日本ヴォーグ社代表取締役社長・瀨戸信昭(上)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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あの人に会いたい
2017年7月18日

日本ヴォーグ社代表取締役社長・瀨戸信昭(上)

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編み物やソーイング、パッチワークキルトなど、さまざまな「手づくり」を核に据えて、出版、講習会、講師の養成などを六〇年余りにわたり、世に広く普及し続けてきた「日本ヴォーグ社」。瀨戸信昭さんは父親から任を受け、四十三歳で二代目の社長となった。このほど市ヶ谷にあった本社ビルを、中野富士見町に移転したばかりの新社屋を訪ねて、瀨戸さんにお話をうかがった。
新社屋屋上での瀨戸信昭さん
瀨戸信昭さんとの出会いは、私が主婦と生活社で『COTTON TIME』という雑誌を創刊した時にさかのぼるから、二十四年前になるだろうか。当時私が目指したのは、手づくりクラフトの専門誌ではなく、一般誌に近い、だれでも気軽に楽しめる雑誌だった。そのような切り口の雑誌はほかになかったこともあり、創刊当初から部数はどんどん増えていき、多くの人に知られることとなっていく。「手づくり」に関して全くの素人編集者だったから、業界のことも、広告を出してくれるクライアントのこともほとんど知らなかった。

『COTTON TIME』の知名度が上がるにつれ、業界の集まりに呼んでいただく機会が増え、瀬戸さんにもご挨拶する機会に恵まれた。日本ヴォーグ社のことは、丁寧な作り方付きの実用書を数多く出している、手づくりクラフトに特化した出版社として認識していた。瀬戸さんは「売れてますねぇ。コットンタイム」と気さくに声をかけてくださり、立ち位置の全く違う本作りをする私を、「次は何をするつもりかな」とあたたかく見てくださっていたように思う。        *

今回、取材させていただくにあたり、家業を継ぐということはどういうことなのか、これは聞いてみたいことのひとつだった。

瀨戸さんは三人兄弟の長男として東京に生まれる。高校、大学在学中にゴルフに力を注ぎ、プロを目指そうと思ったこともあったという。「親父に相談したら、“やってみたらいい”と言ってくれて。何だか親父がかわいそうになって、プロゴルファーの道はあきらめました」

大学卒業後はアメリカにわたり、語学と、自分自身を鍛えなおすために、テキサス大学で2年間勉強した。「もちろんゴルフは一切やらずにね」

帰国後、日本ヴォーグ社に入社。当時は「手づくり」の中でも編み物をメインに、編み物教室のネットワークの構築や、先生用のテキストの刊行、教室に通えない人たちのための通信教育など、様々な方向から編み物人口を増やしていた時期だった。

「僕が入社した時に通信販売を始めたんです。これが非常にうまくいってね」

毛糸などの材料が多品種にわたって通信販売で買える仕組みを作っていったという。少し前から始めていた「ヴォーグ学園」という一般の方を対象にした教室も、大阪、札幌、横浜、名古屋、福岡と全国各地に広がっていった。
六〇年以上に及ぶ刊行物がすべて納められた書棚
 四十三歳で社長になったとき、「当時あまりに膨れ上がっていた業種を整理する時期だと思って。とにかく親父は攻めの人で、思ったことは何でもやっていった。これはいい時はうまくいくけれど、どこかで整理が必要だった。だから最初の一〇年は会社を筋肉質にするために、どんどん整理していった。そしてそのあとの一〇年で中身を濃くすることに注力した」という。

「入社当時は、親父はワンマンだったし、イメージしていた企業ではなかった。規模も小さく自分自身、手づくりにもあまり興味はなかった。ビジネスマンとしてこうありたいという形と会社がしっくりこなくてね」

それでも社長になってから考え方はどんどん変わっていく。「いろいろな会社の社長にお会いするんだけど、こういう世界があることをきっとわからないだろうなと。手づくりを通してお客さんが喜んでくれる姿を見ること。これが自分の喜びに変わっていった時、違うものが見えてきたんです」

好きな言葉は「宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる」だという。「僕は宿命だと思って会社を継いだ。人が喜んでくださるのを見て、最近ようやく“使命に生きる”ということを実感できるようになりましたね」

次回は、数々の工夫を凝らした新社屋で、社員と共にどんな一手を打とうとしているのか、お話をうかがう。(次号につづく)
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月14日 新聞掲載(第3198号)
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