シリーズ《貧困》Ⅱ世界の路上から 絶望を希望に変えるもうひとつの選択肢 社会的連帯経済、小さなコミュニティ、オルタナティヴな経済 工藤律子・石井光太 対談|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 特集
  3. シリーズ《貧困》Ⅱ世界の路上から 絶望を希望に変えるもうひとつの選択肢 社会的連帯経済、小さなコミュニティ、オルタナティヴな経済 工藤律子・・・・
読書人紙面掲載 特集
2017年8月10日

シリーズ《貧困》Ⅱ世界の路上から
絶望を希望に変えるもうひとつの選択肢
社会的連帯経済、小さなコミュニティ、オルタナティヴな経済
工藤律子・石井光太 対談

このエントリーをはてなブックマークに追加
世界人口の一八%、約五人に一人が一日一・九米ドル未満で生活している(ユニセフ:世界子ども白書二〇一六)。厚生労働省が二〇一七年六月二七日に発表した二〇一六年国民生活基礎調査で、全体の相対的貧困率は一五・六%、子どもの貧困率は一三・九%(七人に一人)で、過去最悪だった前回の一六・三%から改善したが、OECD加盟三六カ国の平均である子どもの貧困率一三・三%、相対的貧困率一一・四%を依然上回り、ひとり親家庭の貧困率は五〇・八%と半数以上の家庭が厳しい状況に置かれている。

シリーズ貧困の第二回では、国内から世界に目を向け、世界の貧困の現場から日本の貧困を捉え返す。

今回は、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社)で第十四回開高健ノンフィクション賞を受賞し、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)を上梓したばかりのジャーナリスト工藤律子氏と、近刊『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)をはじめ、『絶対貧困 世界リアル貧困学講義』(光文社/新潮文庫)など貧困に関する著書の多くある作家の石井光太氏に、お二人の見てきた世界の貧困地域の現状や取り組みをお話しいただいた。対談は工藤氏が共同代表を務める「ストリートチルドレンを考える会」の活動の話から始まった。 (編集部)*写真撮影は篠田有史氏


路上からの視点貧困の真実

工藤 律子氏
工藤
 私たちがボランティアで運営するNGO「ストリートチルドレンを考える会」の活動では、春はフィリピン、夏はメキシコに参加者を募ってスタディツアーを行っています。メキシコシティで様々な活動をするNGOを六つ廻って、施設の活動に参加したり、ストリートエデュケーターに同行して、直接、路上で子どもたちと交流したりしています。今年は珍しく社会人の参加者が三名いますが、通常メインとなる学生の参加者は最近なかなか集まりづらくなっていて、そもそもスタディツアーに集まる人数自体が、ここ五年くらいは減ってきています。
石井
 集まらない理由は何なんですか?
工藤
 一つには今よく言われるように、大学生に金銭的な余裕がなくなってきたということがあると思います。中身よりも値段、近場の格安旅行のほうが好まれるようです。それから若者が内向きになっているという要因も大きいかなと。過去の参加者の中にはスタディツアーに参加した翌年に今度は自分で現地に行ってボランティアをしたり、ツアーをきっかけに進路を変えた人、現地の人と結婚した人もいます。社会人だと、教育関係者や看護士、児童養護施設のスタッフも参加しています。石井さんは若い頃から随分いろんなところを旅されていたようですね。
石井
 出発点でいえば、僕は作家になりたかっただけで、もともとはそこまで貧困に興味があったわけではないんです。作家になりたくて何を書いたらいいだろうと思っていて、アフガニスタンで物乞いを見た瞬間にこれをルポにしたい、しなければならないと強く思ったのが大学一年生の時で、そこからずっとやってきた。ですから支援を第一に考えるNGO的な発想ではなかった。逆に言えば、そういう人たちとは違う目線で貧困を見ていた。たとえば、それが現場で生きる人たちのエネルギーであったり、『絶対貧困』(二〇〇九年光文社/二〇一一年新潮社)で描いたような生きるための仕組みだったりしたんです。貧困のマイナス要素としては、日本の貧困とまったく同じなんだけれども、お金や物がないというより、自己肯定感が持てないとか、お金がないことによってアンダーグラウンドな仕事に関わって犯罪に手を染めてしまうとか、そういう負のスパイラルにはまりやすいことです。そこが危険で、『マラス』(集英社)に出てくる少年たちのように、お金がなくて働く場所もないことからギャングになって殺されちゃいましたとか、そういう家族の傷とかトラウマを抱えて生きることの方が大変なんです。でも、全員が全員そうなっていたら普通に生活をしている人はいなくなる。じゃあ、そういう人たちはどうやって生きているのか。彼らなりの仕組みやルールがあるんです。例えばそれが、フィリピンのように海外に働きに出た家族が送金していて国のGDPが一〇%になっているとか、そういうこと。それはそれで一つのセーフティーネットの在り方であって、スラムでもメガスラムという数十万人規模のスラムがありますが、町として貧困が成り立ってしまっているわけです。その成り立つ要素は先程の負のスパイラルなり貧困のセーフティーネットも含めて存在する。それがどういう構造で成り立っているのかという貧困の真実といった視点が貧困を考えるときに必要なんじゃないかと思います。僕自身は作家としてそういった構造、土台をきちんと示したいと思って書いたのが、『絶対貧困』という本です。
工藤
 私は学生時代の研究テーマが、メキシコシティのスラムの生活改善運動だったんです。スラム住民が自分たちで生活を良くしていく活動を調査していました。ですから石井さんとまったく同じで、貧乏が悪いとは思っていなくて。私が学生の頃はバブルで日本がおかしくなっていた時代で、初めてメキシコに行ったのは二十歳のときなんですが、一般には「汚い」、「ヤバイ」というイメージのスラムで出会った人たちは、バブルで浮かれる日本人よりずっと元気で誇りを持ち、幸せそうだった。

