが市民に届いているんですね。ただ中身がどういうものかまでは伝わってはいないのですが。
斎藤
 私はオリンピック開催が決まった時点で、政府がそれまでに準備してきた国民を“しつける”政策が一気に来ると思いました。国策イベントの成功には不可欠だと政府が主張しているものに異を唱える輩は非国民だとされるような空気が、間違いなく醸成されていきますから。9・11以降の、テロ対策だと叫びさえすれば何でも通る状態が、オリンピックで決定的になった。オリンピックは世界中のどこでも、治安強化の口実にされてきました。すぐにも軍事目的に転用できる最新監視技術の見本市です。私が最初に田島さんにお会いしたのは住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)の頃ですよね。あの前後から、監視カメラや顔認証、GPS等々が次々に実用化されてきた。それら個々の監視技術を山手線の駅に例えれば、線路は私たちが欲しいとも言っていないのに“マイ”ナンバーと呼ばされている国民総背番号制度です。それで相互に繋げられたところに、共謀罪という大電流が流れ込んだ、そんな感じですね。私はずっと警鐘を鳴らしてきましたが、結局、何の力にもならなかった。オオカミ少年になれたらよかったのですが。
田島
 ある時期から我々が考えているよりももっと相手の方(政府や権力)が先行していると思い始めましたね。メディアも途中までは批判していたけれど、経緯を見ると最後は政府と同じ方向に向かっている。住基ネットの頃はメディアでもきちんと議論をして批判的な論調でした。それがマイナンバー制度の頃にはコロッと変わってしまった。今回もテロという言葉が出ると政党も大部分が同調してしまうところもある。
斎藤
 権力による監視を容認するか否かは思想信条の以前の問題だと思います。少なくとも右左の問題ではない。だって、仮に再び政権交代があったとして、現在の野党が直ちに共謀罪を廃止してくれるでしょうか。権力にとって、あれほど強力な武器も珍しいのですから。北朝鮮やかつてのソ連、赤狩り時代および9・11以降のアメリカ、本質的には何も変わりませんよ。

国民総背番号の発想が戦後初めておおっぴらになったのは私が小学生だった一九六〇年代末でしたが、子ども心にものすごく考えたのを覚えています。当時はマスコミも野党も労働組合も市民運動も全部反対して撤回させたので、こんなものは永久に出て来ないだろうと安心していた。ところが一九九六年頃に突然、「プライバシーものを」という依頼が来て、手探りで取材を始めたらぶつかったのが住基ネットの計画だったんです。新聞も初めは昔の延長で反対していたのですが、政府が設置した審議会や懇談会に各社の論説委員クラスがどんどん登用されて、その時点でざっと半分が賛成に転じてしまった。反対が目立つようになったのは施行直前になってから。アリバイ作りでしかないと思いました。また子どもの頃と違うと感じたのは、みんなが、特に若い人ほど、番号で管理されることに抵抗がなくなっていたことです。携帯電話やパソコンに慣れ過ぎた結果、番号で管理されるのが当たり前だ、みたいな。ある編集者に「なんで背番号制が悪いの?」と聞かれて、何よりも「番号扱いされるなんて気持ち悪いでしょ」と答えたら、「今だって俺たちサラリーマンはそうやって管理されてるんだよ」と言われてしまいました。それとこれとは次元が違うのに。
田島
 住基ネットとの関わりもあり個人情報保護法導入に一気に同調するようになり、朝日、毎日など新聞が政府の提案を支持する社説を出していた折り、私もそこの新聞記者たちにおかしいと言って、一時期は政府と距離を置くようになった経緯もありました。民主党(現・民進党)政権の時にマイナンバー制度の議論を始めましたよね、税と社会保証などとして。
存在意義は権力のチェック

斎藤 貴男氏
斎藤
 番号がないから日本の社会保障は貧弱なんだと刷り込む演出でした。だけど、そんなもの初めから見え見えの嘘。そもそもサラリーマンとそうでない人は税も社会保障の体系も全然違う。消えた年金問題がきっかけみたいに伝えられていますが、それが総背番号の口実になるには飛躍があり過ぎるのに、まともに反論した報道はなかった。消費税増税はそうやって決められ、二〇一四年四月に八%に引き上げられたわけですが、そのわずか五か月前の二〇一三年十二月には、社会保障制度改革プログラム法が成立して、社会保障が「公助」ではなく「自助」のサポートだという位置づけに代えられてしまった。自己責任論ですね。

