永山則夫『無知の涙』(1990) 怒られぬ逆らえぬ吾 泣かれぬ死なれぬ吾 三才の赤子か |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年7月11日

怒られぬ逆らえぬ吾 泣かれぬ死なれぬ吾 三才の赤子か 
永山則夫『無知の涙』(1990)

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1969年、19歳のときに連続ピストル射殺事件で逮捕され、1997年に処刑されるまで獄中で文筆活動を続けた永山則夫の短歌である。小説も多く書き残しているが、『無知の涙』は主に手記、詩、短歌、俳句を収録している。

掲出歌は1969年8月30日に詠んだ一首としてノートに記されている。この二週間前のノートには、「囚人は少しの反抗を見せても、口に出しても許されない。一、二才の赤ん坊同様なのである。夫れ夫れ囚人達の罪名を責めて、拳のコの字を見せても、口に出しても許されない。怒ることは許されないのである。」という記述があり、この一首の着想元であることがわかる。囚人である自分の立場を考えつつも、「人」であることの尊厳を叫ぼうとする歌だ。字足らずの不格好なリズムが妙にハマっている。

囚人の短歌というのは島秋人、郷隼人など結構あるが、永山則夫の短歌は悔恨や贖罪の気持ちに満ちているわけでもなければ、むやみに悪態をついているわけでもない。徹底的に「囚人である自分の姿」を客観的に、突き放して詠んでいるような不思議な世界を作っている。短歌は石川啄木しか読んだことがなく、他の歌人を読む気も一切ないと手記に綴られているだけに文体は啄木をなぞったものだが、湿った抒情性は薄く乾いたような印象だ。

短歌に限らず永山則夫の書くものはおしなべて、言葉を喪失した人間が言葉を取り戻そうとしているかのような異様な迫力を持った文体だ。(やまだ・わたる=歌人)
2017年7月7日 新聞掲載(第3197号)
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