一方で、同じスラムから街なかの路上に出てくる子どもたちもいて、スラムに住む私の友人の子どもと路上暮らしをする子どもたちは、一見同じ家庭環境、背景を持つように見えるのに、実際に生きている現実はまったく違う。それはなぜなんだろうというのが、私の一番気になったところでした。そう考えると、経済的な状況以上に、先程石井さんが仰っていた自己肯定感とか、自分が生きている意味というものを何かしら感じられる状況にいるかいないかで、人間の幸せが大きく違ってきてしまうということが見えてくる。そこは日本であろうがメキシコであろうが同じで、一人ひとりの状況がどうであれ、最低限の幸福感や生き甲斐が保たれるように世界の根本的な構造を変えないと、いわゆる「貧困」の問題も変わらないし、日本の子どもの自己肯定感の低さも変わらない。問題の源は同じだと思うんです。
分断とグローバルな絶望感

石井 光太氏
石井
 スラムの問題は貧困にあるというのは、その通りなんだけど、実はもっと細かく見ていかなければならないことだと思うんです。工藤さんがストリートチルドレンはスラムの人たちとはまた違うと仰ってましたが、確かに全然違うんです。なぜスラムに住めるのに、ストリートに弾き出されてしまっているのか。そこには家庭の事情や暴力があったり、本人の状況があったり、普通とは違うものが存在している。彼らはスラムでの生活からはじき出されているんです。そこが大きな問題なんです。でもそれって日本とまったく同じで、日本にこれだけ貧困があっても、全員グレるわけでもないしおかしくなるわけではない。