昨年「年金カット法」が強行採決されましたが、今後も社会保障の縮小が進められていくでしょう。社会保障の充実が謳われて消費税率が上がったのに、どうしてそういう話になるのか、大概の人は知りませんよ。それでもメディアは批判どころか、解説もしない。監視社会のA級戦犯はメディアです。権力が民衆を監視したがるのは自然の成り行きですから。
田島
 自民党であれ民進党であれ政権に対してメディアがどうスタンスを取るかが問われている。斎藤さんが本にも書いているけれど「番犬ジャーナリズム」ですよね。
斎藤
 ジャーナリズムの最大の存在意義は権力のチェックです。
田島
 それをまったく忘れていますね。共謀罪の一番の核心は、人間が集まって議論して体制に抵抗する“かもしれない”組織や集団もターゲットになる話だと思います。一人の人間というより、良からぬ集まりをしている人間たちがいて、それが色々と議論をして批判や抵抗も含め良からぬ行動を犯罪という形で共謀し、計画する。その良からぬ集団を潰すのが核心です。権力にとって良からぬ集団には、テロや犯罪集団だけでなく、政府や巨大企業への批判的、反対的集団や結社も含まれます。そうすると名前は違えども治安維持法の発想と同じです。
斎藤
 まるっきり一緒です。
田島
 そういうのを政権は本気で考え始めているんですよね。メディアの論調を見ていると、結社の禁止や組織を潰すという議論はあまり無くて、内心の自由やコミュニケーションの自由を規制するのはけしからん、というものが多い気がします。元々、共謀罪(コンスピラシー)はどこで出来たかと言えばイギリスです。良からぬ集団がいて彼らが実行行為をしなくても考えているだけでも捕まえられれば簡単ですよね。労働組合や反体制的結社が抵抗を始めて、それを潰すために共謀罪を適用すれば一番抑圧しやすかった歴史がある。そういうところまで我々の時代は来ているんですよ。
斎藤
 私はやはり個人もターゲットだと考えていますが、共謀罪の反対運動がそれまでの監視ツールの時より盛り上がったのは、組合や市民運動がわがことと受け止めたからでしょうね。
田島
 最後の方はね。でもその思いは叶わなかった。同じメディアでも読売新聞、産経新聞は共謀罪に賛成ですよね。メディア同士の立場が違うことについてはどう思われますか。
斎藤
 二極化にはもう疲れました。議論がまったくかみ合わなくなってしまった。ただ、読売、産経はもともと保守的な体質だったのに商売上の利益がああした論調を増幅させたのはわかりやすいのですが、残る朝日や毎日なども、どこまで本気でリベラルをやってるのか、よくわかりません。単なる商業リベラルじゃないのか。

私は先程、オリンピックを口実にした監視の強化だとお話ししましたが、しかも安倍政権はオリンピックの二〇二〇年に憲法改正もやると言っています。二〇一九年十月には一〇%への消費税増税がある。意図的なスケジュールです。昨年六月までは二〇一七年四月の予定だった再増税が延期されたのは、参議院選挙対策もあったでしょうが、新聞が本気では盾突かない状況を長引かせる目論見が主眼だったと思います。

オリンピックについて言えば、テレビはオールジャパン体制を組んでいますし、朝日、毎日、読売、日本経済の大手四紙はJOCと「オフィシャルパートナー」契約を結び、つまり五輪ビジネスの当事者になってしまっているので批判的な報道は皆無。オリンピックのスポンサーは一業種一社というのがIOCの原則なのに、彼らだけは特別扱いです。私は小池百合子東京都知事を支持してはいませんが、オリンピックの資金については良い問題提起をしたと思う。でも、どのメディアも小池VS森喜朗(五輪大会組織委員会会長)の喧嘩に矮小化した。あれを機にオリンピックの金の使い方の問題点を突っ込む社が一つも無かったのは無惨です。オフィシャルパートナーの社告に「公正な報道を続ける姿勢を堅持する」といった文言を入れた社もありましたが、当事者が天に向かって唾を吐けるはずもないんです。 
取り返しがつかない状況に

