三浦しをん『ぐるぐる♡博物館』インタビュー 人間とは複雑で不思議な生き物だ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年7月13日

三浦しをん『ぐるぐる♡博物館』インタビュー
人間とは複雑で不思議な生き物だ

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作家の三浦しをんさんのルポエッセイ『ぐるぐる♡博物館』(実業之日本社)が刊行された。全国各地の一〇館プラス寄り道三カ所を収録。「なぜこんなに面白い場所に、今まで行かなかったのか!」と、体がウズウズしたり、行ったことがある場所なら、誰かに記憶を語りたくなる、つぶよりの十三のストーリー。刊行をきっかけに、三浦さんにお話を伺った。(編集部)

物だけでなく、知識や 情報を伝えていく場所

三浦しをんさん
――辞書編集部を描いた『舟を編む』を読んだとき、無機質で乾いた印象だった辞書の世界が、思いのほか熱や人間臭さを抱えていることに驚かされたのですが、今回もそうでした。「博物館」を、遺物を湛えた学究的な場所とばかりイメージしていたのが、本書を読むことで、人間の熱量を感じる場所になったんです。

とはいえ、博物館と一口にいっても規模も成り立ちも様々ですよね。例えば大英博物館には、戦利品として他国から持ち帰った品が多く、権力を誇示するような性格もあったと思います。また、定義的には動物園や水族館、美術館も博物館の一部なのだとか。

まえがきには、訪れる博物館の選択は、「個人的な興味のおもむくまま」だったとありましたが、もう少し詳しくどのように選んでいったのか、伺えますか。
三浦
 そうですね……例えば茅野市尖石縄文考古館は、一館目だし古い時代を扱うところがいいだろうということで、今回の取材に同行してくれた編集の方が、ご存じの場所を薦めてくれました。初めは正直なところ、「土器か、地味だな」と思っていたのですが、行ってみたらこれがもう面白くて。

――大きさやデザインが様々な、大量の土器や土偶。「下手な土器や土偶」コーナーもあるとは、縄文の人々を近しく感じますね。
三浦
 そうなんです。土器から、人々の営みや尖石遺跡の繁栄が伝わってきました。でも五千年前をピークに、遺跡数が減っていると知り、このひとたちはいったいどこに行ったのだろう、と気になりました。そのうちに、いま日本列島に住んでいる人々はどこから来たんだろう、そもそも人類ってなんなのか、と考えるようになって、「人類の進化」について詳しい展示がある、国立科学博物館に行くことにしたんです。

いま地球上にいる人類はホモ・サピエンス一種だけです。それが世界中に分布しているというのは、かなりユニークで、ホモ・サピエンスの移動能力・適応能力がきわめて高い証拠でもあります。他の生き物は体を進化させて環境に適応するのに対し、人間は文化や技術で解決することができると。

そこで、人類への興味から文化へと目が向いました。考古学では当時の人々の宗教観は探りにくいと聞いたこともあって、宗教の博物館ってあるのかな、と。そのようにして、三館目は仏教にまつわる文化財を展示・公開している龍谷ミュージアムへ。

――面白いように、興味が連なっていきますね。 
三浦
 一つ博物館を見ると、知らなかったことや、面白いと思うことに出合い、さらに知りたいことが出てくるんですよね。龍谷ミュージアムでは、ガンダーラやシルクロード、東南アジアの仏像と出合って、片岩とか砂岩とか様々な材質の石仏をきっかけに、石に着目。それが奇石博物館へとつながります。

――候補になっていたけれど結局行かず、今でも気になっているところはありますか。
三浦
 岐阜の「つちのこ館」ですね。

――つちのこですか!? いったい何が展示されているんだろう……。
三浦
 未知の生命体についての資料館って、気になりますよね(笑)。何が展示されているのか、どういうスタンスのものなのか。