日本でも同じ。少年院を取材したりすると同じ貧困家庭でも、いろんな家庭の事情を抱えているわけですが、貧困はきっかけに過ぎなくて貧困プラスαの要素で、というか貧困はむしろ関係なくて別の問題によって問題が起きてしまっているのに、僕たちはそれをいっしょくたに考えてしまっている。見なきゃいけないのは貧困ではなくて、貧困にプラスしてどんな問題を抱えていて、それがどんなふうにその子のギリギリの生活を壊してしまったかなんです。たとえば、その子が抱えている発達の問題だとか、親が抱えている疾患だとか、また別の環境要因だとか。僕たちは貧困を解決すれば何とかなると考えてしまいがちですが、それはちょっとずれている。貧困問題だけなら、そこまで大した問題にはならない。あまりにも貧困の部分だけを見過ぎているがゆえに、個別な問題への取り組みが遅れてしまっている部分もあって、本当は両方を見ていかないといけないんじゃないかなと。
工藤
 ラテンアメリカは世界で一番格差が大きい地域だと言われていますが、三〇年以上見ているメキシコシティに限って言えば、一番感じるのは、三〇年前と今とでは状況が全然違うということです。なぜその違いが生まれてきたのかと考えると、貧困自体ではなく、格差というものが人の心を変えてきた、それは日本も含め世界中そうだと思うんです。単に貧しくて物がないということ自体は、ある意味、そんなに悪くないと思う。むしろそれに対して、それぞれの人がどう感じるかが、問題。それは、その人の置かれている状況、周囲に影響されている。おそらく三〇年前のメキシコシティのスラム住民は、貧乏であること自体にはそれほど深刻な苦しみは感じていなかった。逆に今よりも、「みんなで良くして行こう」という希望があった。でも今は同じ場所にいる貧乏人の間にも格差が生まれて、お金がないと幸せじゃない、という考え方になり、それにつれて人々が分断されていった。そして分断されればされるほど、どの経済レベルにいる人たちの間でもお金があるかないかに対するストレスが強まり、不幸になっている。現実にお金がないと手に入らないものも多くて……。
石井
 スマホとかね。
工藤
 自分の家のテレビが大きいことの方が、みんなで助け合って頑張ることよりも大事というふうになってきてしまっているんです。それは、一人ひとりが望んでそうなったというよりも、メキシコのように「第三世界」に属する国々では、先進国と呼ばれる国々と自国の権力者の都合によって選択され築かれてきた経済、社会、世界の構造の中で、人間が変えられてきてしまった。一人ひとりがどういう状況にあるかというのは、ある意味ではその結果に過ぎなくて、誰がそうさせたのかということを見ないと意味がないと思うんです。石井さんが先程仰っていたように、貧困の姿はそれぞれの人が持つ細かい条件で違ってくる。でも全体構造の方を変えれば、その違いが人を破壊するまでには至らないようにできるはずなんです。
石井
 分断というのはすごく大きいですよね。今は富裕層、中間層、貧困層ががはっきり分かれてしまって、日本でも職人になって手に職を付ければ一生食えたのが、今は外国人労働者に変わったり、非正規労働者になったりして給料自体もすごく低い。海外もまったく同じでスラムの人間が路上でバイクの修理屋をやって成功するということもあったわけですが、今はそういう仕事も技術的、法律的に成り立たなくなっている。社会構造の中で這い上がることができない構造になってしまっていて、良い意味でのグレーの部分がなくなってきた。白黒はっきりさせる世界を作ってしまったことによって世界が分断され、その分断が貧困から這い上がることを困難にさせ、這い上がれなくなってしまった人間は絶望感を感じている。その絶望感や否定感に個別の家庭問題が結びついているというのが今の構造だと思います。それは世界的なグローバリズムの中で起きているのではないでしょうか。
工藤
 中南米について言えば、グローバリゼーションの弊害がもろに出ています。
石井
 先日同窓会があって、同級生だった土方のあんちゃんが来たんです。実が彼は四カ国語を話せて、中卒のヤンキーだった彼がなぜ喋れるかというと、今土方はほとんど外国人なんです。ブラジル人からポルトガル語、イラン人からペルシャ語、ペルー人からスペイン語、自分は音楽が好きで英語で歌詞を書いてるから英語を喋れる。おいおい、俺より流暢じゃないかと(笑)。そういうところでもものすごく国際化していて、中南米の人は米国へ行ったり、アジアの人だったら中東へ出稼ぎに出たり、それがグローバルに展開してしまっている。
もうひとつの選択肢 社会的連帯経済

工藤
 マラスの取材を始めたのは、二〇一四年春に「中米から米国へ不法入国する子どもが急増している」というレポートを読んだのがきっかけでした。中米は麻薬の密輸ルートになっているので、マラスのようなギャング団が麻薬カルテルの下っ端として働く状況になっています。メキシコでも、貧困層の若者たちには米国へ行くか、カルテルの下で働くかしか、十分な生活費が稼げる仕事が見当たらない。まともな仕事で這い上がる選択肢がほとんどない。それは彼らがそうしたわけではなく、社会構造がそうなってしまっている。メキシコでは一九九四年以降、北米自由貿易協定により、北との間でより大きな人と物とお金の流れがつくられていく中で、麻薬カルテルが商売の種類と量を増やしていき、使える人間をどんどん取り込んでいった。結局、何が儲かるといったらカルテルの仕事が一番儲かると、若者たちは言うんです。カルテルに関わらなくても彼らが希望を持てるような環境があればいいのですが、今のラテンアメリカを見ていると、お金がないと駄目だ、と思っている人間が圧倒的に多いですし、家族全員がコツコツ働き支え合う家庭内経済が、昔のようには成り立たない。結局は誰かがマフィアに入るなり米国へ出稼ぎに行くなりしないと、一生浮かび上がれない状況になる確率が高い。

