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2016年8月5日

原爆ドームという建物の歴史を読み解きながら、「平和」について考える

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原爆ドームに関して書かれた書物や論文は、これまでにも数多くあったが、それらの資料を丹念に渉猟し、読み込み、「原爆ドーム」と呼ばれるようになるまでの前史から説き起こしていく。著者・頴原氏は次の印象的な一文で書き始める。
「建築は、一般的に用のものとして、機能性や快適性が求められ、それが失われた時、消滅に至るものと理解されているが、単に用のものとしての建築ではなく、ほかのさまざまな価値が見いだされて保存される建築がある。その究極的な事例として、原爆ドームがある」(「プロローグ」)。

建築とは、たとえば一般の住居であれば、人が安らぎ、生活を営むためのものとして建てられる。あるいは教会であれば、礼拝することが主たる目的として存在する。しかし、そうした「用」を満たすものではなく、「歴史を後世に伝える」ために保存されるべき建築もある。原爆ドームは、この最たる存在であることを、頴原氏は強調する。

元々原爆ドームは、広島県物産陳列館として、一九一五年に建設された。明治期の殖産興業の機運を受けて、主に各地の産業振興と物産品の販路拡大を目的として、全国に建てられた物産陳列所のひとつであった。設計者はヤン・レツルという人物で、現在のチェコ共和国の支配下にあったナホト生まれの建築家である(東京駅に同年設置された東京ステーションホテルの内装も担当したというから、「一流」の建築家だったといっていいだろう)。現存するドームを見ても、かなりモダンな建物だったことがうかがえる(因みに、ドーム型部分は正円ではなく楕円であり、これはバロック時代の建築の影響だという)。同館は後に、広島県商品陳列所から同産業奨励館へと名称が変更され、戦中はその業務が廃止、内務省の出張所や木材を取り扱う会社の事務所として使用されながら、八月六日を迎えることとなる。

本書の読みどころは、二章・三章にあたる「広島平和記念公園」と「原爆ドーム保存の過程」であろう。当初は「保存」の道すら開けていなかった(終戦後の貧しい中、そんなことを考える余裕もなかった)。それを可能にしたのは、やはり地元住民の力が大きい。さまざまな壁(保存するための資金調達など)が立ちはだかりながらも、現存のまま保存する方向に向けて進んでいくくだりは、ひとつのドラマである。

第二章を読んでいると、爆心地からわずか二〇〇メートルの至近距離にありながらも、なぜ建物が全壊せず残ったのか、いろいろな偶然が重なったことが理解できる。竣工以来一〇一年、被爆から七一年、永久保存決議から五〇年、数奇な運命をたどってきた原爆ドームという建物の歴史を読み解きながら、「平和」について考えてみるのもいいかもしれない。
2016年8月5日 新聞掲載(第3151号)
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