それから、陰毛四〇〇〇本が所蔵されているという、奈良の東洋民族博物館。私設博物館で、在野の民俗学者・九十九黄人さんが作った場所です。世界各地の性にまつわる品々が集められているようなのですが、その中に女性四〇〇〇人から集めた陰毛コレクションがあるという。黄人さんは一九九八年に亡くなって、陰毛は遺族に捨てられてしまったという噂も……。

――四〇〇〇本は並みの興味では集められませんよね。

一館目の尖石縄文考古館にも、宮坂英弌さんという異彩を放つ人物が紹介されています。他の人々にとっては、ただの古い土器のかけらでしかなかったものに、没頭し情熱を傾け、発掘したのが尖石遺跡。八ヶ岳の麓に豊饒な「縄文文化」が花開いていたことを発見します。三浦さんは、宮坂さんを変人であり偉人だと書いていますが、その情熱は、ひとり黙々と発掘作業を続けたにとどまらず、後の人にも伝播して、今では博物館として保持されているわけですよね。
三浦
 いまは考古学という学問が確立していますが、明治になるまでなかった分野なので、宮坂さんの活動も、当時は何をそんなに掘っているの、と不思議に感じていた人が大半だっただろうと思うんです。

奇石博物館も、植本十一さんという方がひとりで立ち上げた私設の博物館です。「龍眼石」は、灰色のごつごつした石を割ると、内部に真ん丸つやつやの黒い球が現われる不思議な石ですが、その石との出合いで、すっかり魅了されて、博物館を建ててしまった。石なんて、そのへんに転がってるものでしょう、なぜわざわざ集めるの? と思う人も多かったのではないかと思います。しかし没後も植本さんの情熱は引き継がれ、奇石博物館は今や、収蔵点数約一万七千点!

龍谷ミュージアムのお経の切れ端も、知らない人が見たら、ただの紙ゴミですよね。一見ただの石ころやゴミのようなものに、価値を見いだし、蒐集する人がいる。それに対し、これはすごい仕事だ、と大切に受け継いでいく人もいる。そのことを不思議に思う反面、心を注がれた物が人の心を打つ、それはシンプルなことかもしれない、とも思います。

展示を見て学者を目指す子が出てきたり、突き動かされて博物館に就職する人がいたり。博物館を媒介に、過去から未来へと様々な形で情熱が伝えられています。博物館は物だけでなく、知識や情熱も伝えていく場所なのだと思うんです。
人の思いが博物館を作り上げている

――龍谷ミュージアムで展示されているのも、お経や文書、仏像やレリーフの形を借りた「ひとの心と思考と表現」なのですよね。館長さんは、宗教というものに執着しているのではなく、仏像が生み出され、経が書き記された土地や、そこに生きた人々に興味をもっているように思いました。
三浦
 そうなんです。館長は僧侶でもあるので、信仰を持っていらっしゃるのですが、誰にも彼にも仏教を伝えよう、ということではないですね。むしろ仏教というものは人の心のどういうところから生み出されたのかとか、人の心をどのようにして救ったのかということを、残された仏教美術や経典の表現を通して読み解こうとしています。その姿勢に共感します。

――ガイドブックならば、博物館の立地や展示内容のみを伝えますが、三浦さんは、館長や学芸員の人となりや、来館者の会話にまで耳をすましている。尖石考古館の、孫と祖母の「石棒」についてのやりとりとか、国立科学博物館で中学生が旧人につけたあだ名とか……。
三浦
 あぁ、おかしかったですね、あれは(笑)。

私は以前から博物館が好きでしたが、個人でフラッと入るのみで、展示案内をしてもらうようなことはほとんどありませんでした。今回、学芸員やガイドの方にお話を伺ううちに、当然ながら展示物の背景には、それを蒐集した人や、どんなふうに来館者に伝えるかキュレーションする人の存在があるのだと。人の思いが博物館を作り上げている、ということに改めて気づきました。

そうなってくると、学芸員さんやガイドさんがどんな人で、どんな話しぶりで、何を語ったのか。いま同じフロアで一緒に展示を見ている人たちは、どんな反応を示しているのか。人の思いが織り成している博物館で、展示を見る人、それについて説明する人の姿も描かないことには、物足りなく感じられてきたんです。