そんな世界で、私がすごく注目しているのは、スペインの市民運動や市民政党のような動きと、社会的連帯経済です。社会的連帯経済とは、一般的な企業ではなく協同組合などを軸にしたもうひとつの経済で、今の経済システムとは異なる、もうひとつの経済をつくろうというもの。欧米やブラジルなどで進んでいます。要は人の繋がりがベースなんです。インドの路上の子であれ、日本で虐待を受けている子であれ、あるいは虐待をしている側の親であれ、結局は「人との繋がり」というものがあるかないかで状況が違ってくる。それと同じで、経済もお金だけですべてを決めてしまうような今の状況ではなくて、もう少し人との繋がりがベースになった経済をつくれば、既存の経済システムの中でうまくいかなくても、そのもうひとつの経済に参加し、活動する人たちと繋がることで、絶望から抜け出せる。今の格差世界は変えられる。そういう考え方で動いている人たちがいて、スペインでは彼らが市民政党を支えています。議会第三党になったポデモス(私たちはできる)党などのことですが、バルセロナやマドリードといった主要都市では、彼らと共闘する市民政党が政権を執っているんです。そして、各都市で社会的連帯経済を推進する政策を実施している。そういう流れに、世界中が注目して、自分たちの地元や国で取り入れていくといいなと思います。現実にそう考えている人は、日本にも結構いるんです。もっとそういうことを声を大にして言っていくことが大切だし、それを伝えることが私たちの仕事の一つでもある。スタディツアーにしても、問題に気づいてもらうきっかけになればと、やり続けています。参加者の学生によく言われるんですが、路上暮らしのかわいそうな子たちに会う、というイメージで行ったのに、現実は真逆で、自分たちよりも元気でしっかりしてるって。それでエッと思って、なぜなんだろうと考える。そうした気づきと思考の積み重ねが大切です。そうして私たちが伝えるべきことをきちんと伝えていけば、社会は変わる、決して変えられないものではないと思うんです。
小さなコミュニティオルタナティヴな経済 

石井
 アジアやアフリカでももっと規模を小さくして成り立たせようという動きはありますね。その職場だったり人と人との結びつきが大切で面白いから、そこに自分の居場所を作っていく。アジアやアフリカでうまくいっているのはそれですよね。外の世界に出て荒海で揉まれて生き残れる人もいるけど、生き残れない人もたくさんいる。スラムの小さい社会の中で数十人単位で成り立たせる仕事の在り方とか、経営者の仕事の考え方を含めて、搾取でなくみんなでファミリーを作っていこうという場所を増やしていかなければいけない。 

僕は先日、石川県の「Share(シェア)金沢」という福祉施設に行ったのですが、そこでは施設の中に一つの町を作っているんです。もともとは知的障害者の入所施設なんですが、そこに学生から老人からみんな住まわせて温泉を作って成り立たせる。そこで働いているのは全部入所されている知的障害者の方々で、そこでいろんなものを結びつけて完結して、そこを卒業したあとも働けるようにしていこうというわけです。今の大きな経済が悪いわけではなくて、それがあるからこれだけ発達して快適な生活が送れているわけだし、選択肢が二つあってもいいんじゃないか。白黒ついた厳しい社会にいて駄目だったら田舎に帰るような感覚で、もう少し小さな世界の人の繋がりを大切にする経済圏に行く人とこっちで頑張る人といてもいい。それと同じ感覚で発展途上国のスラムで作った洋服やアクセサリーを一般経済の流通で売る動きがあって今はまだ福祉的な事業ですが、一般化していこうとしているし、希望があるなと思うのは今の若い人たち、学生や二十代の人たちがフェアトレードのようなやり方に憧れを持ってやっていて、もっと広がっていくのかなと思います。僕も工藤さんの学生時代も、途上国に行ってファッションやろうなんて考えもしなかったですよね。

