対談=小野俊太郎×菅実花/オリエント工業インタビュー 〈ラブドール考〉道具が道具でなくなるとき 『愛人形 LoveDollの軌跡~オリエント工業40周年記念書籍~』刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年7月20日

対談=小野俊太郎×菅実花/オリエント工業インタビュー
〈ラブドール考〉道具が道具でなくなるとき
『愛人形 LoveDollの軌跡~オリエント工業40周年記念書籍~』刊行を機に

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篠山紀信氏の撮り下し写真集 『LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN』(小学館)、『人造乙女美術館Jewel』(筑摩書房)、『愛人形 LoveDollの軌跡』(マイクロマガジン社)の三冊が続けて刊行された。また六月頭まで東京・渋谷のアツコバルーで開催されたオリエント工業40周年記念展「今と昔の愛人形」は、一時入場制限もあるほどの盛況。その精巧で美しい造形は、実用品の域を越え、芸術に達している。改めてラブドールとは何なのか、1・2面では文芸評論家の小野俊太郎氏と美術家の菅実花氏に対談を、3面ではラブドール界を牽引し続けるオリエント工業へのインタビューを合わせて掲載する。 (編集部)


新たな可能性の萌芽 ラブドールの現在 

小野 俊太郎氏
小野
 渋谷・アツコバルーでの「今と昔の愛人形」展は、女性客が六割いたとききました。ラブドールは一見、男たちの領域のものに思えるけれど、この現象を見ると、そうとも言い切れない。性具としての目的や役割がはっきりしているようで、いまではそう言い切れなくなっているのではないか。そこには、何か違う可能性の萌芽があるように思います。

僕は二〇年前に『ピグマリオン・コンプレックス』という本を出しています。ピグマリオン・コンプレックス(人形愛)とは、アフロディテに恋したピュグマリオンが、象牙の似姿をつくりベッドに横たえたところ、アフロディテはこれに生命を与えてガラテイアとし、ガラテイアはピュグマリオンの二人の子どもを産んだ、という神話から来ています。そこを起点に、女性を教育し、理想の女性に育てようとする男性像から、時代の流れの中で、男女の関係性がどのように変貌を遂げてきたかを、フィクション作品を通じて考察したのです。

この三〇年間で、ジェンダーを巡る問題は、様々に変化してきましたが、僕にとって最も象徴的に思えたのは、一九九一年の『羊たちの沈黙』のアカデミー賞授賞式です。主演のジョディ・フォスターが、自分が演じたのは「フェミニスト・ヒーローだ」と発言したのです。ヒロインではない、ヒーローなのだと。一見矛盾するような言葉の中に、男たちにとって都合よく見えるキャラクターを演じながら、それを逸脱していく、新たな女性像が浮び上る気がしました。しかし現在では、そうしたジェンダーを巡る問題はかなり乗り越えられていて、菅さんなどにとっては当たり前のことになっているでしょうね。
 私は二〇一六年に「ラブドールは胎児の夢を見るか?」というタイトルで、ラブドールが妊娠するという表現を試みました。まさしく、ラブドールを女性の側に引き寄せ、妊娠させることで、男性にとって都合のいいお人形と思われていることを逆手にとって、新しい表現の可能性を模索しようとしたのです。

ラブドールの所有者をユーザーと呼びますが、私はラブドールを所有しており、SNSでユーザーさんたちと交流しています。ラブドール展を見に来るのは、女性が多かったという話でしたが、実際にラブドールを所有している人は男性がほとんどで、私が知っているのは、女性では三人しかいません。そして、展覧会に来る女性たちはおそらく、所有したい層とは違い、例えば球体関節人形のような、きれいなお人形さんを見る感覚なのではないかと想像します。加えて、春画展やかなまら祭りのような、性にまつわる文化に興味を持っている方もいるかもしれません。男性の場合は、ラブドールユーザーが展覧会を訪れたケースも多かったようで、「実家を見にいった」と、SNSに投稿しているのを見かけました。同じように会場に足を運んでいても、人それぞれ捉え方が違うのが面白いな、と。
小野
 なるほど。美的なもの、アートとしてラブドールを捉えている層と、実用的な存在として捉えている層があって、ラブドールに対する考え方、関わり方が、よくもわるくもずれているからこそ、同じ会場に一緒にいられるということですね。もしどちらか単一の価値観、単一の目的に収斂するなら、もっと違う空間になったでしょう。
もっと言えば、オリエント工業のラブドールは、オーダーメイドではない、いわゆる量産型ですよね。極端に言うと、同じものを他の人も所有している。でも、それぞれの顧客が抱えるファンタジーが違うから、同じものでも同じだと思わず、愛を注ぐことができる。
 そうですね。アツコバルーでの展覧会にも行きましたが、ユーザー層以外の男性は、何となく面白そうだから来たとか、エロいとか、ストレートな感想が多かったです。女性の中には、私もこんなふうになりたいとか、メイクアップに注目するような意見もあって、関心事が異なりました。女性はラブドールを自分に引き寄せる視点がある。性的な要素を切り離して、見た目の美しさに注目している印象がありました。
小野
 それは立体だからこそ可能だと思うんです。現在は、二次元での画像加工も自由に行えるようになって、SNSでは自撮り写真を加工して載せている人もいるでしょう? それはそれで面白い現象ですが、ラブドールに対して起こる心の動きは、立体だからだと思います。これが平面で完結しているものであれば、ここまで自分に引きつけて比較したり憧れたりする反応は起らないだろうと。