――国立科学博物館の章では、「博物館とは「過去の集積」だ。ハチやジロをはじめ、たくさんの剥製、標本は、みんなかつては生きていた。ここに展示されているのは、かれらの「死」だとも言える。(略)それぞれの生き物が放つ「生と死」の圧倒的な迫力とでもいおうか。そういう静謐な力が感じられる」とありました。展示されているのが「死」である、という指摘は、目から鱗でした。そして、そうした展示を見ることで、「せいぜい楽しく仲良く、命あるかぎり「生きてる」ことを満喫しよう」と、前向きな「生」に、三浦さんの気持ちが至っていることも面白く思いました。
三浦
 いまそこに並んでいるのは「死」であり、博物館は「過去の集積」なのだけれど、裏返せばそれは、その生き物が生きていた証であり、生きていた時間の集積ともいえますよね。そうした生き物たちの命に触発される、ということがあるのかもしれませんね。

――奇石博物館では、レクチャーをしてくれる館員の方が、本名が井上さんであれば、石上さんと名乗るというような、「石ネーム」を持っているそうですね(笑)。それがチビッコに大うけだとか。写真で紹介されていた解説コーナーの案内板も、「コンニャク石」「水入りメノウ」「胃石」「ニョロニョロ石」など、意味は分らないけれど興味をそそられるネーミングでした。石に向き合って、石のことばかり考えているのかと思いきや、これだけ人の心を掌握してしまうとは、すごいと思ったのです。
三浦
 夢中になれる対象を持っているために、博物館の作り手側が、もっと内向きに、マニアックになってもおかしくはないですよね。でもそこはさすが、石について造詣が深いと同時に、博物学も学んだ学芸員だけあって、バランス感覚がいいんですよね。専門知識を蓄え、熱心に来館者にレクチャーしながら、同時に笑いのツボを押さえた話しぶりだったり、どうしてこんな展示なの? という、愛すべき隙も用意されている。

――コンニャク石に、腹筋背筋をさせたり。
三浦
 そうです(笑)。コンニャク石は砂粒が固まってできた石で、粒と粒の間に見えない隙間があるために、曲がるんですよね。で、たんざく形のコンニャク石に、目鼻と手をつけて、電気仕掛けで上体部分が起き上がるような展示にしてしまった。このための機械をわざわざ作ってしまう、その熱意! でもそれは石の特性をよりよく示すための工夫でもあるのです。専門的に知りたい人も、興味半分楽しみたい人にもほどよい展示。私は、石が興味を抱く対象になりうるということにすら気づいていなかったのですが、開眼させられました。石と、石好きの奥深さは、おそるべしです。

土地との結びつき、地域における博物館の必要性

――都内にも博物館がたくさんありますが、今回は宮城から長崎まで、様々な土地に出かけて取材しておられますね。本書を拝見して、博物館は土地の歴史が凝縮した場所でもあることを感じました。
三浦
 土地との結びつきは、特に大牟田市石炭産業科学館、雲仙岳災害記念館、石ノ森萬画館に強く感じました。博物館の存在が、地元の人の生活や、土地の歴史、災害の記憶と密接に結びついているんです。

石炭産業科学館は、炭鉱坑跡を含め、街全体が三池炭鉱を知るためのテーマパークのようです。でも楽しいだけではない、炭鉱事故や労働争議、かつては囚人を使役していた事実など、負の側面も含めた炭鉱の歴史を伝えようという意志が感じられます。

雲仙岳災害記念館は、体感型の「平成大噴火シアター」や人形劇に仕立てられた「島原大変劇場」、カメラマンの方が火砕流で亡くなる直前まで撮っていた映像など、工夫を凝らしたつくりで、来館者に興味を持ってもらいながら、多くの人命が奪われた悲しい出来事を語り伝えていこうという姿勢が見られます。

