インタビュー 山崎ナオコーラさん『母ではなくて、親になる』|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年7月26日

インタビュー
山崎ナオコーラさん『母ではなくて、親になる』

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山崎ナオコーラさんが、エッセイ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)を刊行した。
赤ん坊が生まれたときから一歳まで、育児だけでなく、その時々の発見や思い、覚悟などが、研ぎ澄まされた感受性で言葉として紡がれていく。
本書について、山崎さんにお話を伺った。 
(編集部)


理想の母親像を捨てると楽になる

――インターネットなどを中心に、社会に吐き出される言葉の中に、違和感や、自身の価値観をみつけていく。そこに、言葉を解さぬ赤ん坊との生活が織り交ぜられていく。そのようにして構築されていく世界を面白く拝読しました。
山崎
 デビューしてまもなく、エッセイの連載を持ったときに、エッセイには他者性が必要だと言われました。自分の思いや考えをダラダラ書くのではなく、自分ではない視点や、可能なら会話文や情景を入れる、そのように心がけています。ただ赤ん坊はしゃべらないので、会話にならない(笑)。そこをどう書くのかは考えました。でも、何にもしゃべらないけれど、常にそばにいる他者という感じはあって、一時、一時変化して、思いもよらぬ行動をしてくれるので、私の思考の流れを、ほどよくかき混ぜてくれるところはあったと思います。

名随筆を書きたいという野心があります。発想としての面白さではなくて、文章としての面白さを目指したいと思っています。

――一章の冒頭に、「人に会いたい、人に会いたい、と思って生きてきた」とあります。その後、この「人」とは赤ん坊を指していると分かり、面白い表現だと感じました。赤ん坊を血を分けた子、腹を痛めた子、と自分の一部のように考えるのではなく、別の「人」だと捉えているところが、新鮮だったのかもしれません。
山崎
 ステレオタイプな、「腹を痛めた子だからかわいい」といった科白をよく聞きますが、私はそれに首をかしげたくなる気持ちが昔からあって、腹を痛めて産んでいなかったらかわいくないのか、そんなことないのではないかと思っています。養子として育てている人も、子どもをかわいがりますよね。

そのことは、独身の頃から考えていたので、自分が子を産んだときは、腹を痛めたからとか言いたくない、と。

――「地球上に人がひとり増えた」という感覚も、視野が広がるような多幸感がありました。
山崎
 髪の生え際より少し上あたりに、大泉門という部位があって、生まれたばかりのときは、ぺこぺこぺこと絶えず動いているんです。それがすごくかわいくて、そのぺこぺこぺこを見ていたら、私に属しているとか、社会に属しているとか、そんなことではなくて、新たな生命体が存在しているという純粋な喜びがありました。 

――「妊娠中に「母ではなくて、親になろう」と決めた」と。また「親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む」と書かれていましたが、この部分について、もう少しお話していただけますか。
山崎
 「母」という言葉は強すぎて、理想の母親像が、世間に溢れているから、育児が辛くなる人がいるのではないかと感じたんです。「母」を捨ててみたら、実際楽になりました。理想像はいらないと思います。

――二章では、「同じ経験をしていない人とも喋りたい」と書いてくださっていますね。
山崎
 はい。私は、分かるよね、と言うような、同調がベースのコミュニケーションを欲していません。むしろ、分からないよねと言い合う方が好きです。同じような立場の人だと、地雷が分かるから、例えば赤ん坊の発達の状態は言い合わないとか、分かりきっている育児の情報は話題にしないとかありますけど、子育てをしていない人と話していると、地雷をバンバン踏むし、常識的なことに疑問を投げかけてきたりする。私はコミュニケーションの醍醐味が味わえるので、その方が楽しいんです。

――育児は多くが家の内側で行われることだけれど、このエッセイを読んでいると、社会と日々密接に関わる営みなのだなと感じるようになりました。
山崎
 私はもともと社会欲が強くて、作家として社会参加したいという思いがあるので、文章を書いていると、すぐ「社会」「社会」と書くところがあります。中村文則さんなどが社会派と呼ばれているのがすごく羨ましくて、私も呼ばれたいのですが、なかなか呼んでもらえなくて(笑)。

