西堂行人著『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』(作品社) 出版記念トーク「両巨匠に献杯!」レポート 語り手=西堂行人/聴き手=奥山 緑|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 特集
  3. 西堂行人著『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』(作品社) 出版記念トーク「両巨匠に献杯!」レポート 語り手=西堂行人/聴き手=・・・
読書人紙面掲載 特集
2017年7月20日

西堂行人著『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』(作品社)
出版記念トーク「両巨匠に献杯!」レポート
語り手=西堂行人/聴き手=奥山 緑

このエントリーをはてなブックマークに追加
蜷川幸雄×松本雄吉(西堂 行人)作品社
蜷川幸雄×松本雄吉
西堂 行人
作品社
  • オンライン書店で買う
6月21日、西堂行人著『蜷川幸雄×松本雄吉』(作品社)刊行記念の公開トークイベント(会場=神楽坂「LeMoccot(ル・モコ)」)が開催された。そのトークの一部を掲載する。
 
蜷川幸雄と松本雄吉 同等の価値がある二人

奥山
 三月末に『唐十郎 特別講義 演劇・芸術・文学クロストーク』(国書刊行会)、五月に『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』(作品社)と、西堂さんは二カ月半の間に二冊の巨匠シリーズともいうべき作品をお出しになりました。私は制作者ではあるのですが、蜷川幸雄さん、松本雄吉さんよりはずっと下の世代で、同時代を走ってきたわけではなく、この本で全然タイプの違う二人の演出家に重なるところがあるというところが私が面白いと思ったところです。今回なぜこの二人をお書きになられたのでしょうか?
西堂 行人氏 演劇評論家
西堂
 去年の十月に李康白(イ・カンベク)さんという韓国の劇作家と対談したときに、二人が亡くなって日本の演劇がどうなるかということを話したことがきっかけでした。去年の二〇一六年に僕は大学を辞めて一年間リセットして遊んでいる予定だったのですが、五月十二日に蜷川さん、六月十八日に松本さんが亡くなり、いろいろなところから頼まれて追悼文を書くことになりました。書いていくうちに思いが募ってきて、とくに蜷川さんの場合は追悼号なども出て、いろいろな方が書いているのですが随分軽く扱われているなというのが僕の率直な思いでした。蜷川幸雄についての言説があまりにも酷くて、歴史的に彼の仕事を検証するようなことを誰もしていない。そのときに『週刊読書人』で新宿梁山泊の金守珍(キム・スジン)さんと追悼対談をして、それが蜷川さんのことを本格的に検証するきっかけとなりました。翌月に松本雄吉さんが亡くなるわけですが、松本さんに関しては思いのほか記事が出なかった。蜷川さんは記事が山ほど出て話題になったけれど、松本さんは記事にならなくてこんなに知名度に差があるのかと。知名度的に言うと“日本の巨匠と関西の演出家”ということになるけれど、僕の中では同等の価値がある人たちで、もしかしたら松本さんの方が僕にとって近しくて影響を受けているかも知れない。そこでこの二人を対等に並べて論じてみたいという気持ちになっていったんです。