ただ、きれいごとだけじゃなくてそれこそマラスみたいなところにいた人間が社会にカムバックしてくるときにその子たちをどこが受け入れるかみたいな別の問題が出てきたりする。あるいはその子たちに対するある種差別的な要素も大きいかもしれない。例えば僕がアフリカのウガンダで取材したときに少年兵がゲリラから逃げてきて村に戻ってくる。でも村では少年兵は悪魔が憑いているから村自体が呪われてしまうと考えられていて叩き帰されてしまうので、元少年兵たちは村に定着できない。アフリカの村というのはいまだに呪術的な世界ですからものすごく大きな要因なんです。じゃあ、そういう追い出された子どもたちが悪いことをするのかといえば僕はそうは思わない、ただ悪いことをするだろうという目線が彼らにそうさせると思うんです。それは日本でもそうだと思う。例えば、僕たちの印象だと刑務所を出所した人間を雇ったらさっさと辞めそうじゃないですか、でも実は少年院から帰ってくる少年の離職率は一般の人と変わらないんです。そこの問題というのは小さなコミュニティを作ったからこそ出てくるかもしれない。そうした共通感覚だとかイデオロギーや雰囲気が排他的にならないような形をどうやって作ればいいのか、もう少し考えるべきかなと思うし、考えるべきことはどんどん増えていくと思います。
工藤
 私が今好きだなと思うのは「労働者協同組合」で、日本ではまだ農協や漁協といった協同組合や企業と同じような法律的枠組みがないのですが、ヨーロッパでは労働者が自ら集団で経営し働く職場が、たくさんあります。多国籍企業を含む一般企業を中心に動いている既存の資本主義経済と併行する「もうひとつの経済」をつくるために全国に広がって繋がっている国もあるので、そういうことを世界中で少しずつでも広げていけば、小さなコミュニティだけではなく、国や地域でオルタナティヴな経済を持つ社会は可能だと思うし、既にある。

フェアトレードは現在、第三世界のものを先進国で買うというイメージで、現実にそれが中心だと思うのですが、移動コストが環境にも価格にも影響するし、誰もが買えるというところまでいっていない。でも自分の地域や国の中でやっていけば、そういうデメリットはないし、みんながそういう考えを共有できれば、それによって世界中が繋がることも可能です。お金儲けではなく、みんなで豊かになるための経済活動を広めるという考え方を共有することさえできれば、オルタナティヴな経済を世界に広めることはできるし、貧困問題も今のような問題ではなくなる。日本の子どもの貧困という言葉自体もおそらく要らなくなる。
貧困を捉え直す 教育現場からの声

石井
 貧困という言葉が否定的なんですよね。今は全世界的に貧困をものすごく悪い意味で捉えてしまっていて、事実としてそういう社会構造があるので否定的なものであることは事実なんだけど、トラウマを背負うだとか貧困地域で生まれ育つということをどうやったら自分にとってプラスに変えられるのかという逆の見方を世の中がもっともっとしないと。それはもしかしたらフェアトレードを目指している女子大生に対しても言えることかもしれなくて、コミュニティを作っていく側も貧困をプラスのものとして考えて、だからこそ君たちは頑張れるんだよ、これだけ力があるんだという目線とか接し方の中でビジネスを考えると今とは違うビジネスやコミュニティの作り方になるのかなと思います。日本の教育においてもそういうことを考えていかなければいけないのかなと思いますね。
工藤
 最近もうひとつの経済をつくるという話をすると一番興味を持ってくれる人たちの中に、教育関係者がいます。真面目に教育に取り組む人たちは、今お話しされていたことと同じ危機感を持っていて。結局日本の教育は戦後から現在に至るまで、あまりにも「白黒つけるような経済」の在り方に合った人間ばかり育ててきたと感じている方が多いようなんです。そうした考え方を変えたうえで教育というものを問い直さないと、勝ち組負け組という分断が深刻化してくる。にもかかわらず、政府の新しい学習指導要領はそれと真逆の方向を向いていて、このままいくと子どもだけでなく人間が分断された社会になると感じているんですね。この「考え方」の問題はものすごく重要で、「こうなるのがいいことなんだ」という決めつけを子どものうちから無意識の内に刷り込まれてしまうと、そこから外れることにものすごい抵抗や絶望感を抱いてしまう。それでは、「違う道に行きたい」と思っている子は道を閉ざされてしまう。
石井
 今の教育制度というのは人類みな平等の上に成り立っているんですよね。今、学習障害なんかがクローズアップされることによって人間は平等じゃないんだということが段々広まってきていますが、平等じゃないとしたらその前提の上での社会の在り方はどうなんだろうと考えているのが今の段階なんだけど、まだまだ現場レベルで実践されているかというとそうじゃない。