田島 泰彦氏
田島
 報道機関やジャーナリズムを名乗っている以上は権力や政府とすべて同調することはありえない。権力が暴走することは当然あり得るわけだから、プロフェッショナルとして最低限はチェックをやってほしいですね。
斎藤
 その通りだと思いますが、でも私にはどうしても、もはや単なる情報ビジネスになり果てた印象を否めません。加計学園問題で「総理のご意向」を告発した前川喜平前文部科学事務次官の信用失墜を企図したとしか考えられない読売の記事(五月二十二日付朝刊)など、世界の新聞史上の大汚点ですよ。
田島
 出入りしていた出会い系バーを売春の温床と指摘されると書いていたけれど、前川さんについてそれを裏付ける取材も記事も一切していない。よくあれで記事にしたよね。官邸からの情報をそのまま書いただけと言われても仕方がないですよ。ここまで来てしまうと報道機関でもない。
斎藤
 私は日本工業新聞の記者時代にすごく悩みました。企業や団体の発表モノを書けば書くほど、自分は何のためにいるのか、と。こんな原稿、企業の広報に紙面を提供して記事を書かせた方がずっと安上がりで正確じゃないかと思ったんです。企業の発表モノなんかあまり処理しない一流紙の記者たちが羨ましくてなりませんでした。

だけど今の彼らは当時の私たちより酷い。大新聞が読者の信頼を裏切って政府広報をやるくらいなら、政府が新聞を発行すればいい。
田島
 メディアや報道機関の看板を掲げて政府とは違う立場のように装いながら政府の考えを正しいかのように人々に伝えるのは余計に質が悪いね。一方で批判するメディアの方も毅然としているかと言えばかなり怪しい。日本のメインのメディアでオリンピックについて正面から批判するところが全くないですね。
斎藤
 なにしろ当事者ですから。
田島
 そもそも東日本大震災後の復興や福島原発の被害回復などを正面から考えた時に、オリンピックなんてやってもいいのか、その資格があるのかと問いかけるメディアがない。それを言わなければいけないのがメディアの役割ですよ。他の国では考えられないでしょうね。
斎藤
 新聞が直接オフィシャルパートナーになること自体が前代未聞じゃないですか。海外ではテレビにしてもこぞって放送することはないそうです。他所がやったらこっちはやらない、というのがメディアのプライドでしょう。私は公に書いたり喋ったりする時はあまり絶望的なことを言わないように心がけていますが、「週刊読書人」は専門紙だからはっきり言います。よほどのことがない限り、もう取り返しがつかない。
田島
 憲法改正についても、リベラルな大手新聞社でも本当の護憲派の人にはあまり会ったことがないですよ。改憲反対と言いつつも社の雰囲気は憲法を変えてもいいんじゃないか、というのが論説の人たちの考えですね。
斎藤
 そうでもない記者もいなくはありませんけど。
田島
 いるにはいるけれど憲法改正派に正面から張り合うことがなかなかね。
斎藤
 だから商業リベラルなんです。
田島
 そうですよね。日本のメディアにはオルタナティブがないですね。全体的に同調するようにシフトしている。社会には色んな意見があるのは当然だから、ある部分各々を代表して伝えることが必要だし、或いは立場は違っても大事な事実を共有するようにしないとメディアや報道機関は無くなってしまう。
斎藤
 既にあまり存在意義はないですよ。
田島
 そこまで来ている状況でどうすればよいのか。斎藤さんは『国民のしつけ方』でいくつか提案されていますよね。一つは調査報道にジャーナリズムが取り組むことです。これは個人やネットニュースではカバーできない部分が必ずある。
斎藤
 私はそれしかないと思っています。昔は政府も企業も皆に伝えることが難しかったから、メディアが媒介となることも大事な仕事でした。今はインターネットの発達で、媒介などなくても発信できる。ということは、大きな組織や権力が公にしたくない部分を独自の取材で掘り起こすこと以外に存在意義はないんじゃないでしょうか。
田島
 記者会見の取材をやってもいいけれど、そこだけにエネルギーを費やす必要はないですよね。
真価が問われる記者会見

