阿波野巧也「かまわない」(2017) フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年8月1日

フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない
阿波野巧也「かまわない」(2017)

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作者は一九九三年生まれの若手歌人。所属する「塔」短歌会の内部の新人賞に選ばれ、その歴代受賞者が競作したフリーペーパーに寄せられた連作の中の一首がこの歌である。

フードコートは大型ショッピングモールによく設置されていて、どこの都市であろうとその外観は画一化されている。郊外社会の象徴のような場所だ。開放的であるけれどもきわめて匿名的な空間であり、その中には罪人が紛れ込んでいてもまったく不思議はない。しかも一人客は少なく、「ほぼ家族連れ」なのだ。罪人はあの父親か、それともあの母親か。フードコートがそもそも匿名的な空間であるのに加え、「家族連れ」の姿でさらに個人を覆い隠すという、二重の匿名性を保持した状況だ。

しかし作者は「この中の誰かが罪人」である可能性を排除できない明るいブラックボックスに対して、無闇に悲観しない。「かまわない」と軽やかに肯定してしまうのだ。これは罪人を免罪しているのではなく、罪人を隠匿してしまう可能性を持つ郊外社会のあり方の肯定だ。そしてひいては、自分自身のライフスタイルの肯定にもつながっている。この歌における「罪」は究極のプライバシー情報の象徴として扱われており、そしてプライバシーを守られた空間の心地よさを素直に表明しているのだ。誰にだって他人に見せたくない顔はある。この肯定によって救われる人だってきっといる。「かまわない」が連作タイトルなのも、これは思想だからなのだ。

2017年7月28日 新聞掲載(第3200号)
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