2・5次元ではないけれど、ネットが張り巡らされ、SNSが世界を網羅する反動として、立体への回帰も起ってきているのか? 検索して画像を見ておわりにならず、わざわざラブドール展に足を運び、立体物を見ようとする動きが、新鮮に思えるんです。
アダムには臍があるか臍という痕跡を問い直す

菅 実花氏
 展覧会では、触れる人形も売りにしていましたね。ラブドールに触った感想を、思ったより硬いという人と、思ったより柔らかいという人がいて、同じものを触っていても、人間の肌をどの程度の硬さだと認識しているかで、違う感想になるのだなと。

私は二〇一四年にラブドールを購入したのですが、購入直後に、オリエント工業の肌タイプが改良され、少し柔らかくなりました。今回の触れるラブドールは、私と同じ型の現行モデルだったので、見た目は一緒なのに触ったら全く違うんです。とても驚いて、たくさん触ってしまいました(笑)。
小野
 モデルとしては同じタイプなんですか。
 金型が同じで、形も肌の色も一緒です。触感だけ、私の持っているものの方が硬いんですね。
小野
 物を認識するときに、視覚的情報に頼りすぎると裏切られるという体験ですよね。それから、全く同じ物を触っても、硬いと思うか柔らかいと思うかは、個々人の持つ体験や記憶による。それを触発するのは立体だからこそで、量産品でも、個人の幻想の中で捉え方が異なり、ひとり一人が抱えるファンタジーがずれるからこそ共有できる、という話にもつながりますね。
 ユーザーたちは、自分のラブドールの写真を撮ってSNSで交流しています。当然、同じタイプの人形を持っている人が何人もいます。でもスタイリングの違いで、若々しくなったり、清楚になったり、元の人形は一緒なのに、やはり違って見えるんです。ユーザーさんたちは、そのことを楽しんでいる気がしますね。「○○さんの○○ちゃんは、ちょっと生意気な感じがいいよね」とか、「透明感があっていいですね」などとコメントを交わすわけです。うちの子が一番かわいい、それは全員共通なのですが(笑)、その上であなたのところの子もいいですね、と。
小野
 ラブドールは人工的なものだけれど、ユーザーそれぞれが、スタイリングを変えるという工夫を凝らしているわけですね。この考え方は、社会変革を起こすにも、一つの突破口になりそうです。全く何もかも独特であることを個性だと考えるのか。そうではなくて、既に存在するものをどう活かし、クリエイトするかによって、個性を生み出すことも可能だ、という事例だと思います。

ところで、あの妊婦ドールはオーダーで作ったんですか。
 人形自体は既製品ですが、工場でわき腹を切開し、中にボールを入れて、空気で膨らませられるような加工をしてもらっています。ボディの内側を補強してあるので、普通のラブドールを買ってきておなかを切ったところで、あのようにはならないのです。
小野
 菅さんの作品を見て、まず思ったのは、お臍があるんだな、ということです。十九世紀、アダムには臍があるのか、という大論争がありました。アダムは神に作られた最初の人間ですから、子宮から生まれたわけではない。理屈の上では臍がないはずだと。臍とは、子宮とつながっていた痕跡ですよね。それが唯一ない人間がいるとすれば、アダムだろうと。

そこで気になったのは、菅さんはラブドールを妊娠させる、というアプローチをしたわけですが、そのおなかの中はどうなっているのか。そこから生まれるものは、臍の緒で母体とつながり、いずれ臍ができるのか。それともアダム以来の、臍なきものが生まれてくるのか。そこをどう考えるのか、興味があるところなんです。
 あの作品について、臍について言及されたのは初めてです。私の作品では、ラブドールの臍が内側から押し広げられた、そのままを撮っているのですが……。ラブドールは、臍といってもへこみがあるだけです。人間ならば、臍の緒の跡があって、妊婦はぽこっと出べそになると言われますが。
小野
 臍は機能的には、生まれた後は必要がないものです。でも我々は、あの小さなへこみがあるかないかで、母的なものとのつながり、哺乳類であるかどうかを、瞬時に判断しているんじゃないか。

そうなってくると、ターミネーターには臍があるのか。アンドロイドやロボットといった、未来の人類に変わる何かを作りだすときに、臍をつけるのか。つまり、臍というものに残された、子宮とつながっていた証、それが人間にとってどんな意味があるのかを、問い直す必要があるのかもしれないと。
 近い未来、子宮から生まれた人間なのか、バイオテクノロジーで生まれた人間なのか、臍で判別するというような世界が訪れるかもしれませんよね。
規範から逸脱しないイノベーションはない