政治とか事件とか社会問題を扱うだけが社会派ではないと思うんです。私は育児をしている人は社会人だと思うし、カフェでコーヒーを飲むのも、それにお金を払い、店員さんと対話するのも社会人の振る舞いで、私の独特の言葉の感覚かもしれませんが、家の中にいて、子どもと関わるのも社会人として関わっているし、子どもも社会人。そういう思いで、文章を書いています。
血の繋がりがりではなく唯一無二の存在として

山崎ナオコーラさん
――「新生児にとって私は親ではなくて、世界だ」というのも、素敵な発見ですね。
山崎
 生まれたての赤ん坊は、二か月ぐらいまで親と思っていないどころか、人を人とも判別できないんです。でもいまこの子が触れ合っているのはほぼ私と、あとは夫で、いまは私たちがこの子にとっての全世界なんだな。世界を信用してもらえるように努めよう、と思いました。

――八章の「似ているところは探さない」の中に、「血なんてどうでもいい。赤ん坊は誰とも繫がっていないまっさらな存在だ」とありました。「まったく新しい存在」として生きていってほしいという真意をもう少しお聞きしてもいいですか。
山崎
 金子光晴さんが「すべての人間の肌は、繫がっている」というようなことを書いているのを読んで、その文章は反戦に関するものだったのですが、血が繋がっているからとか、同じ民族だからとか固執することは、極論すると戦争に傾きかねないのではないか、と。そういうこともあって、私はできるだけ血のつながりを意識しないで生きていきたいと思っていました。自分が出産したからとか、夫に似ているから、という理由ではなく、全く新しい唯一無二の存在として、かわいがりたい。そう思っています。

――「眠り」や「笑い」といった人間の基本的な行動について、赤ん坊を通じて、改めて新しい認識を得ていましたね。他にもコップの水に反応する様子をみて、それが美しい世界だと知るシーンもあり、赤ん坊の目で世界を見る真新しさを分けてもらった気がしました。最近もそのような発見は続いていますか。
山崎
 片言を話すようになってきたのですが、「バイバイ」を人に向かってはしないのに、絵本に出てくると、必ず手を振るんです。絵本の「バイバイ」だけを「バイバイ」と思っているのかもしれません。象も、絵本の中の象だけを、「ぞう」と覚えているようで、絵本の世界と現実の世界が、子どもにどう認識されているのか、不思議な驚きがあります。

――山崎さんは、例えば「ワンピースしか着ない」と自分にルールを課す。でも一週間後にやはり動き辛いから、とズボンスタイルになり、全体にネイビーと白、「カーディガンだけ遊び心を持とう」というように、わりとラフにルールを更新していく。

「母ではなくて、親になる」もルールですね。そして村上春樹さんの「批判に対しては、規則正しく生活すると良い」という言葉を取り入れるのもルール化です。それらは、自分の軸を作るための試み、なのでしょうか。
山崎
 そうかもしれないですね。他人の作ったルールに合わせると、傷つくことや、自分の生活が乱されることがある。自分で決めたルールに沿って行動することで、楽になることが増える気がします。

――そうして、山崎さんは、コミュニケーションの中で、違和感を持つ言葉を流してしまわず対峙して、もやもやの中から自分の考えを立ち上げていきます。一つの世界の形成の仕方のように感じました。
山崎
 ちょっとの違和感があったときに、受け流すと決まって後悔するんです。私は子どもの頃から、場の空気を乱しがちで、でも場を乱さずにみなで仲良くするよりは、自分が思っていることを曲げないという方が、ずっと生きやすい。たとえ相手に通じなくても、思っていることを伝えると、自分の中で筋が通って楽になれる。だからたとえ伝わらなくても、小さい声でぼそっと思ったことを言おう、と思っています(笑)。

