源氏物語(一)桐壺―末摘花 / 藤井 貞和(岩波書店)わが国最初のフェミニズム文学  紫式部の哲学が敷かれた架空の王朝物語|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

著者から読者へ
2017年7月31日

わが国最初のフェミニズム文学 
紫式部の哲学が敷かれた架空の王朝物語

源氏物語(一)桐壺―末摘花
校 注:藤井 貞和、柳井 滋、室伏 信助、大朝 雄二、鈴木 日出男、今西 祐一郎
出版社:岩波書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
軒端荻のきばのおぎ光源氏ひかるげんじに襲われたとき、それが初めての体験で、わりあい男に積極的に応じてゆく「しゃれた」(原文「されたる」)女として空蝉巻うつせみのまきに登場する。「されたる」は近世の洒落本しゃれぼんなどの文化をへて「おしゃれ」というような言い回しで現代に生きる。

空蝉の女君おんなぎみは人妻で、やはり源氏に襲われると、人柄はたおやかでも、しいて「強き心」を加え、受けいれたようでありながら「つれなさ」をつらぬく。逃げ出せばよいじゃないか。どうだろうか。受領家ずりょうけとしては取りいるチャンス。光源氏から「女を用意しろ」と露骨に要求されると、紀伊守きのかみは妹(軒端荻)でなく、自分の父親の後妻ごさい(空蝉)をさし出したという次第。権力関係上の犠牲をしいられる一女性として逃げられるだろうか。

ところが逃げ出すのである。光源氏の二度目のトライからも、三度目のトライからも、空蝉は逃げまくる。三度目なんかは軒端荻を身代わりにして、自身はそっと逃げ出すのだから、うまいというか、ずるいというか。いや、そこにこそ紫式部の敷いた哲学があるわけで、『源氏物語』がわれわれにとって最初のフェミニズム文学になりおおせた理由はそこにある。

夕顔ゆうがおの女は「心もとなき」(頼りない)女で、光源氏と関係が生じたあと、もののけによって取り殺される。死後どうなったかと言うと、自分ももののけになって、この世とあの世との中間地帯、空の一角からこの世にのこした女児(玉鬘たまかずら)を見守る(篝火巻かがりびのまき)。物語はあの世にまでひろがっているという読みがたいせつなのだ。

それにしても光源氏という男主人公は、やさしい言葉をいろいろ用意しながら、どうしてそんなにも女性関係をつぎからつぎへ築くのだろうか。『源氏物語』がきらわれる理由はそこにある。例によって折口信夫(歌人、国文学、民俗学)が答えを出した。王者の条件は〈色好いろごのみ〉であると。王者になるためにはそうするんだという、ある意味でひどい話。

紫式部は子供のときから世界文学全集を夢見て、アラビアンナイトや、アーサー王や、三国志演義みたいな、舞台は古代インドかどこかにまで広がってよい、つまりだれにも負けない物語(ロマン)を書きたかった。そういうことだろうと思う。桐壺巻きりつぼのまきの冒頭からして「いづれの御時おほんときにか」(いかなる王さまの御代みよだか)と、どこかの王朝の架空の物語。

王族であることをやめさせられ、源氏という臣下の身に落とされながら、いかにしてかれは〈王〉になるのか。そのためには王妃おうひを犯してできた子を帝位に即かせるという、構想だけでも雄大だが、それだけだと須磨・明石という二巻がなぜ必要かを説明できない。

みやこを脱出して、明石の君という女性とめぐり逢うことになる、この二巻が物語中、じつに生き生きしている理由を考えることにも繋がる。明石の君を抱く直前に、源氏ははっとする。あっ、この女はだれかに似ていると。いま伊勢に住まう六条御息所ろくじょうのみやすんどころじゃないか。六条御息所から明石の君へ。最深の構想が浮かび上がってくる。……

続きは『源氏物語』(岩波文庫、全九冊)を手に取ってください。
(全九巻。一巻のみ既刊=六二四頁・一三二〇円・岩波書店)
この記事の中でご紹介した本
源氏物語(一)桐壺―末摘花/岩波書店
源氏物語(一)桐壺―末摘花
校 注:藤井 貞和、柳井 滋、室伏 信助、大朝 雄二、鈴木 日出男、今西 祐一郎
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月28日 新聞掲載(第3200号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
藤井 貞和 氏の関連記事
著者から読者へのその他の記事
著者から読者へをもっと見る >
文学 > 日本文学 > 歴史・時代関連記事
歴史・時代の関連記事をもっと見る >