シュレーディンガーの猫を追って / フィリップ・フォレスト(河出書房新)反復される喪の作業  死んでいると同時に生きている|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年7月24日

反復される喪の作業 
死んでいると同時に生きている

シュレーディンガーの猫を追って
著 者:フィリップ・フォレスト
出版社:河出書房新
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作品の中心にあるのは、「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる思考実験だ。量子力学の問題である。まずそれを説明しなければならないのだが、世間にある量子力学の解説本から抜き書きするよりも、著者フィリップ・フォレストの言葉を引こう。「ひとつの思考実験だが、少なくともそのままのかたちで実現されるなどとは、着想した人間はもとより、誰ひとり考えたことがなかったものだ。仕掛けは至って簡単だ。箱のなかに一匹の猫を閉じ込める。かなり残忍な箱で、放射性物質、ガイガーがカウンター、猛毒入りのガラスの小瓶が入っている。原子が崩壊して粒子が放出されると、放射線が測定され、それをスイッチに、ハンマーがガラスの小瓶に振り下ろされ、箱のうちに毒が拡散し、猫は即死する。人びとを魅了したのは、この装置の風変わりな性格に拠るところが大きいと思われる。だが、それはひとまず措こう。本質はべつなところにある。この実験の原理は、きわめて簡潔に説明できる。実験で定められた時間内に原子が崩壊すれば、猫は死ぬ。反対に、原子が崩壊しなければ、猫は生きつづける。ところが、まさにこうして検討された現象の特性のために、問題ははじめから複雑になってしまう。というのも、予想されるふたつの仮説は、一方が他方を排除するのではなく、この状況に対して同時にあてはまると見なされなければならないからだ。実験がつづき、観察によって中断されないかぎり、原子は崩壊しており、かつ、崩壊していない。つまり、猫は死んでおり、かつ、生きていると推定しなければならないのだ。」

この実験が主人公の脳裡から離れなくなったのには理由があって、黒の縞の入った灰色の毛並みの小柄な猫がある日、彼の家にやってくる。もう何年も彼の家に住み続けているかのような堂々とした態度。なにかの徴のようにさえ思えてくる突然の猫の出現を、主人公は様々な思いで解釈する。まるで、シュレーディンガーの、あの箱から抜け出てきたかのような猫は、つまり、死んでいると同時に生きている。そんな存在に思えてくる。

量子物理学の議論に参加せず(まあ、小説家はしないだろう……)、生きていると同時に死んでいる存在として猫を認識するあたりから、主人公の思念は飛躍する。フィリップ・フォレストの小説の書き方はつねにそうした傾向を持っているが、ある場所から飛躍したとみせて、実は巧妙に元の場所へと戻っているのだ。この小説でも、ある日自宅にやってきた不意の訪問者たる猫と、シュレーディンガーの猫を想像上で結びつけることによって、膨大な「猫文学」との接続が図られる(単なる猫好きの読者にはちょっとつらい展開かもしれない……)。むろんルイス・キャロルの、アリスを導くあの猫へも……。

そして、もうひとつ。娘を亡くした経験がこの小説でも一か所、語られる。フォレストは物書きとしての出発点は研究者だった。評者が最初に読んだのも『テルケルの歴史』という浩瀚な研究書だ。だが、その後彼は四歳になる娘を亡くし、小説を書き始めた。小説を書くことで喪の作業を反復した。死と生を重ねた存在としての猫を考えるとき、娘のことが脳裡をよぎらないなんてことがあるだろうか。「腹に穿たれた穴。胸にある一種の裂け目。そこから見えたのは虚無だけだった」。娘の死を主人公はそう語る。猫は? 猫はその死にどう繋がる? 猫は「事物にも、いまだ命あるわたしたちすべてにも、一種の小休止を与えてくれる」。フォレストはそう書いている。(澤田直・小黒昌文訳)
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2017年7月21日 新聞掲載(第3199号)
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