石ノ森萬画館は、そもそもは石ノ森章太郎先生の出身地の近く、ということで宮城県石巻市に誕生したのだけど、その後東日本大震災で被害にあいました。

三館はいずれも、そうした負の側面を覆い隠そうとしたり、見て見ぬふりをしたりせずに、現実を真摯に受け止め、体験を踏まえて未来にどのように伝えていくのか、現在も災害の記憶に苦しんでいる人たちとどう向き合ったらいいのか、そのことを考え続けています。こう言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、ただ、現実を現実のままに、誠実に向き合った結果なんですよね。

石ノ森萬画館は、石ノ森ファン、漫画好きには、テンションが上がりっぱなしの本当に楽しい場所。ロボコンに、サイボーグ009に、トキワ荘の模型に、歴代仮面ライダーに、アトラクションに……。実は第三セクターの街づくり会社が運営していて、石巻の商店街やJRとも協力し、街を盛り上げていこうとしているそうです。

地域における博物館や資料館の必要性、役割を、ストレートに体現している三館だと思います。

――風俗資料館は、その名前からはおしはかれないのですが、「日本で唯一のSM・フェティシズム専門図書館」なんですよね。ここは会員制の図書館で(ビジター制度あり)、一般的な博物館とは立ち位置が異なります。実は私も、会社から近いので一度、伺ったことがあります。
三浦
 おぉ、そうなんですか(笑)。

――SM・フェティッシュの世界は心得がなく、はじめに館長の中原さんに、人それぞれ趣向は様々で、資料の優劣もつけがたいので、どんなものが見たいか教えてください、と言われましたが、何かを要求できるほど知らなくて。三浦さんは「『男同士』や『女同士』、あるいは『人間と動物』」をと、ご自身の興味を具体的に伝えられていて、さすがだと(笑)。
三浦
 やはり、素養があるんでしょうか(笑)。

――実際にいろいろな資料に目を通して、新たに自分の嗜好に気が付いたというものはありましたか。
三浦
 少し書きましたが、「コルセット」ですね。モデルが豊満な外国人女性なんです。二人の豊満な女性がお互いに、ぐいぐい締め上げあう様子に、グッと来て(笑)。

――私は、「切腹」に目を止ることが多くて。
三浦
 切腹(笑)。それは、私は興味なしです。

――SM=縛って女王様が鞭で叩いて、という画一的なイメージのものではなく、館長が言うように「馬に乗った女性の写真が掲載されているとして、『馬に乗った女性』が肝心なのか、『女性に乗られている馬』が肝心なのか、ひとによってフォーカスする部分が全然ちがう」。フェティシズムは人の数だけあり、自分には縁がない世界だと思っていても、実は気づいていないだけなのかもしれないですよね。
三浦
 触れる機会がなくて、知り得なかっただけで、一度その世界を知ったら、自分の好きなものに気づいて、加速的に追究してしまう人も多いのではないか、と思いますね。

――風俗資料館では、三浦さんの筆がよりいっそう走っている気がしました。
三浦
 共感せずにはいられなかったんです。人目を忍び、何かを読んだり、見たり、楽しむ姿勢に(笑)。
人間を人間たらしめる何かを体現する場所


――「SMにかぎらず、多くの趣味・嗜好は、きわめて知的というか、「学習」に裏打ちされたものだと言えそうだ。ただまぐわうだけではない、知的(かつ性的)興奮を追求せずにいられないあたり、人間とは複雑で不思議な生き物だ」という考察も面白かったです。SM以外の、他の博物館や蒐集家も含め、愛と執着に対する人間という生き物の不思議について、もう少しお話いただけますか。
三浦
 何かを好きだと思ったり、何かをもっと知りたいと思うのは、やむにやまれぬ気持ではあるのだけど、それほどに愛したい、探究したい対象を見出すには、ある程度の知性と経験が必要だと思うんです。