オリエント工業のラブドールたち(上野ショールームにて)
小野
 ついでにいえば、菅さんが作った妊婦ドールの膨らんだ腹の内側には、当然子宮があって、その中に胎児がいるのだろうと我々は想像しますが、実際は子宮から子どもが生まれてくる必然性もないんですよね。どこから人間ではなくなるのか、という臨界の問題が、この後ろには控えているわけです。この作品はまだ、それを問うところにはない。もしこの先の展開があるならば、今度に期待したいです。

多くの批評家から袋叩きにあった作品ですが、スピルバーグの『A.I.』には、二つ面白いところがあります。一つは、デイビッドというロボットが、博士に会いに行ったときに、自分が量産品の一つであるということに気づいた。その後、マンハッタンの廃墟ビルの屋上に腰かけていて落下する。それはただの落下だったのかもしれませんが、もしあれが自殺だったとしたら、ロボットのデイビッドはその瞬間、人間的な選択をしたことになります。自ら命を絶ってはいけない、という神の掟を破る。その瞬間に、ルールを破ることによってデイビッドは人間になった、と考えることができるのです。

我々が「機械的」という言葉を使うとき、ルールに従って、その範疇から一歩もはみ出さないことを言います。そこから導き出されるのは、機械が機械でなくなる瞬間とは、機械を支配しているルールから、逸脱する瞬間なのだ、と。

その議論をさらに広げると、ジェンダーやセクシュアリティについても、歴史的に築かれている規範から外れられるかどうかが、重要になってくるのだと思うのです。しかし、規範とは逸脱させないようにする圧力でもあるから、そこには衝突が起こってくる。

今回の菅さんの表現についても、賛否あったと思いますが、批判する人たちは、自分の正しいと思う規範から逸脱していることに対して、文句を言うわけですよね。でも、逸脱しないイノベーションはありません。神の計画通りに事が進むならば、カルチャーなど生まれない。既存の価値観から逸脱する存在こそ、人間なのではないかと思うのです。その一方で、逸脱に対する批判とはなんなのか、ということも人間を考える問題点になると思います。
 「人形愛」自体、逸脱として捉えることができますよね。人間同士の間に存在するのが愛だと規定している人たちからすれば、人形を愛するなんて、気持ちが悪い、違う種類の人間だと切り捨てられてしまう。実際、人間同士のコミュニケーションと、人間と人形のコミュニケーションとは全く違うものですが、愛においては、私は実はそれほど変わらないのではないか、と思っています。
小野
 その話に通じるのですが、『A.I.』の面白い点のもう一つは、人類が滅んだあと長い時間が経って、クローン技術が進化した世の中で、デイビッド自身と残されたママの人毛のクローンから、「家族」が複製されるシーンです。スピルバーグは人類は滅んだけれど、「ヒューマニティ」が地球上に残されたことを描く。つまり、機械と人間のDNAを複製したものでは、人類と見なせないのか、何をもって人間とみなすのか、という問題提起です。思考を固定観念から解き放って、逸脱することを認めるならば、今とは全く違う形の、ヒューマニティやヒューマニズムが始まるのかもしれない、と。
 人工知能を持ったロボットだと、また別のコミュニケーションの問題が発生するので、現段階の動かないラブドールに限定して言いますが、ドールを本当に大切に、メンテナンスを怠らず、きれいにお世話している人たちを見ていると、盆栽を愛している人に似ているのではないかと思うことがあります。

人形は言葉を発しないから、状態をこちらが汲んで、先回りしていろいろしてあげるしかないんですよね。例えばいま座っている体勢は、関節に負荷がかかっているのではないか、と慮る。そういうコミュニケーションを繰り返す中で、人形のスタイリングが買った当初よりも、しっくりくるようになっていきます。

小野さんの『ピグマリオン・コンプレックス』では、男性が若い女性を自分の好みに育てていく、そうした関係性の中で、女性は成長を遂げますよね。男性の望み通りの女になる、というかたちで。

一方、当たり前ですが、ラブドールは成長しません。気の利いたことを言わないし、いつまでたっても自分では着替えないし、直立しない。挙句、勝手に倒れたり、汚れていったりする。だから、ユーザーが「気づかなくてごめんね」と思うしかない。ところがそのやりとりの中で、少しずつ相手のことを分かっていけているような気がする。みなが同じように感じているとは思いませんが、私は、ラブドールと対することで、自分の方が変わっていく、そのことを重要に感じているんです。

ラブドールを扱うときに、現実的な問題として「重量」があります。私が持っている一五〇㎝のモデルは、ほぼ私と同じ身長で、二十五㎏あります。最初は持ち上げることができませんでした。体を鍛えて、ようやくどこにもぶつけずに運べるようになったんです。ラブドールのお世話をするうちに筋肉がついて、私の体の方が変わってしまった(笑)。
小野
 なるほど、面白いですね。
オリエント工業のラブドールたち(上野ショールームにて)
ラブドールに立ち現れる思考、文化、コミュニケーション