――「会社ではなく家族なのだから、負担を平らにするよりも、自分も含めて家族全員が元気であるように努めた方が上手くいきそうだ」と書かれていましたが、「家族」とは山崎さんにとって、どういうものですか。
山崎
 家族という言葉は好きじゃないので、違う言葉で書けばよかった。夫と私と赤ん坊はたまたま一緒にいる。会社ではないから、一丸となって何かを運営するような、チームにはなりたくない。ただ一家をやっていくときに、経済活動も必要なので、会社ではない運営をしたい、と言いたかったんです。
多様な生き方が集まって社会は成熟する

――本書の中で、作家という仕事についての、覚悟が新たになっていますね。
山崎
 そうですね。育児エッセイなのに、仕事の愚痴がすごくたくさんある(笑)。

――愚痴というよりも、覚悟の表明? 赤ちゃんが生まれてきて、触発されたところもあるのですか。
山崎
 いえ、芥川賞の落選などで感じることがあったのだと思います。多くの育児をしている人は、当たり前ですが、育児のことばかり考えているわけではなくて、仕事のこととか、社会のこととか、いろいろな考え事をしているはずです。だから育児エッセイに、仕事の話が出てくるのも、当然なのではないかな、と。バリバリ仕事をしている人にも、読んでもらいたいです。

――「自己責任」という言葉を、病気や障害などに当て嵌めて、なぜその人が生き難い状況になったのかを問題にする。そして自己責任ならば助けたくない、国がその人たちを保障するのは認めたくない、というような意見があると。小説「開かれた食器棚」の中でも、論点になっていた問題が、今回のエッセイで繰り返されていましたね。
山崎
 そうですね。

いろいろ考えて、多様な人が集まってこそ社会は成熟するのだし、弱者を切り捨てる社会は持続しない、と考えるに至りました。成熟した社会では、困っている人がいたら、理由を問わずにみなで援助するべきなのではないか。みなで仲良く存続していくことが目的なのだから、責任の所在を明らかにすることには意味がないと思っています。

高齢出産は、障害のリスクがあるという意見が、根拠はないのですがたくさんあって、それに対して、私も引け目を感じたときがありました。でも今は、引け目を感じる必要はない、と堂々と言えます。生き難くなったときには、堂々と助けてもらおうと。

――最近、育児や出産をテーマにした、エッセイや小説作品が多いように感じているのですが。
山崎
 少子化がどうの、というような、社会からの圧力が影響しているのでしょうか。そう言われると、選挙で候補者がプロフィールに、「二児の父」などとこぞって書いていましたよね。だめだなと思います。私もこうして育児に関するエッセイを出しましたが、それが自分のプロフィールの王冠になることは避けたいし、育児をしていることを、声高に、いいことのようにいうのはおかしいと思っています。

「二児の父」が輝くプロフィールになっているのと同じように、育児書を出しやすい状況があるのかもしれませんね。育児のことを考えることは正しいこと、というようなすり込みのある社会は、恐ろしいです。

私にはいま子どもがいますが、いまだに高齢女子の一人暮らし、というようなエッセイをよく読みます。子どもがいない人生をキラキラ生きている、益田ミリさんの本などが大好きです。今はおしゃれなカフェなんて行けないし、ユニクロばかり着ていますが、精神性は変わらないのかもしれません。

友達が一人旅の話などを、してこなくなるんですよね。私が旅などできない状況だから、話すのは悪いと思っているのかもしれない。逆に私も、育児がすごく楽しいということを、子どもがいない人に話すのは、躊躇するところがあるかもしれない。でも私は、キラキラした一人暮らしの話を、もっと聞きたい。バーに行ったとか旅行に行ったという話は楽しいから、もっとしてほしい。それと同じで、育児をしているのが偉い、という視点ではなくて、私はいま育児でキラキラしているんだ、という話を普通にしたい。そういうコミュニケーションができる社会がいいなと思います。全員違う生き方で、全員キラキラしている社会。私はいま、これでキラキラしています、と堂々と言える空気がある社会になればいい、と思います。(おわり)

この記事の中でご紹介した本
母ではなくて、親になる/河出書房新社
母ではなくて、親になる
著 者:山崎 ナオコーラ
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月21日 新聞掲載(第3199号)
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