先日ある学校に呼ばれて、「仕事は超楽しい、仕事しかしなくていい」みたいな話をしていたらある生徒が、「うちのお父さんは帰ってきて辛そうな顔しかしてません」と、「仕事が楽しいって、なんで言えるんですか?」と聞かれたんです。今のご時勢だと残業しちゃいけないとか言われますが、でも一つの考え方が出て来ると今度は仕事をしたい人間が潰されてしまうということはあるわけです。ですから、貧困も同じ構造でどちらかに偏ったり、どちらが良い悪いということではなくて、個々の経済情況や個性も含めてポジティブに捉えるような教育をしなくてはいけない。どちらもアリなわけだからどちらに対しても肯定できて、それが自己肯定感に繋がるような教育が必要なのかと思います。
工藤
 教育関係者が危惧していることの一つは、現在の能力主義で、その「能力」というのがいわゆる成績の良し悪しで、それで分けて効率よく教育するということを、問題視しています。障害者の問題もそうですが、平等じゃないというのは裏を返すと人間誰しもハンディキャップを持っている。障害という名称で呼ばれているかどうかと関係なく得意不得意はあるのだから、逆に得意な方を活かせるような世の中をつくろうじゃないかと思えるような空気をつくり、その考え方を子どもたちに伝えていく努力をしないと、心が貧しくなってしまう。貧困が問題というよりは、世の中に漂っている「こっちが良くてこっちが悪い」という空気やそれにのみ従った制度が問題で、みんなが持っているハンディと良いところを認めよう、それが活かせるような道筋を社会の中につくっていこうよ、ということを、もっと声を大にして言っていく必要があると思います。世の中全体に、多様な関心や能力を持つ人間が力を合わせて豊かさを築くような社会のイメージを広げることが、大切だと思います。
◇取材現場から ギャング、刑務所、新興宗教

対談終了後、撮影に協力してくださったフォトジャーナリストの篠田有史氏も加わって、お二人の著書執筆の経緯や現場取材の裏話を伺った。
――石井さんの近刊『世界の産声に耳を澄ます』の中で、アフリカの“アルビノ狩り”について取材されていますが(第七話:タンザニア「アフリカの白い精霊たち」)、アルビノの子どもに対してそんな迫害があることを初めて知りました。
石井
 人身売買されて殺されたり、迷信で食べられちゃったりするんです。アフリカの田舎ってそれこそ水木しげるさんの妖怪の世界で民間の呪術や精霊信仰が盛んな土地柄で、その延長線上で西洋医学で不治の病のように言われて治りませんという宣告をされると彼らは呪術にすがる。

取材地やテーマの選定については、例えばタイであれば日本でも光通信御曹司の奇怪な事件がありましたよね。じゃあタイで代理母の取材をしてみようと決めて(第五話:タイ「子宮貸します」)、日本である程度調べて手配することもあれば、現地の知り合いに頼んで聞いておいてもらって現場に入ることもあります。工藤さんもそうだと思いますが、大体発展途上国の現場取材は何とかなるんですよね。刑務所なども実際行ってみれば所長さんが出てきてオッケーみたいなこともありますし。
工藤
 所長はいいと言ったけど、中にいるギャングが「ダメ」……みたいな(笑)。
石井
 ホンジュラスは僕も取材に行きましたが、治安が悪くて歩き回れないじゃないですか。取材中は車で移動しますが、夜は出られないからホテルにいるしなかいし。そこら中でパンパン発砲してますし、レストランにメシ喰いにいくこともできない。
工藤
 二〇一三年頃ですか? 石井さんが行かれたときと私たちが行ったときではかなり違う気がしましたね。テグシガルパでは軍警察がマラスを追いつめていってたせいか、街中でドンパチやっているというよりもスラムの奥へと追いやられている感じで。タトゥーはしてると逮捕されるので見かけないですし、している人はみんな刑務所にいる。でも刑務所の中から指示を出したり、刑務所の意味がよくわからない。
石井
 向こうは自由な刑務所ですからね(笑)。
工藤
 メキシコの刑務所はある意味、もっとすごい。