 オリエント工業はやらないと言っていますが、アメリカのメーカーでは、現実にラブドールに人工知能を入れたロボット化を成功させています。五~六年開発を続け、徐々に品質も上ってきています。でも、昔からあるしゃべるぬいぐるみ。こちらが何か話しかけると、オウム返ししたり、定型句を話す、あれに近い感じがどうしてもしてしまうんです。もちろんアプリで選択式になっていたり、性格をあらかじめ選べたり、機能性は高いですし、人形の造形も悪くないのですが。動画を見る限り、動くからこそ人形だと感じてしまう。今の段階でセクサロイドを愛せるのは、もともとロボット娘が好きな人だけなのではないか。逆にラブドールは受け答えをしないことが織り込み済みだから、「こちらが汲んであげられなくてごめんね」という反応になるのだと思います。
小野
 最近『〈弱いロボット〉の思考』という新書が出たのですが、そこには例えば、ゴミを自分で拾うことができないゴミ箱ロボットが出てきます。すると、周りの人間が助けてあげたくなって、ゴミを拾って入れるのだと。

ラブドールとのコミュニケーションは、全面的に人間がサポートしなければ成り立たないわけですね。でもむしろその関係性が、コミュニケーションを生んでいると言えるのではないでしょうか。コミュニケーションは、明確に自立した対象同士の間に生まれるとは限らない。共同性の中に立ち現われる何かであると考えれば、相手が盆栽だろうが、構わないわけですよね。それが気持ちが悪いという話になってしまうのは、確立した個人と、確立した個人の間にしかコミュニケーションはないという固定観念のためです。ごみ箱ロボットにはもちろん意識はありませんが、ゴミを入れてもらうと「ぼよよん」と動いて、それがあたかも「ありがとう」と言っているように感じられると。

他にも「マコのて」という、おばあさんやおじいさんと、ただ一緒に手をつないで歩くだけのロボットがいる。会話も何もないけれど、手をつなぐだけで、当事者の中には何かが立ち現われてくる。考えてみたら、本だってあちらから何を語るわけではないけれど、我々は言葉を読み取り、著者と対話し、思考や文化を立ち上げていくわけですよね。

ラブドールは、世話ばかりがかかる存在。でも実は、そこに内在しているものこそが現実社会に必要なコミュニケーションの一端なのではないか。実は人間どうしも、弱さでつながりあっているところがあるし、古代から人は、石や山や川などとも対話をしてきた。

しかしいまは、SNSで個人対個人が、直接やりとりすることが以前より簡単になっているだけに、それこそがコミュニケーションだと思い込んでしまっている気がします。
 コミュニケーションという点から言うと、ラブドールが爆発的に流行った背景には、インターネットの普及があったようです。オリエント工業では、「プチソフト」という幼い容姿のシリーズを出したときに、その中の「アリス」という顔について、ネット掲示板で「すごくかわいい」と書き込む人がたくさん現われた。また、実際に買った人が写真をアップして自慢した。それによって、ラブドールのユーザーコミュニティが形成されていったわけです。

つまり、ラブドールとユーザーの間の個のコミュニケーションがあり、その関係をある種見せびらかすことで、人形を持っている人同士がつながっていく。そこに二重のコミュニケーションがあるんです。

またユーザーコミュニティで面白いと思うのは、ラブドールを持っている人ならば、男性も女性も関係なく、その輪に入れてもらえる雰囲気です。ラブドールですから、女性は領域を犯すな、という否定のポーズをとることもありえると思うのですが、実際には、ラブドールを愛する人間同士、という共通点で受け入れてもらえています。ある種ユートピアのようです。一般的な位置づけとしては、性行為のためにある人形なのに、現実のコミュニティでは、性が全く中心にこない。そこにジェンダーの差がないということには、開かれた可能性があるように思います。
菅実花「The Future Mother 未来の母(左から09、06、07)」

名づけに生まれる関係性と「不気味の谷」

小野
 ラブドールは、一見ジェンダーやセクシュアリティに、がちがちに閉じ込められているように見える対象だけど、実際はそうではない。共有できる話題が差異を超えさせ、ラブドールという本来の目的を逸脱させていくんですね。

文化を豊かにする考え方として、ラブドールとしての機能をどんどん高めていくという方向性もありますよね。その一方で、使う側が、作った目的から逸脱していくことで、性別も思考も嗜好も、異なる人々が集まる場が生まれてくる。これはイノベーションです。逸脱していくところにこそ、我々は何らかの可能性を見出すべきなのです。

他に、ラブドールについて気になるのは、ネーミングの問題です。名前は自分でつけたりするのですか。
 私はつけていないですね。他のユーザーさんも、製品名で呼んでいる人が多い印象です。
小野
 オリエント工業での売り出し時に、既に名前がついているからつけにくいのか。ネームを付け替えないにせよ、まるっきり名前を持たないものとして扱えるか、ということも含めて興味があります。
 これが一号、二号などの番号だったら、対し方が変わるでしょうね。
小野
 名前はファンタジーを生み出す重要な要素ですよね。名づけによって、単なる記号でおわることができなくなる。アンドロイドにはネーミングがありません。ターミネーターも番号です。番号ではなく名前をつけたときに、所有関係が規定される。同時に、名前によって他とは違う存在になり得る。ネーミングもまた、人間的な関係性を作り出すものであるかもしれません。