この二人の死によって演劇の「大きな時代が終わった」というのも、この本をつくるモチーフでしたね。ちょうど二年前に『【証言】日本のアングラ 演劇革命の旗手たち』(作品社)という本を出しましたが、六〇年代に出てきた最後の巨匠が蜷川さんであり、こういう大物は今後出てこないんじゃないかと思います。唐十郎さんや別役実さんや佐藤信さん、鈴木忠志さんはいますが、大きな時代が終わって日本の演劇がどこへ向うのか考えるきっかけになりました。
奥山
 蜷川さんは出自はアングラだったけれども、後年は商業演劇を代表する演出家でした。西堂さんは蜷川さんにしばしばインタビューを取られていましたね。
西堂
 蜷川さんのルーツは新劇にあった。インタビューの中で、蜷川さんに「結局、俺って新劇か」と呟かせたり、千田是也を尊敬していることを聞き出したとき、僕としてはやったなという感じがあったんです。蜷川さんについて流布されているのは結局、アートシアター新宿文化以降で、それ以前に劇団青俳というところで倉橋健やスタニスラフスキーの本を読んでいることはほとんど言及されていない。彼の五〇年代、六〇年代前半の演劇修業時代と、六〇年代後半にアンダーグラウンドと出会ってデビューし、そこから離れていくわけだけれども、そのジグザクを線で繋いでみたら彼が担ってきた演劇史には相当大きな問題があったと思います。青俳というのは不思議なプロダクションで、映画俳優を主に育てる学校で、新協劇団の流れを汲む戦後まもなく創設された共産党系の劇団だった。そういう意味でいうと戦前に繋がっていくような新劇史を引っ張っていた。そこから探り出してくると蜷川さんはそんなに単純な商業演劇の人ではない。そこが探り当てられたのが良かったと思います。
奥山
 インタビュ―で、蜷川さんがシェイクスピアやギリシャ悲劇を演出したときのことを聞いていらっしゃいますが、私はそれも面白かったです。
西堂
 蜷川さんが亡くなって以降、蜷川さんのようなスケールの大きい舞台を創る人がいなくなったと痛切に感じるんです。結局彼は大劇場である種のスぺクタクルを創りえた殆ど唯一の演出家で、「大きな時代の終り」という言い方をしたときに大劇場で演劇や興行を成立させられる演劇人もいなくなった。そう考えていたら、もう一人のスペクタクルの巨人・松本雄吉が亡くなったわけです。二人がいなくなって日本の演劇界は小ぶりになっていくのかなと、その懸念を強く抱きます。
二人の演出家の共通性

会場となった神楽坂「LeMoccot」
奥山
 私は大学の非常勤講師をしていますが、演劇専攻でも蜷川さんや松本さんの舞台を観ていない学生がすでに半分いるということが現実としてあります。お二人については何らかの形できちんとした言説を残していただきたいと思うし、映像も見せていただきたいというのが演劇で生きている人間としては思うことです。蜷川さんの本はあるけれど、松本さんの演劇論は殆ど出ていない。
西堂
 『維新派大全 世界演劇/世界劇場の地平から』(松本工房)という一冊が約二〇年前に出ているだけで、松本雄吉自身に本を出すような欲望もあまりなかったんでしょうね。それにしても彼について語られなさ過ぎる。関西で松本雄吉さんについている編集者やライターはそれなりにいたと思うのだけれど、このままだと歴史から消えてしまう可能性もある。それが心配です。美術家のやなぎみわさんは僕にそれをやれと言われてはいますが、これからだと思いますね。

五月二八日に大阪でこの本の刊行記念イベントがあって、そのときに維新派の俳優と蜷川のシェイクスピア研究をしている大学の研究者と三人でトークをしたのですが、維新派の稽古場の中で松本雄吉が語っていることは相当多くあるんです。野外で俳優をわざと小さく見せるとか、普通とは逆転して考えるようなとんでもない発想が松本雄吉の中にあって、そういうことも含めて、維新派の内部の方がこれから書き残しておいてくれるといいなと思います。スタニスラフスキーの『俳優の仕事』という本は彼自身が書いているわけではなくて弟子が書いているわけですから、松本雄吉の場合はそういう仕事をこれからできるかもしれない。
奥山
 蜷川さんと松本さんの共通性みたいなものも考えてみたいのですが、舞台の特徴で見れば舞台のスペクタクル性というところで共通しているかもしれないけれど、演劇の進め方としては違っているけれども、お二人とも美術家志望だったようですね。
西堂
 蜷川さんが画家志望だったことは確かです。松本雄吉は美術家が演劇に越境してきたというのが正直なところだと思うし、最後まで演出家であると同時に美術家であり続けたのではないか。彼は風景の中に一瞬の絵を見てしまう。それをどうやって演劇の現場に下ろすのかということをずっと考えていたので、いわゆる演劇人の発想とは違っていました。彼は演劇に媚び売らないで、美術家としてのやりたいことを最後まで貫いたんだなと気付きました。