赤ん坊は本能的にミルクを求めるけれど、生涯に亘ってミルクを求め続けるわけではない。それは、自分はこれがすごく好きで、集めずにはいられない、愛さずにはいられない、というのとは違いますよね。愛や欲望は本能だ、という人がいるけれど、私はそれは嘘だと思う。愛もやはり、経験や知性や文化に規定されるものであるのだと。人間は動物ですが、どこまでが動物的といわれるような本能に基づく行動なのか、どこからが知性や文化という背景に基づく人間的な行動なのか、分かりにくいんです。でも、博物館に展示されている品々を見たり、それをとても愛している人々に会って、博物館で取り扱われているものは、動物的本能に基づくものではなく、人間を人間たらしめている何かなのではないかと思い至りました。そのことに、私は興味を惹かれ、これからも博物館を訪れるのではないかと思います。ある種の経験や年月、知性、思考力や感受性、そういう人間ならではのものを体現しているのが博物館であり、その展示品であり、博物館で情熱にあふれて活動している人々なのではないか。今回博物館を巡って、改めて人間は不思議な生き物だ、と感じました。

――風俗資料館には、臼井静洋という画家に、パトロンが個人的に発注した夥しい量の絹絵が収蔵されているんですよね。細部まで美しく、同時に想像力豊かに残酷だったり、エロかったり。人並でない画力と想像力が、二人だけの世界で、ひそかにボルテージを上げている。

三浦さんはもし、自分のためだけにBLを書いてくれる人がいたり、反対に三浦さんが誰かのためだけに執筆をするという機会があったら、どうですか。
三浦
 これはオタクの特徴だと思うんですが、趣味趣向のあった友人とものすごく盛り上がって、話をしているだけではあふれる思いを止められなくなったとき、大抵、作品を作っちゃうんですよね。同人誌にも至らぬ以前の、愛する作品やシチュエーションにささげる、ポエムとか、イラストとか(笑)。「こんな素敵なポエムが生まれてきちゃったぜ、俺のたぎる情熱みてくれよ!」「おまえ天才だな!」「サンキュー! おまえもな」みたいな(笑)。とてもよく分かるんです。パトロンと絵師が盛り上がって、結果、何百枚も書いてしまったというのは。

――なるほど(笑)。
三浦
 オタクは多かれ少なかれ、みなやっていることです。だから、もし全く盛り上れないシチュエーションで書いてくれと乞われたら、三億円くれたらね、となるけれど、盛り上っちゃったら、頼まれなくても、今日も浮かびました、ってメールで毎日送り付けますよ(笑)。

――最後の二館、めがねミュージアムとボタンの博物館は、日常品、必需品を扱う博物館ですね。日常の延長線上に、愛好、嗜好の世界へ入って行く。めがねフレーム生産の国内シェア九十五%を占めるまでになった鯖江の職人の誇りや、多種多様、美麗なボタンに、利便性を超えて美と遊びを追求せずにはいられない人間という生き物の本質を、三浦さんは拾い上げておられました。
三浦
 日常的なもの、身につけるもの、手仕事で作るもの、というところでチョイスした、この二館もとてもよかったです。日常からの延長線上に、デザインや色、かたちに、胸がときめくような素敵なものがたくさんあったこと。それは希望だし、生きていることの喜びですよね。

――最後に、改めて博物館とは、三浦さんにとってどんな場所ですか。
三浦
 一言で言えば、やはり人間の情熱が詰まった場所でしょうか。並べてあるのは物だけど、そこにたくさんの人のエネルギーが詰まっている。

それから、なんとなく勉強のための場所、という堅いイメージがあるかもしれませんが、実際はひとしなみでない、いい意味で「変」な場所なんです。どうして、これをこんなにたくさん集めたのかなとか、なんでこんな展示の仕方になっているのかな、とかいろいろ想像しながらみると、楽しさが倍増すると思います。気負わずに、興味のおもむくまま、それが許される場所なのです。 (おわり)

この記事の中でご紹介した本
ぐるぐる♡博物館/実業之日本社
ぐるぐる♡博物館
著 者:三浦 しをん
出版社:実業之日本社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月7日 新聞掲載(第3197号)
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