フランケンシュタインは、自ら製造したモンスターに名前をつけませんでした。モンスターが憎しみを抱いている最も大きな理由は、そこだと思います。最終的には困って、モンスターを製作者の名でフランケンシュタインと呼んだわけですが。名前をつけなかったのは、モンスターをおぞましいものとして位置づけ、名づけをすることで、ある種の関係性を生み出すことを避けたからでしょう。それとは逆の発想で、ラブドールに番号をつけて売買することには抵抗があるからこそ、販売元は名前をつけているわけですよね。名前をつけなければ、不気味な存在に、愛の生まれないただの性具に成り果ててしまうから。

「不気味の谷」という、ロボットや非人間的対象への、人の好悪感情の反応をグラフにしたものがありますね。基本的にはそれは視覚面から考えられていますが、実はいろいろなところに不気味を見出すポイントはあって、その一つが、臍や名前の有無だったりするのではないでしょうか。
 ラブドールを購入することを、ユーザーさんは「お迎えする」と言うんです。メーカーのことを「実家」と呼び、実家に送ることを「里帰り」と言います。「実家でまつ毛きれいにしてもらってきた」、というような言い方をするんですね。これは推測ですが、ラブドールを、人間の女性と同じように、最初から名前のある存在が、別の家から自分のところにやって来て、いま一緒に住んでいる、という感覚で捉えているのではないでしょうか。自分の子どもやペットに名前をつけるとき、そこにはある種の支配関係が生まれます。対人間とおつきあいするときは、名前は新しくつけないですよね。でも、関係性においてあだ名で呼ぶことはある。同じように、沙織という名のラブドールを「さおちゃん」と呼ぶ。そのように、渾名、呼名をつけることはよくあります。
小野
 なるほど。人間社会の恋人関係を模倣することによって、ラブドールを単なる道具ではないものに位置づけるわけですね。それは、ある意味ではアニミズム的で、フェティッシュですよね。そして、カルチャーにもなっていく。
ラブドールは可能性を秘めた未知数の存在

 篠山紀信さんがラブドールを撮り下ろした写真集も最近発売されて、オリエント工業の展覧会に先駆けて、同会場で写真展が開催されたんです。ところがユーザーの間では、あまり評判がよくなくて。つまり「うちの子の方が全然いい」と。常に同じ空間にいて、朝起きたら隣にいる、触れることもできる、そのことがいかに素晴らしいか、ということなんですよね。一方、オリエント工業が刊行した『愛人形』の製品写真は資料的価値もあり好評でした。

模倣という点で言うと、オリエント工業の製品は解剖学的にきれいに、違和感ない見た目なのですが、当たり前ですが鎖骨がない。鎖骨らしき形はあるけれど、触ったらくにゃっと柔らかいんです。肋骨があるはずの場所に手ごたえがないし、膝も皿の形はあるけれど柔らかい。見た目がリアルだからこそ、私たちが本当の人間と重ねすぎてしまうと、驚くんです。
小野
 視覚と触覚の認識のずれですよね。

シェークスピアに「ベッド・トリック」を使った作品があるんです。その一つ『終わりよければすべてよし』ははこんな話です。結婚したい男がいる女性に、その男は振り向いてくれない。それで王様に恩を売って、王の命令の下に、無理やり結婚をします。しかし男はそれを嫌がって、結婚式もろくに上げないうちに、戦場に行ってしまう。「俺の子どもを産んだら夫婦になってやる」というようなことを言い残します。女は男を追っていきます。出かけた先で、男に気に入った娼婦ができる。そこで女は娼婦に頼んで、ベッドで入れ替わってもらい妊娠する。今から四〇〇年前に、シェークスピアはこういうものを書いている。つまり暗闇に視覚が閉ざされたとき、我々は触覚だけで相手を識別できるのか、ということです。

アダルトビデオの影響で、セックス行為は、ライトがガンガンあたる中で行うものだ、という図式ができてしまったでしょう。でもそれはナチュラルなセックスではないし、これでは『源氏物語』の「末摘花」の巻のように、朝起きて隣を見たらびっくり、という物語は失われる。我々の認識は、圧倒的に視覚優位になってしまっています。

赤ん坊はなんでも口に運びます。視覚で判別せずに触覚で判断する。考えてみれば、物を食べるという原始的な行為は、口元まで運んできて、それが食べられるものかどうか、唇で判別していたわけです。

オリエント工業のラブドールには、視覚的な美しさもあるけれど、同時に触れてみた感触が大事で、人間のこれまでになく視覚優位になった文化の中で、触覚の存在を問い直してくれている、と考えることもできますよね。
 もう一つ、女性とラブドールという観点から言っておきたいのですが、ラブドールの存在を、女性のモノ化だ、と疎ましく考える人もいます。ですが私は、ラブドールは女性が敵対したり、憎んだりするような対象ではないと思います。もちろん、首がとれるシリコンの人形と同一視するぐらい、女性を人間だと思っていない勘違いした人も、中にはいるかもしれない。でもそれはラブドールの問題ではないですよね。

