ある奴隷少女に起こった出来事 / ハリエット・アン・ジェイコブズ(新潮社)一世紀以上前の少女の告発  数奇な運命でベストセラーになった不思議な実話|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年7月31日

一世紀以上前の少女の告発 
数奇な運命でベストセラーになった不思議な実話

ある奴隷少女に起こった出来事
著 者:ハリエット・アン・ジェイコブズ
翻訳者:堀越 ゆき
出版社:新潮社
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数奇な話は、小説にいくらでもあると思うが、本書は本国アメリカでも、出版後一世紀以上、完全に忘れ去られたのちベストセラーになった、不思議な実話である。出版社の倒産により、結局は自費出版という形で世に出ることになった本書は、著者の事情、並びに当時の時代背景から、偽名で執筆された。著者は元奴隷少女だった。

本書の作者ハリエット・アン・ジェイコブズは、約二〇〇年前に米国ノースカロライナ州に生誕した。当時奴隷には禁じられていた読み書きが出来た彼女は、偽名で、生涯に一冊だけ本を書いた。白人奴隷所有者による暴力・強姦の事実、家族バラバラに売られる悲劇、また全編を通じて展開する稀代の悪役ドクター・フリントとの死闘は、まるでハラハラする小説のようにドラマティックである。文字が書けるはずがない奴隷の手によるものとは思えない、知的な文体のせいもあり、少女が誠実に記した波乱万丈の人生の記録は、白人知識人が書いた作り話と誤認されてしまった。

二〇世紀の終りに、ある歴史学者が、本書の著者名と書かれた「出来事」が事実であると証明するまでは、本作は、完全に忘れ去られた作品だった。

奴隷であったジェイコブズだが、心は奴隷に非ず。それが時代や歴史、人種の違いを飛び越えて、現代日本の読者と奴隷少女を深い共感で結びつける。
「わたしが経験し、この目で見たことから、わたしはこう証言できる。奴隷制は、黒人だけでなく、白人にとっても災いなのだ。」
「奴隷制からわたしが受けた影響は、ほかの少女のそれと変わらなかった――つまり、世界には邪悪なやり方が存在すると、大人になる前に知ったということである。」

少女の夢は、自由になることだった。そしてその実現のために、彼女が歩まねばならなかった人生は、道筋のない、過酷で孤独な道程であった。現代の我々も同じ夢を抱き、結局ほとんどがそれを実現できないところは、突き詰めれば奴隷制時代と変わらない。失敗し、裏切られ、執拗な追手に阻まれる。しかし少女を助ける人物が、人種を問わず多数現れるのも、本作の魅力である。

単行本で八刷。翻訳書では初めて啓文堂書店で文芸書大賞を受賞。七月に新潮文庫となり、同時に「新潮文庫の一〇〇冊」となった。

私が原書に出会ったのは、東日本大震災直後の夏、出張で地方に向かう新幹線の車中だった。ニュース映像は人間の悲劇や不運を映しだすだけで、生き方を教えてはくれない。それは本の中にしか、しかも時代に耐えた古典と呼ばれるものの中にしか見つからないのではないか、と漠然と考えていたときだった。本作は広く読まれる価値があると考え、一介のサラリーマン(♀)である私が翻訳・出版を決意した。苦難の運命と闘いながら、自分は間違ったことをした、と悔いた少女の無念を、彼女のことばから希望を見出すひとが、現代に一人でも多く増えることで、晴らしたいという思いもある。(三四三頁・六三〇円・新潮社)
この記事の中でご紹介した本
ある奴隷少女に起こった出来事/新潮社
ある奴隷少女に起こった出来事
著 者:ハリエット・アン・ジェイコブズ
翻訳者:堀越 ゆき
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月28日 新聞掲載(第3200号)
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