斎藤
 発表モノを専門に処理する通信社を創設すればいいと思うんです。昔も今も毎日毎日、何十人もの記者が集まっては同じ発表を聞き、同じ内容の記事を書く。取材先との顔つなぎの役に立つ発表に出席するのは悪くはありませんが、原稿は発表通信社に任せてほしい。
田島
 日本の場合は通信社と言っても他のメディアと基本的には同じですよね。その辺りは外国とは少し違う。分業できるならその方が絶対にいいですよ。

その一方で、私は政府関連では記者発表、記者会見を必要だと思う部分もあります。それは今回の共謀罪もそうですが、かなり大事な局面で政府と記者が直接やりとりする場面がありますよね。テレビで記者会見の場面を見ていると、パソコンのキーボードをカタカタと打つ音が響いているけれど、そうではなくて大臣等の言い回しや表情などについて質問をして追及をしてやり合うことが本来は大事です。そこで勝負をすることに意味があり、それによって記者の真価が問われる。外国ではそれが一般的ですよ。外国人記者からすれば日本の記者会見の様子を不思議に思うそうですね。
斎藤
 あんなことしかするつもりがないのなら、政府にプリントを配ってもらうのとどう違うのか。田島さんは、発表専門通信社というアイディアをどう思われますか。
田島
 本気になれば一つのアイディアとしては実現可能じゃないですか。新聞社も一時期は分業を進めていましたよね。記者の人数も以前より少なくなったとは言えまだ多いでしょう。だからこそもうちょっと違う取材が可能なのではないかと思います。

本ではマスコミの経営形態のことも書いていますよね。『21世紀の資本』(みすず書房)を書いたトマ・ピケティの夫人であるジュリア・カジェ(パリ政治学院経済学准教授)の『なぜネット社会ほど権力の暴走を招くのか』(徳間書店)に触れています。イギリスの『ガーディアン』紙は財団の形態であったり、AP通信は協同組合方式の経営になっている。その中でカジェが提案するのは株式会社と財団とのハイブリッドのモデルです。あのプランは日本での可能性はあると思いますか。
斎藤
 日本とフランスとでは新聞社の経営形態も税制も全然違うので、そのまま真似するのは難しいと思います。巨大組織を維持することが第一義になっている状態を根底から覆せるような方向を、一から考え直さないと。
田島
 イギリスやアメリカにしても大きい新聞でも発行部数はせいぜい一〇〇万部くらいで、『ガーディアン』は数十万部と言われている。だけどきちんと取材して伝えるという役割を果たしていますよね。
斎藤
 それで欧米のメディアはどうしてあれだけの取材網が持てるんですか。
田島
 通信社の役割もかなりあると思います。あとは言語問題もあるでしょう。英語は国内だけでなく世界的規模のマーケットも相手にできる。でも社員数は日本の新聞社よりもずっと少ないですよ。だけど報道に関しては日本よりずっと踏み込んでいる。日本の新聞も慎ましやかにする中でも存在意義を発揮できることをもう少し考えた方がいいですね。新聞社の社長から、紙面をどうするかといった話を全然聞かないでしょう。
斎藤
 報道よりも不動産業やM&Aの話ばかりです。
田島
 斎藤さんも本に書いているけれど、戦前に政権から批判された大阪朝日新聞が企業としての生き残りを優先した「白虹事件」のようになってしまう。
斎藤
 一九一八年の事件ですから一世紀前です。大阪朝日は「朝憲紊乱」(国家体制を侵害すること)の罪に問われて発行禁止直前までいったわけですが、私は二〇〇五年のNHK番組改編報道と二〇一四年の慰安婦および東電の吉田所長報道に対するバッシングとそれへの対応に、あれと同じ雰囲気を感じるんです。
田島
 オリンピックのことで福島の話を出したけれど、新聞やテレビニュースで福島県と沖縄県を扱うべきと提案していますね。
赤川次郎の「声」

斎藤
 東京にいるとまったく伝わってこないでしょう。『琉球新報』と『沖縄タイムス』が連日一面トップで報じる重大な基地問題が、沖縄県外の新聞ではベタ記事にもしてもらえなかったりする。沖縄と原発事故があった福島には日本の問題が凝縮されているのだから、全国の人にもっと知らせるのが当然です。