心に響いたのは、オリエント工業に届いたという感謝の手紙です。差出人は障害のある男性のお母さん。家庭内性介助というものは、表には出ないけれど確実にあるらしく、障害を持つ男性が悪いわけではないし、どうしようもないことだから、大概母親が行っている。でも母親と子どもの関係性の中で、本来はしたくないことです。ラブドールの存在に、救われました、と。ラブドールは、女性を救う存在でもあると思うのです。
小野
 これは作ったメーカーも想定していなかったことでしょうね。そういう広がりを内在したものを、規範にあてはめて否定してしまうのではなくて、どんなふうに逸脱していけるのか考える、そこが面白いところだと思うんですよね。

いろいろと話してきましたが、ここでラブドールを、人形愛や性的な産業といった過去からの延長としてではなく、未来から来たものだと考えてみるのはどうでしょう。ラブドールを巡る問題は、いままでの延長だけでとらえるのはもったいない。なぜ皆がこんなにひきつけられるのか。未来を過去の延長と考えると、過去の規範が邪魔しますが、全く新しく未来からやってきたものと思ってみる。すると規範から離れて、とてつもなく可能性のあるものとして、ラブドールが見えてくるかもしれません。

未来はいまよりもっと多様な、価値観の解放された世界で、ひょっとしたら人間や、ターミネーターのような強いアンドロイドが支配するのではなく、おどおど、もじもじ、ひょこひょこした弱いロボットみたいなものが、しゃしゃりでる世界かもしれない。

ラブドールはそんな自由な未来から我々に送られてきた、大いなる可能性を秘めた未知数の存在なのではないか、と。菅さんには今後も、その可能性を追求してもらいたいですね。
 はい、次の展開は二年後を目指して作っていく予定です。

未来を考えることは、例えば科学者にとっては、ロボットを作ったり、遺伝子操作の技術を完成させるということだったりすると思います。いまの私にとっては、リアルな人形を用いることで、この先のビジョンを思い描くということなんですよね。
小野
 菅さんはあくまで表現者として、現実の延長上の未来を想像しようとしているのですね。僕の場合はもっと無責任だから、未来のビジョンも自由自在なわけですが、カルチャーをどう考えるのか、そのことにつきると思っています。それを人間と結び付けなくてもいい。もはや誰も省みないフロッピーディスクの方に委ねてもいいし、ラブドールの方に解放してもいい。アートとアーティフィシャルは、同じ根を持っています。我々は神が作ったネイチャーを超えようとして、アートを作ったのかもしれません。アート、そしてアーティフィシャルの意義とは、逸脱することで、思いもよらないものを導き出すこと。それによって未来を作ること、なのだと思います。

(対談おわり)

ラブドールメーカー オリエント工業インタビュー

『愛人形 LoveDollの軌跡』をきっかけに、創業から四〇周年を迎えるオリエント工業の上野ショールームを訪ね、広報担当の方にお話を伺った。(編集部)

揺り籠から墓場まで 

オリエント工業のラブドールたち(上野ショールームにて)
 ――創業後かなり早い時期に、「上野相談室」を設け、障害を持つ方や、精神的なトラウマからの性の悩み相談などにのることを行ったそうですね。そのことが現在のオリエント工業の在り方を決めたとのことですが、ラブドールを製作・販売する上で、大切にしていることを教えてください。

「お客様のためを思っての、製品ドールづくりが会社の基軸です。ラブドールですから、当然使い勝手のよさや、触り心地のよさ。おっぱいやお尻は、まだ固いというご要望もありますので、できるだけ柔らかくしようと製品開発を続けています。柔らかさというメリットは重要ですが、それによってシリコン素材の耐久性が失われたり、重量が嵩んでしまうこともあり、バランスを取りつつ、新しい技術や素材を試しつつ、開発しています。

また例えば、ご購入いただいた際の、お届けサービスもご用意しています。基本は宅配便での配達なのですが、それでは運び入れは入口まで。中には三〇㎏弱あるものを部屋に運びいれて、ご自分でセッティングするのは難しい方もおられます。そこで都内近郊に限りますが、二〇〇〇円をいただきご自宅までお届けして、ご希望の場所にセッティングし、製品の説明なども行っています」

――ラブドールと一緒に結婚指輪も贈るそうですね。ドールを大切に扱っていただくために、他に行っていることはありますか。

「長く大切にしてくださっている方のドールは、メイクが剥げてしまったり、少しずつ汚れたりしてきます。思い入れが深ければ、化粧が剥げたり、まつ毛がとれてしまったり、口紅がまだらでは悲しいじゃないですか。そのためリメイクも承っているのですが、手作業なので当時の印象と変わってしまうことがあります。その点をお断りした上で、元の状態にできるだけ戻すよう努めています。

また〈里帰り〉と呼んでいるのですが、思い入れがありながら、泣く泣く手放さなければいけない状況になったときには、ぜひ弊社へ送り返してください、とお願いしています。ごみ置き場に捨てられていたら、それこそ殺人事件と間違われかねません(笑)。基本的に里帰りした人形は、寺に髪の毛をおさめ、供養させていただいています」

