柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学 書評|山崎 正和(中央公論社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

わが社のロングセラー
2017年7月31日

中公文庫
「消費」を手がかりに、新たな主体性の美学を構築
山崎 正和著『柔らかい個人主義の誕生』 

柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学
著 者:山崎 正和
出版社:中央公論社
このエントリーをはてなブックマークに追加
一九八四年に刊行された山崎正和氏の『柔らかい個人主義の誕生』は、日本の消費社会論の先駆けとして名高い。一九七〇年代に日本という国家が「祝祭の場所」から「実務の世界」へと転換し始めた一方、共同体の絆がゆるんで「個人化」が進んだことを受けて、本書は新しい主体(個人主義)のモデルを提案しようと試みた。その際に手がかりとなったのが、従来は知的に論じられることの少なかった「消費」であった。

氏は「世俗内禁欲」(マックス・ヴェーバー)にもとづく近代の勤勉な主体像に対して、その生産主義・効率主義を相対化しつつ、覚醒と陶酔に両足をかけた「消費する自我」を評価する。と同時に、派手な「蕩尽」に革命的意義を見出すボードリヤールやバタイユの議論とは一線を画しながら、むしろ茶の湯に代表される日本の伝統的な「社交」をヒントに、市民社会と消費社会の調停を企てた。それは最近の東浩紀の「観光客の哲学」とも遠く響き合うプランだと言えよう。

このような大枠の議論に加えて、細部に重要な認識が込められていたことも見逃せない。例えば、多くの消費社会論やポストモダン論は「大きな物語」の崩壊に伴う価値観の多様化を問題にする。それはそれで重要だが、氏はより繊細な知性を働かせて「不幸」が「いちじるしく個別的な性格を強めている」ことに鋭い視線を投げかけていた。

現代人はそれぞれの仕方で不幸になる。そして、価値観の違いは対話によってある程度調停できるのに対して、不幸の多様化/個人化はそのような調整を受け付けない。なぜなら、個人の不幸はその性質上、公共のコミュニケーションには馴染まないからだ。個人として密かに処理せざるを得ない不幸=秘密の上昇は、社会的分断の隠れた要因と言うべきだろう。

さらに、氏が「成熟」をたんなる「自己限定」ではなく、むしろ「限定しきれない自己の曖昧さと複雑さとを受け入れること」と定義したのも興味深い。自己限定としての成熟にこだわりすぎると、かえって自我の硬直化を生み出しかねない。それよりは、どのみち曖昧さや矛盾からは逃れられないと悟りつつ、アモルファスな自己に対してそのつど責任を負うほうが、より実り豊かな成熟の可能性を開くのではないか。かたや、最近の日本では「未成熟」を安易に肯定しようとする議論が目立つが、それは成熟について考えるのを最初から放棄しているにすぎない。

こうして、氏は消費社会化を手がかりにして、新たな主体性の美学を構想する。実際、今日の日本の文化環境で良き「市民」であるには「消費」を介した対話や反省が欠かせない。もっとも、氏の美学は今なお「未完のプロジェクト」である。物語る欲望に駆り立てられ、真偽不明のネタに右往左往する現代のインターネット社会が「柔らかい個人主義」を育てる場であるかは疑わしい。だからこそ、消費社会の本来の思想的可能性を思い出すきっかけとして、本書は再読されるべきである。
この記事の中でご紹介した本
柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学/中央公論社
柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学
著 者:山崎 正和
出版社:中央公論社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年7月28日 新聞掲載(第3200号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
福嶋 亮大 氏の関連記事
山崎 正和 氏の関連記事
わが社のロングセラーのその他の記事
わが社のロングセラーをもっと見る >
ビジネス・経済 > 経済学 > 資本主義関連記事
資本主義の関連記事をもっと見る >