そして、そのことを維新派の人たちも受け入れていたと思うんです。自分たちがオブジェとして使われていることを受け入れたうえで、一幅の絵を創ることに全力を尽くす。いわゆる演劇集団の人間中心主義やヒューマニズムとは別の次元に維新派があって、相当特異な集まりだったと思います。

その集団の組み方がタデウシュ・カントール(ポーランドの前衛演劇人)なんかと似ているのかもしれない。カントールだって素人の俳優や美術家だとかを集めて劇団を作ってるわけで、決して演劇だけをやっているわけではなかった。晩年の蜷川さんはさいたまゴールドシアターを始めるときに、カントールの「クリコット2」をモデルに考えたということでも、まったく出自が違うんだけどどこかで出会っているというのが面白い。
接点 ――さいたま芸術劇場で

奥山 緑氏 演劇プロデューサー、山海塾制作
奥山
 蜷川幸雄さんと松本雄吉さんの接点について、ちょうど今日、さいたま芸術劇場の渡辺弘さんと毎日新聞で劇評を書き、『蜷川幸雄伝説』(河出書房新社)の著書がある高橋豊さんが会場にいらしているのでお話を伺ってみたいです。

渡辺 蜷川さんは松本さんのヂャンヂャン☆オペラ「南風」だったか、大阪へ観に行ってます。「nostalgia」(二〇〇七年/埼玉・彩の国さいたま芸術劇場)ですが、松本さんが東京エリアで公演場所を探していて、蜷川さんに埼玉でやっていいかと聞いたら、いいんじゃないと言ったので実現したんです。それで、蜷川さんは公演を観てすごく喜んだんです。他人の作品を観て喜ぶ演出家はあまりいないんですが、あれだけはものすごく感動していました。蜷川さんは松本さんに対しては実はリスペクトしていたのかな。そのあと「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」(二〇一〇年/埼玉・彩の国さいたま芸術劇場)をやったんですが、二人が楽屋のあたりでとても楽しそうに話をしていたことを懐かしく思い出しますね。そういう意味ではカントールも含めて、お互いに通じるものがあったのは確かですね。
西堂
 松本雄吉さんの舞台では、四・五メートルくらいある<彼>という、歴史を俯瞰する巨人が登場します。その形象は見事だと思う。誰もが吃驚する。蜷川さんだって大男、大女、小人とか使いたがるタイプだけど、実際に四・五メートルあるオブジェ的な人形っていうのは彼の想像を超えていたんでしょうね。松本さんはいつも野外でやっているから大きな人間=人形を出したがるのは必然なんです。当然、それを劇場に持ってきたんだけど、劇場の中だけでやろうとする蜷川さんには、あの発想は出てこないでしょうね。
奥山
 蜷川さんは、戯曲をリスペクトする方だから、戯曲に書いてあったら、何があってもおやりになる気がします。そこが松本さんのように自分で本を作っていく人と蜷川さんの違いではないでしょうか。
西堂
 松本さんはすごい発明家だった気がするんです。野外でやっているがゆえに出てきた発想でもあるし、三〇人くらいの少年少女たちというコロスを作ったけれど、そのコロスの描き方も演出家によって違う。どっちが正しいということではないけれど、コロスの位置づけは二人の演劇観を端的に分けているものではないかと思うんです。
奥山
 コロスは自分のオブジェですという松本さんと、コロスは一人ひとり歴史がある個人だという蜷川さんとは、随分違うことを言っているようですが、表象は違うけれどもコロスを使うという意味では松本さんも蜷川さんも他に並ぶもののない演出家だという気がしています。
西堂
 ただ蜷川さんのように一人ひとりにちゃんと見せ場を作って多様性を作るというのと、松本さんのように完全に規格化してこうやって動けというのとは攻め方が違う。維新派の俳優たちはそれを受け入れていますが、あの中に入って絵面になっていく快感というのは俳優の中にも人間の中にも絶対あると思う。そこを納得済みで俳優たちはやっていた訳で、そこが集団の力のような気がする。
奥山
 これだけスペクタクルな舞台を創っていた二人の演出家がたまたま同時期に亡くなってしまいました。これから日本の演劇の中で豊かなスペクタクル性をもつ舞台はどうなるんでしょうか。