――先ほど、ユーザーからの要望の話がありましたが、柔らかさは一番求められるところなのですか。

「見た目に関しては、評価をいただいているので、あとは触り心地と、関節の硬さへのご要望でしょうか。実際、ラブドールの購入者にも目的が大きく分けて二つあって、ラブドールの撮影にはポージングが決めやすいように、手足の関節はある程度硬い方がいいようです。一方、正統的にラブドールとして使う場合は、関節が硬すぎると、行為の最中に興ざめしてしまいます。ですから動きやすく、ある程度の保持力もあるような、どちらの要望にもお応えできるような関節の開発を目指しています」

――この四〇年で、見た目の精度も、耐久性や使用感など素材の開発も、かなりの進化が見られます。その中でも、見た目と性能それぞれについて、ターニングポイントと言える製品を教えてください。

「見た目については、一九九七年の〈華三姉妹〉から新しい造形師に変わり、美しさのクオリティが上がりました。九八年の〈キャンディガール〉や、九九年の〈プチソフト〉シリーズが生まれ、その頃から、人気の頭部が出始めます。それまでは顔云々で売れるものではなかったのです。現在オリエント工業のドールはかわいい、きれいだと、女性の見学者が多いのですが、そのことにつながる転換点です。

もう一つ、二〇〇一年に、初めてオールシリコンの製品〈ジュエル〉を作りました。この素材を取り入れることで、今まで表現できなかった肌の質感や、リアルでかわいらしい顔を作ることができるようになり、より細かいメイクアップも可能になりました。そしてネットの普及により、オリエント工業の強みである、顔の美しさが、広く知られるようになります」

――性能についてはどうでしょうか。

「やはりポージングができるようになったことが大きいですね。指関節を入れることで、指先にも表現力を生み出せ、立たせることもできるようになりました。製品として上げるとなら、〈ジュエルローザ エフ〉と〈アンジェ〉シリーズ。フレームがここで変わっています。タイタンフレームという骨格は、ポージングに向いていると評判がよかったのですが、先ほども言ったように、使用目的によっては賛否ありました。それで、同じ〈アンジェ〉や〈ジュエル〉シリーズの現行製品は、改良を重ねたデュアルフレームという骨格になっています。これはポージングにもラブドールとしての使用にも、評判がいいです。あとは二〇一三年に、人間のモデルさんからかたどりをした〈やすらぎ〉は、手相や乳首にいたるまでリアルなボディが、これも非常に好評です」

――アニメ顔の〈ファンタスティック〉(二〇〇〇年)シリーズが生まれてきた背景を教えてください。

「〈ファンタスティック〉は、秋葉系、オタクという言葉が出てきた頃でしょうか。当時から、アニメのフィギュアは人気がありましたが、その等身大がほしいという声を多くいただきました。うちの社長は、やるとなると徹底的で、〈ファンタスティック〉については、洋服も全てデザイン、製作をしたので、製作費がかかりました。一定のニーズはあったものの、それほどの数は動かず、廃版となりました。ただ、いまだにアニメ顔のドールを保有している方々がいて、現行のシリコン製のボディに、顔を付け替えて利用してくださっています」

――幼い容姿のかわいい〈プチソフト〉はロングセラー商品だそうですね。

「インターネットの普及で、こんなにかわいいラブドールがある、と広まったのがこのシリーズです。当時、ダッチワイフの印象を払拭して、〈キャンディガール〉という名前を普及させようとしていました。それに見合うかわいさだと。中でも、〈アリス〉という顔は爆発的な人気で、二〇一一年にシリコン製にして発売したところ、五〇体がものの十五分でアッと言う間に予約完売しました」

――現在はどのくらいの個数が購入されていますか。また購入者の年齢層は?

「年間で、合わせて四〇〇体弱ぐらいでしょうか。年齢層は一〇代から七〇代以上まで様々です」

――その数を何人の方で作るのですか。

「今は二〇数人のスタッフがいます。完全に手作りで、顔のメイクも肌の静脈メイクなども細やかに、手間暇かけているので、大量生産はできません」

――海外からの購入数の推移はいかがですか。

「二年程前に、英語版のウェブサイトを開設しました。ただ注文数はものすごく多いというわけではないですね」

――どの地域からのお求めが多いですか。

「お得意様がいるのは、台湾、欧米、それからオーストラリアでしょうか。中国には輸出できません」
人間の根源を扱う仕事

オリエント工業のラブドールたち(上野ショールームにて)
――ラブドールの展覧会では、男性だけでなく、若い女性も大勢来場しているそうですね。以前は周囲の目から隠して所持する対象だったのが、ある種の芸術品として明るい場所へも出るようになりましたね。

「変化はお客様が作ってくださったもので、オリエント工業はラブドールを作り続けていただけです。顔がかわいい、きれいだからツイッターやブログに上げたい、という人がどんどん増えて、それを女性が目にすることで、性の道具云々を抜きに、見た目の美しさのみに注目されるようにもなってきました。ヴァニラ画廊の展示会も、口コミで女性たちに広がったとか。

