遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事 / 友兼 清治(太郎次郎社エディタス)数楽運動家をヒラク  知的巨人の仕事、歩みを生き生きと再現|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年7月17日

数楽運動家をヒラク 
知的巨人の仕事、歩みを生き生きと再現

遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事
著 者:友兼 清治
出版社:太郎次郎社エディタス
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遠山啓は、ケイではなくヒラクと読む。本書は、『無限と連続』『数学入門』などの名著を世に送っただけでなく、狭い意味での数学者を超えた知的巨人の仕事を門外漢にも広く(まさに)ヒラクための格好の入門書だ。とりわけ、「水道方式」や「量の体系」を提唱する数学教育改革運動から始まって、障害児教育運動、「ひと」運動など今まで十分に注目されてこなかった教育運動家としての一面は、競争原理や序列主義に果敢に挑んでいくこの人物の厚みを豊かに伝えている。これに寄与しているのが、「編著」という一歩身を引いたような構えのもとで道案内役をつとめた友兼清治の確かな筆力だ。豊富な引用文献を捌いているために「編」の職を自認しているのだろうが、この頼れる評伝作家がいなければ、これほどまでに生き生きした学者の歩みは再現できなかっただろう。

特に感銘を受けたのが、一九五一年の新教育指導要領に反発して以降、遠山の批判は文部省に向けられると同時に、日教組や民間教育団体にも向けられた、というエピソードだ。五〇年から六〇年にかけて教師に対する勤務評定が強行され大きな反対運動が起きたが、では生徒への点数評価は正当化できるのだろうか。「勤務評定も子どもの学力評価も同じ原理なら、不合理性は同じである。勤務評定に反対するなら、子どもの五段階評価にも反対すべきであって、そうしないのは自己矛盾だ」(「新しい学力観と教育」)。思い出すのは、近年、卒業式で国歌斉唱の強制を拒否した教員の振る舞い。当然、個々人には思想信条の自由があるのだから、下らない君が代など歌わなくてよい。只、ならばどうして、同じくらい下らない体育祭や合唱コンクールやホームワークを他人に課すことができるのだろうか。下らない話を六〇分間机に座って黙って聴き続けることを強いることがどうして許されているのか。もし君が代を歌いたくないという気持ちを大事にする(大事にさせたい)のならば、既に誰かの自由を踏みにじってないか、という自己反省に私たちはもう少し真摯に向き合わねばならない。

晩年、堅苦しい「数学」イメージを解き放つために、「数楽」と書き換えることでその楽しさを強調しようとした遠山が、意外にももっていたこの厳しさは、形式論理の中核をなす排中律とも関係していよう。排中律は中間を許さない。イエスかノーか。恣意的な評価を認めるか否か。安易に弁証法に頼って統一しようとすると、「精神勝利法」(魯迅)という頭の中だけで勝利宣言するルサンチマンを帰結させる。「ヘーゲルは悟性の頑固さ(Hartnäckigkeit)ということを言ったが、この頑固さこそが人間の性格というものの本質的な部分なのである」(「数学と形式」)。

勿論、考え方が異なったとしても、依然、本書には一読の価値がある。誰でも編集会議に参加できて書きたいことを書ける教育雑誌『ひと』の実践や、私塾やサロンといった劇場型「見えない学校」のアイディアは、鶴見俊輔がアカデミズムでもなければジャーナリズムでもない知のあり方として提案した、サークルイズムの一つの実験録としても受け取れる。オルタナティヴな教育を考える上で、立場を超えて大いに啓発されること間違いない。学校だけが学校じゃないでしょ?

ちなみに、カバーを外すと遠山の鋭い眼光があなたを見つめる。素晴らしいブックデザインだ。ぜひ実際に外してみてほしい。
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2017年7月14日 新聞掲載(第3198号)
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この記事の中でご紹介した本
遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事/太郎次郎社エディタス
遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事
著 者:友兼 清治
出版社:太郎次郎社エディタス
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