オリンピックはオリンピックで、決まった時から「日本全国酒飲み音頭」状態。一月は正月で酒が飲めるぞーっていう、あれと同じで、報道は溢れているのに、深刻な問題はチャラにしてしまう。

共謀罪がないとオリンピックを開けないと言うなら開かなくていいと、朝日の六月十五日付朝刊「声」欄に作家の赤川次郎が書いていましたね。〈たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残る〉と。最後は〈安倍さん、あなたが「改憲」を口にするのは100年早い〉ですよ。あれだけの作家が、どうして無償で、投書欄に投稿しなければならないんですか。

もっとも、朝日には二〇一六年オリンピックのリオデジャネイロのその後をルポしてもいました。惨憺たる有り様だそうで、一九六四年東京オリンピック後の昭和四○年不況を思い出させてくれたのは、さすが腐っても鯛だと言いたいけど、二〇二〇年以降の大不況は目に見えている今度の東京で、外国に対するのと同様の客観的な視座を貫けないのでは困ります。
田島
 名誉毀損保険の提案もしているけれど、これはご自分の経験もあるんでしょう。
斎藤
 権力者や大企業が巨額の損害賠償を請求してくる「SLAPP」(恫喝訴訟)は本当に厄介です。彼らがアメリカ流を持ち込んできたのに、こちらが丸腰のままでは、いずれ何も書けなくなる。それでも私は絶対に怯まないつもりではありますが、必要以上に慎重にさせられているのも現実です。
田島
 ある時期から金額も高額になったし訴える側も記事の書き手をダイレクトに訴訟するでしょう。
斎藤
 京セラの稲盛和夫に訴えられた時、最初は私個人だけを狙い撃ちにしようとしてきました。それで「私は一人でチラシを撒いたわけじゃない」と返して、出版社と一緒に訴えてもらったんです。それを受けてくれた稲盛側は、ある意味で“誠実”だったのかな。でも最近は…。
田島
 全体的に訴訟になりそうな危ないことは避ける方向ですね。
斎藤
 アメリカでは、「ジャーナリズムのための名誉毀損保険」が一定の自衛手段になっていると聞きます。日本でも新聞協会や雑誌協会が損保会社に日本向けの保険の開発を依頼するべきです。
記者の素質に学歴は関係ない

田島
 ジャーナリズムとしての連帯の仕組みを作らないと権力に対応できないですよね。
斎藤
 軽減税率に関してだけは一枚岩ですけど。
田島
 経営者はね。表現の自由や権力監視など他の部分で本来は団結しなくてはいけないけれど、組合も基本的には企業別になっていて、ジャーナリストというプロフェッショナルな職能組合ではない。
斎藤
 国連人権理事会の「意見及び表現の自由」の調査担当者のデビッド・ケイ(米カリフォルニア大学アーバイン校教授)の言う「日本の記者はジャーナリストというよりサラリーマン」というのは、本当にそうです。サラリーマン記者は経営者になると簡単に記者マインドを忘れてしまう。
田島
 政府が何を言っても、自分たちもきちんとしていないから批判できない状態です。本来は世の中には色んな考え方があるのだから多様な情報を載せればいいのに、メディア自身がそれを出さないメカニズムになっている。安倍政権のメディアのコントロールに対して、マスコミは抵抗ができないような構造になっているでしょう。
斎藤
 国民を権力に都合よくしつける役割を担ってきたメディアは、今度こそ出直さなければ、本当に滅びてしまいます。
田島
 アメリカのトランプ大統領の状況と同じですよね。
斎藤
 「post-truth」(世論形成において、客観的事実が感情に訴えるもの以上の影響力を持たない状況)なんて、安倍政権の方がむしろ早かったくらいです。田島さんはこれからのメディア状況への方策はどう考えていますか。
田島
 少数だけれど頑張っている人がいるでしょう。そういう人たちがもっと出てくるためには多様な人をメディア側に引き入れることですよ。
斎藤
 同感ですが、気が長い話ですね(笑)。
田島
 メディアと官僚の世界に入ってくる人も共通しているよね。
斎藤
 大学で三月まで机を並べていた学生の片方が官僚になり、もう片方が新聞社に入る。そういう人がいてもいいけれど、そればっかりではね。
田島
 ある種の権力と同じ価値観、権力観を共有しているから、そこに多様な考え方の人間を入れて変えていく発想が必要です。
斎藤
 「学歴不問」を売り文句にした新聞がありますが、実態は全然違う。そもそも成績優秀な人間ばかり採る必要はないんです。優秀なのも平凡なのも恐ろしくできないのも、それぞれ見つくろって入れる。要するに世の中全体のミニチュアを作らないと、絶対におかしくなります。
田島
 記者の素質に本来学歴は関係ないと感じる。学生を指導しながら自己反省しなくてはいけないけれど…。でもかなり絶望的ではあるけれどやはりジャーナリズムは必要だから、極端に言えば一回潰れてもその後に誰もやらないかと言うと、やる人間は必ずいますよ。市民や社会は間違いなくそれを必要としていますから。
斎藤
 潰れてもなお志のある人たちには、インディペンデントの新聞社を立ち上げてもらいたい。できれば紙が望ましいのですが、金がかかりすぎるのであれば、コストの安いネットメディアでもいい。それで初めて、オルタナティブが広がっていく。
田島
 一番大事な取材して伝えるというプロフェッショナルな部分を鍛えて高めればお金を払ってくれる人たちは確実にいるとは思うんです。
自分自身の存在を賭けて