展示会それぞれのオリジナル企画として、例えば前年のヴァニラ画廊では日本美術との融合をテーマに、あるいは五年前の元麻布ギャラリーでは〈愛玩人形家具〉展として、ラブドールと家具を組み合わせたアートを創作しました。そこには、アートというスタンスからも見てもらえる機会が増えれば、という気持ちはあったと思います。

著名なアーティストの方々からも好評をいただいています。アメリカの美術家ローリー・シモンズさんが、ラブドールを被写体に写真集を出したり、写真家の杉本博司さんが製品を購入して、海外の個展等で展示してくださったり。徐々にラブドールに対する、あるいはオリエント工業に対する偏見がなくなってきたのはありがたいことですね」

――人体をそのまま型取ってもドールとしての魅力は表れないというお話、人形と人間の差異を大事にする、そのせめぎ合いが面白いと思いました。

「造形師やメイクのスキルに関するところでしょうが、人間に近ければいいわけでもないようです。“不気味の谷”とはまさにそれで、マダム・タッソーの蝋人形ではないので、ライフマスクから顔を作っても、決してかわいらしいとか、きれいというものにはならないのが不思議ですよね」
――オリエント工業では男性の人形を作ったことがあるのでしょうか。

「ないですね。経験的に、多くの女性は、こういうものに大金は出さないと思います。性欲のはけ口が必要だとしても、形に拘らず、手軽に購入できるものを選ぶのではないでしょうか。男性は本能的に精子をバラまかなければいけなくて、発散することが必要です。そのための何かが必要なときに、オナホールではさびしいから、人をかたどったものを求める。男性の方がロマンティックな人が多いのかもしれませんね」

――ユーザーからの声や要望で、驚いたことがあれば聞かせてください。

「触った感じが人間と違う、と言われたのは印象に残っています。当然なのですが(笑)。それくらいリアルなものとして、考えていただいたのだと思います」

――他に心に残るできごとがおありでしょうか。

「購入後、今までと日常が変わりました、と手紙をもらうとうれしいですね。

購入して一週間ぐらいで、ラブドールの写真を何枚も持って訪れてくれた方がいました。この写真とこの写真、何か違いを感じませんか、とその方が言うんです。顔が艶っぽく変化しているように思います、とお伝えしたら、とても喜んで、ひとりよがりかと思ったけれど、持ってきてよかったですと。つまり、お届けした日と、初夜の翌日の写真だったんですよね。

里帰りの折にも、大事にされていた子はいい顔をしていて、顔が全く違って見えます。人形が変化するんです、不思議ですね。

それから、入院を控えてご購入くださった方がいました。ところが予定が早まり、お届け日の前に入院しなければいけなくなったと。退院できるかどうかも分からないということで、何とか調整して、予定より前にお届けしました。すごく喜んでくれたことが忘れられないですね」

――障害者割引というサービスも行っているそうですね。

「はい。ご本人もしくは配偶者の方が障害をお持ちの場合、製品価格から10%割引させて頂くサービスです。知的障害者のケアのお仕事に従事されている人が、ショールームへラブドールを見に来られることもあります。そういうところで性の問題を取り上げるのは、今でもなかなか難しいらしいですが。

性という人間の最も根源的な部分を扱う仕事なので、お客さんのニーズを汲むことも、自主規制やアフターケアも一層大事になってきますね」

――ラブドール以外にも、歯科実習用〈昭和花子2〉や、介護練習用〈とめさん〉を開発されていることを興味深く思いました。

「介護研修用に通常使われている人形は、未だに人とは似ても似つかない、重たいだけの塊が使われています。姿がより人に近い方が感情移入して、実際の介護に近い研修ができるのでは、ということで開発しましたが、新規参入は営業が難しく、普及していないというのが現状です。歯科実習用はロボットが内蔵されているのですが、これは熱心にオファーをいただき、お手伝いさせていただいています」

――ラブドールは今や、日本の芸術品の一つだと感じているのですが、日本ならではの、ラブドールが発展した理由などがあるようでしたら教えてください。

「手塚治虫さんや松本零士さんなど、同じ時代に著名な漫画家たちが、セクサロイドを漫画の題材として扱うことがあったらしいです。当時それを読んでいた子どもが大人になって、リアルラブドールが現実に登場したときに、子ども心にどきどきしていたものが実際に売っている。どんなものなんだろうと興味を持つようなことがあったのではないかと。ラブドール文化はアニメや漫画と同じようなところから影響して、今に至っているという説があるようですね。クオリティについては、よく言われることですが、日本人の手先の器用さや、生真面目な気質が、表れているでしょうか。アメリカ製のものは大づくりで、体重も四〇~五〇㎏あったり、中国製は粗悪なものもあったり。オリエント工業の人形は、ウェブサイトでみるより実物の方がきれいだ、と言っていただけるのはうれしいですね」
(おわり)
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2017年7月14日 新聞掲載(第3198号)
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