引揚げ文学論序説 新たなポストコロニアルへ / 朴 裕河(人文書院)体験から離れて開ける展望  戦後文学を眺めのよい場所に連れ出す|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 引揚げ文学論序説 新たなポストコロニアルへ / 朴 裕河(人文書院)体験から離れて開ける展望  戦後文学を眺めのよい場所に連れ出す・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年7月24日

体験から離れて開ける展望 
戦後文学を眺めのよい場所に連れ出す

引揚げ文学論序説 新たなポストコロニアルへ
著 者:朴 裕河
出版社:人文書院
このエントリーをはてなブックマークに追加
一九四五年の終戦から三五年。八〇年代に入ると日中戦争から太平洋戦争に至る戦争の記憶は急速に薄らいでいった。戦争の記憶の風化ということがしきりに言われ、「記憶を風化させない」「戦争を語り告ぐ」などの運動が盛んに行われた。しかし、その一方で、過去を忘れたいという何か圧力のようなものを感じてもいた。この圧力は言論の世界で主張されることは稀であったが、日常的な人間関係の中では珍しくないものだった。昔の苦労話を聞きたくない。いつまでも過去に拘っていると今を楽しめない。そういう感覚は世間には薄く広く広がっていた。過去の話をすると顔をしかめられることもあった。戦中から戦後の混乱期にかけての感覚から抜け出そうともがいているかのような切実なものがそこにあった。

忘れようとする世間の風潮に抗いながら意図的に戦争を風化させまいとする人の語り継ぐ努力は、各都市の空襲や原爆投下など、誰の耳にも戦争は悲惨だと聞こえるテーマに収れんした。しだいに戦争の当事者と言える従軍経験者は鬼籍に入り、戦争を実際に体験したという人々は幼年期の戦争体験を語る。幼年期の戦争体験は完全に被害者としての戦争体験であり、恐怖の記憶であり、飢えの記憶だった。そしてその受け身の被害者の記憶も、もっとも生々しかった飢えの記憶がまず抜け落ちた。飢えの記憶は戦中に限らず、戦後の混乱期の記憶でもある。食糧統制が厳しかった戦中よりも、行政組織が混乱し闇市が横行した戦後のほうが飢えたという話を私はよく聞いた。そして、その話は「あなたたちには分からない」と体験を持たない人間を排除する言葉で締めくくられることが多かった。戦争を忘却しないための努力に比べ、戦後は記憶しようとする意識さえ抜け落ちていった。外地と呼ばれた大日本帝国の植民地からの引揚も忘却にさらされた重要な出来事である。

朴裕河は『引揚げ文学論序説』で、植民地からの引揚が忘却されたことを説く。そのうえで「むろん、『戦後』の植民地・占領地域研究が戦後日本になかったわけではない。しかしそれは、『反省』から出発した研究だったために、被害国の状況について考えることはあっても、そこに加害者のことを考える余地はなかったように見える」と説く。反省から出発した論考は往々にして言い訳めいたものになりがちである。時にはその言い訳が昂じて加害者の立場から論者を切り離し無表情で奥行を欠落させた正論を作り出す場合さえある。朴裕河は『引揚げ文学論序説』でその点を婉曲だが鋭く指摘した。

戦後の混乱期を忘却したいという欲望にはなにか生きる者としての切実さが込められていた。人間の精神は忘却なしには前進できない何かが潜んでいる。忘却のあとに体験の痛ましさと生理に組み込まれた嫌悪と恐怖の粗熱が冷めたあとでなければ考えられない事柄が多大に存在する。アジアでは植民地主義の加害国となった唯一の国が日本だと言っても過言ではないだろう。体験の痛み、恐怖、嫌悪の粗熱がとれたところで、初めて加害者という立場を子細に検討してみることができる。この加害国は、同時に敗戦国でもある。これも日本の戦後では忘却の欲望をもたらす痛みと恐怖と嫌悪を伴う経験であった。そういう意味で、忘却の淵をくぐり抜け、ようやく、植民地主義の加害国であり敗戦国であるという歴史的経験を客観的に検討できる時期が訪れたのである。
「今ではほとんど忘れ去られているが、『朝鮮植民者』というすぐれた植民地論を残した詩人村松武司は、「引揚者」とは「植民者」と呼ぶべき存在をあいまいにした名前だと述べている。村松の言葉を参考にするなら「引揚げ文学」―「植民文学」はその「植民者性」のために『日本近代文学』の中で居場所を与えられなかったということになるのだろうか」

このように指摘する朴裕河は村松武司を再評価するとともに、小林勝、湯浅克衛、後藤明生の諸作品を再検討してゆく。この作業は「引揚げ」からという敗戦から見た日本の植民地経験、帝国主義経験に光をあてることになる。それはまた日本の近代文学を植民地主義から民族自決独立へ変貌した二〇世紀後半の歴史の中に、改めて位置づける作業となる。そして、日本の植民地であった朝鮮、台湾、日本と戦禍を交えることになった中国本土に芽生えた近代文学と近代日本文学の比較と位置づけを検討する端緒をも含んでいる。

従来の日本と欧米といういささか均衡を欠いた比較から抜け出し、東洋と西洋の近代文学形成をバランスよく眺める視座をもたらすのが『引揚げ文学論序説』であり、表題に序説とあるようにポストコロニアルの視点から戦後文学を眺めのよい場所に連れ出す論考のスタート地点を示した論考と言える。戦後文学研究はこれによって大きな展望を得ることができるであろう。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月21日 新聞掲載(第3199号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本
学問・人文 > 評論・文学研究と同じカテゴリの 記事