篠田 メキシコでは刑務所の中に露店が出ていて、マリアッチもどきの楽団や食堂もあって、刑務所が町みたいなんです。入所者はクリーム色の服しか着ちゃいけなくて、まるでSF映画のよう。面会の人が来ると、入所者と買い物したり食事したりする。携帯電話も使えるし、麻薬も手に入る。あれがちゃんと取材できたらおもしろいね。
石井
 酷いもんですね、むしろ保養所(笑)。
工藤
 刑務所に長くいればいるほど、ワルになる(笑)。
――『マラス』に元ギャングの牧師さんの話が出てきますが、ラテンアメリカは宗教の存在が大きいなと思いました。
工藤
 そうですね。貧しいほどキリスト、マリア様頼みというのがあるから、路上暮らしの子たちもみんなねぐらに肖像を飾っています。
石井
 アジアのスラムは多宗教の進出がすごいですね。ミャンマーは世界一の仏教大国と言われていますが、スラムなんて殆どキリスト教徒。キリスト教は助けてくれるという、それはイスラムもそうでインドネシアのスラムに行くと圧倒的にキリスト教徒が多い。ネパールやインドの場合は日本の新興宗教が進出している。もちろん人を救うのが宗教の原点で、権力を持つ強い宗教があると新しい宗教が入ってきて貧困者を救うという構造がある。アジアは顕著だなと思いますね。
工藤
 中南米にもプロテスタントの宗派が山ほどあります。どんどん中南米に来てカトリックを駆逐しているという感じです。

篠田 『マラス』に出て来る、元ギャングのアンジェロ牧師補佐も彼ともう一人で新しく教会を作って布教している。教会がたくさんあって名前が覚えきれない。
工藤
 でも通っている人にしてみれば、宗派はどうでも良くて自分を救ってくれればいい。要は人との繋がりですよね。
石井
 取材してる側は困りますけどね、みんな適当な名前言ったり覚えてなかったりして(笑)。

――『マラス』に出て来る人の中には、ギャングに家族を何人も殺されたりしている人が出てきます。そういう家族のケアや心の問題が心配です。工藤さんの新刊はメキシコ麻薬戦争のルポルタージュですね。
工藤
 『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)は、『マラス』を書く前、二〇一〇年からずっと取材して岩波書店の『世界』に連載していたもので、新刊にはギャングに家族を殺された人の話が複数出てきます。今起きていること以上に、こういう経験をした人間の一〇年後とかが一番怖い、そういう世代が国を担う年齢になったときが一番心配だと、現地の人たちは言っています。麻薬戦争に巻き込まれやすい貧困層から政治家になる人は少ないだろうし、ギャングの場合は生き残れないかもしれないですが、結局そういう環境で生まれ育った子どもたちは我々とは全く違う感覚になる。近くで人が死ぬのは当たり前で、親や近所の人の首が飛ぶのを眼の前で見たりして、それに対して何のケアもないまま大人になった彼らがどんな社会をつくるかが、気がかりです。
石井
 日本の戦後にしても同じことで、あの時代の歪みが五〇~六〇年代に終結していた。治安の悪いシリアのような国においても一〇年後くらいに荒んでしまった人たちの影響が出るかもしれない。一番問題なのはそうした人たちの荒んだ行動の影響を受けるのは一番弱い子どもだと思いますから、そこをなんとかしなくてはいけないんだろうなと思います。

この記事の中でご紹介した本
マラス 暴力に支配される少年たち/集英社
マラス 暴力に支配される少年たち
著 者:工藤 律子
出版社:集英社
以下のオンライン書店でご購入できます
マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々/岩波書店
マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々
著 者:工藤 律子
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
世界の産声に耳を澄ます/朝日新聞出版
世界の産声に耳を澄ます
著 者:石井 光太
出版社:朝日新聞出版
以下のオンライン書店でご購入できます
絶対貧困―世界リアル貧困学講義/新潮社
絶対貧困―世界リアル貧困学講義
著 者:石井 光太
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年8月4日 新聞掲載(第3201号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
石井 光太 氏の関連記事
工藤 律子 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
社会・政治 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >