浜田康敬『旅人われは』(1985) 「盗む」「刺す」「殺す」はたまた「憤死」する言葉生き生き野球しており|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年8月8日

「盗む」「刺す」「殺す」はたまた「憤死」する言葉生き生き野球しており
浜田康敬『旅人われは』(1985)

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野球はなぜか物騒な用語が多い。塁を「盗む」し、走者を「刺し」たり「殺し」たりする。ホームベースで「憤死」することもある。「憤死」って辞書によると「憤慨しながら死ぬこと」らしいけど、よく考えると走者って別に憤慨してなくないですか。

そんな言葉の面白さに着目したのがこの歌。しかし「言葉生き生き」だなんて役所の広報のような紋切り型の言葉をあえて引っ張り出してくるあたり、けっこう悪意を感じる詠みぶりである。ベースボールは戦争のイメージと重ねられて近代日本に輸入された文化であることを示唆しているのだ。無法状態のときならともかく、平和な社会の中で見るこれらの動詞は、すべて単なる犯罪でしかない。

作者は両親と早くに死別し、印刷所で働きながら通信制高校に通っていた二十三歳のとき、「成人通知」という作品を塚本邦雄に激賞されて角川短歌賞を受賞した。当時の最年少受賞であった。その作品は、まっとうに育ち輝かしい青春を送った人々への怨みと呪詛に満ちている。だからこの歌で念頭に置いている「野球」も、プロ野球ではなく高校野球ではないかと想像してしまう。なお作者にはもう一首「生き生き」した歌がある。〈ガッツ石松かつてボクサーたりし頃われも生き生き生きおりたりし〉。戦争をメタファー化して言葉の中に暴力を組み込む野球より、もっと直接的に暴力をぶつけあうボクシングの方が、作者にとっては清々しいものだったのだろう。
2017年8月4日 新聞掲載(第3201号)
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