高橋 どうでしょうね。後継者はぱっと名前が浮かばない感じがします。蜷川さんは挫折ばかり重ねてきたんですよね。開成高等学校時代に留年し、藝大受験に失敗して、身分制の激しい青俳の中でもずっと虐げられてきた。倉橋さんのスタニスラフスキー理論なんかを仕込まれて、演出家になろうとしたら有名な俳優でないと演出家にはなれないと蹴られて、結局、現代人劇場で独立してやっていく。また、東宝に入っても年に一回、ニッパチしか演出を任せられないという不遇な時代がずっと続いて、鍛えられ方が今の演出家とちょっと違うんじゃないかと思います。

公演延期になった藤田貴大君の「蜷の綿」は本当にいいホンですね。あれが上演されていれば……。蜷川さんの持ってる挫折屈折、そういうものがすべてしっかり盛り込まれていた。
西堂
 彼の挫折は並大抵ではない。左翼の共産党系の劇団にいたりして負け続けてきた。負け続けることをちゃんと評価しなくてはいけない。サクセス・ストーリーを綴っていく評伝は絶対まずいと思うんです。確かに六〇歳以降の最後の二〇年くらいで、先行者に追いついたというのが実感で、それまではやっぱり唐十郎や鈴木忠志といった同時代の先頭を走っていた演劇人たちに相当コンプレックスを持っていたんじゃないか。それを踏まえないと蜷川幸雄を語れない気がする。
松本雄吉の活字にできない部分

奥山
 松本さんの舞台は蜷川さんほど東京では上演されていないので、残念ながら芝居を観ている人の数は少ないですね。
西堂
 公演は年に一本だし、祝祭としてやっているから、蜷川さんのように演劇界と全方位的に向き合ってやっている人とでは比較のしようがないと思います。ただ松本さんのやってきたオリジナリティの高さは世界的に見ても相当なレベルだと思う。そのことをもっと世界に発信していければ……。
奥山
 私は二〇〇〇年頃、アデレードで松本さんとご一緒したことがあって、松本さんの演劇を観た世界中の劇場や美術館のキュレーターは来てほしいとみんな言ったんです。言うんだけれど、劇場を作るのに五〇人くらいの人間で一カ月半くらいかかると聞いた途端にみんな、ああ、予算的に難しいと。
西堂
 ケタが違う。そういう意味では「オレのやっているところに見に来い」としかいいようのないスタンスだった。だからこそ僕らはどんなに辺鄙なところで維新派が公演を打っても行かざるを得なかった。旅をしながら演劇も観る、その前後で屋台村も楽しむ、そういう楽しみ方を教えてくれたことはものすごく貴重だった。でもこれも継承できない。
奥山
 松本さんは麿赤児さん、天児牛大さんといった舞踏家の人と近いんですよね。「天児君は元気ですか?」と私はよく聞かれました。
西堂
 松本さんは日本維新派のときは「特権的肉体」性みたいなことを言っていて俳優をやっていたし、麿さんはある意味先輩格だった。京大西部講堂には大駱駝艦はよく来てたから、松本と麿はそこで出会っているし、ずいぶん影響も受けたんじゃないかな。彼のダンサーとしての磨かれ方もあったし、もっと過激なパフォーマンスを初期の松本雄吉はやっていましたね。芸能集団としての活字にできない松本雄吉もまた面白いところだと思うんですよね。 (おわり) 

この記事の中でご紹介した本
蜷川幸雄×松本雄吉/作品社
蜷川幸雄×松本雄吉
著 者:西堂 行人
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月14日 新聞掲載(第3198号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
西堂 行人 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
芸術・娯楽 > 演劇関連記事
演劇の関連記事をもっと見る >