斎藤
 大々的な再編成を求めたいです。それがなかったら、マスコミの存在は社会の迷惑でしかないことになりかねない。ジャーナリズムが戦後長い時間をかけて培ってきた歴史が、ここで一度融解してしまった気がします。

業界紙にしか入社できなかった私は、余計にちゃんとした新聞記者への憧れを募らせ、頑張って、やっと少しは名前を出して物を書けるようになったと思ったら、いつの間にか世界一恥ずかしい仕事になってしまっていたという感覚。読者のためとか正義のためとかの以前に、ジャーナリストは自分自身の存在を賭けて立ち上がらなければならないと思う。今のメディアは政権にとって都合のよいように人々を操り、戦場に赴かせたり、差別をさせたりするためにあるようになってきた。このままではあっという間に見放されます。
田島
 どうして今のような構造になっているかですね。斎藤さんの今回の本は軽減税率やネイティブ広告とメディアとの関わりを正面に掲げている。その点で、これまで出た他の論者たちによるメディアやジャーナリズムを扱った本とは根本的に違っています。市民がきちんと知らなくてはいけないメディアの真相に迫り、提示していて、とても貴重です。
斎藤
 軽減税率を新聞にも適用すべきか否かの問いに七八・九%の人が「すべきでない」と回答したアンケート結果があります。あくまでもネット調査で、きちんとした世論調査ではないので参考でしかありませんが、そんなデータさえ新聞は黙殺する。それでいて「新聞は文化の中心だから軽減税率を適用してちょうだい」はおかしいでしょう。政権側にしてみれば、オネダリは聞いてやるから論調は…わかっておろうな、てなものです。
田島
 最後に今後の安倍政権はどうなると思いますか。
斎藤
 ここまできてようやく、一部を除いてメディア側の危機感も募ってきたようにも見えます。問題は、そのメディア自身が“しつけてしまった”国民が、どこまでついてきてくれるか。政権側も軽減税率という切り札をフル活用するでしょうから、そのせめぎ合い次第でしょう。
田島
 加計問題や共謀罪への対応で安倍政権は若干世論の支持を失い、少し窮地にあるような気配もありますが、これを乗り越えれば共謀罪以後の市民監視は一層加速され、最終的には自衛隊の憲法明記を手始めに改憲に向けた動きが本格化するでしょう。

問題なのは骨のあるオルタナティブ勢力が社会にうまく育たず、むしろメディアも含め全体として社会や市民が体制に包摂されてしまっていて、異論や異議が出にくい息苦しい社会になっていることです。市民の自治とジャーナリズムの復権が掛け値なしに求められている時期だと感じます。 (おわり)
2017年6月30日 新聞掲載(第3196号)
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