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読書人紙面掲載 書評
2017年8月7日

異色の731部隊戦後史 
元隊員・二木秀雄の類稀な軌跡を中心に

「飽食した悪魔」の戦後 731部隊・二木秀雄と『政界ジープ』
著 者:加藤 哲郎
出版社:花伝社
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1932年に「満州国」が作られて以降、1945年の敗戦に至るまで、中国東北部(旧満州)に関東軍防疫給水部(のち第731部隊と改称)があって、少なくとも三千人以上の中国人らを人体実験で殺害していたということは、今日ではもはや史実と言ってよい。しかし、この歴史研究が日本ではじまったのは実に遅く、1981年に刊行されベストセラーになった作家・森村誠一の『悪魔の飽食』がきっかけとなっている。本書のタイトルにある「飽食した悪魔」という語句も、そこから採られている。

731部隊の戦後史研究も今日では拙著(『検証 人体実験』第三文明2002)を含め多数にのぼり、いまや珍しいとすら言えない。しかしながら、本書は、かつての部隊員で実際に人体実験を行っていた医師の二木秀雄という特定の個人およびそれを取り巻く関係者の戦後の足跡を追った、いわば異色の731部隊戦後史となっている。二木は金沢医科大学(現・金沢大学医学部)を卒業して細菌学教室へ入り、主任教授の推薦により731部隊へ陸軍技師として派遣されたが、そこで悪名高い結核ならびに梅毒の感染実験を指揮実行していた(二木班)。

もちろん、特定の個人だけの戦後史であるのなら、それはごく特殊な一個人史ということになり、とても普遍化することなどできない。しかしながら本書は、二木が戦後の日本で元731部隊員の同窓会(隊友会)ともいえる「精魂会」を組織し、かつて人体実験に携わった部隊員同士の相互連絡の要の役割を果たしていたことから、二木に限らない元隊員の戦後の消息を交え、さらにアメリカ占領軍との731部隊員免責交渉過程、つとに731部隊員の関わりが指摘されてきた東京・椎名町の帝銀事件(1948年)などにも触れて、広く関係者の動向を記述している。

また、本書が多くのページを割いて述べているのは、副題にもある『政界ジープ』という二木が創刊した通俗的時局雑誌の内容と、この雑誌を介しての二木による企業恐喝事件についてである。二木は戦後、故郷の金沢へ戻り、その後上京して銀座で雑誌出版社をつくる。そこから刊行されるのが『政界ジープ』で、当時の共産党系雑誌『真相』と対照的な位置にあった。前者が右派的内容をもって731部隊の存在そのものを隠蔽しようとしたのに対して、後者は逆に二木らの人体実験を暴露した(1950年4月号)。しかし、二木の雑誌を軸に企業恐喝事件が起こり、二木は有罪判決を受けて懲役三年の実刑に処せられる(「政界ジープ事件」)。彼はその後、何とイスラム教徒となり、「日本イスラム教団」を創設し自ら総裁となる。結局、彼はイスラム教徒のまま1992年に84歳で死亡する。

もちろん、二木の戦後の活動は出版社経営や恐喝事件の被告にとどまらず、やはり元731部隊の要だった内藤良一と組んだ日本ブラッドバンクという血液製剤製造会社(のちに薬害エイズ事件を引き起こす製薬企業ミドリ十字の前身)の設立、自ら院長となっての診療所開設など、本来の専門である医薬業界での活動もあった。

それにしても本書を読んで改めて驚くのは、史上稀にみる規模で人体実験を実行した731部隊が、戦後も一度として正式の解散命令を受けておらず、戦後一定の期間、元隊員には「俸給」すら配られていたという事実である。この金が一体どこから出ていたのかという問題は非常に興味深いのだが、それは本書によっても究明されていない。本書では731部隊の隠匿資金だった可能性などが言及され、その一部は二木の出版社設立資金にも転用されたのではないかとの推測が書かれているのみである。今後の歴史研究がまたれる。

いずれにしても、本書が正面から取り上げた二木という元731部隊員の医師は、他の元隊員医師らが、戦後は開業医や勤務医、それに医学部大学教員などへと転身していったのに比べ、出版業から政界企業ゴロへ、最後はイスラム教徒へと転身するという、類稀な異色の軌跡を歩んだ人物ともいえるだろう。本書が異色の731部隊戦後史となっているのも、このような人物を中心に構成して描いたことによるのかもしれない。
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2017年8月4日 新聞掲載(第3201号)
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小俣 和一郎(おまたわいちろう)精神科医・精神医学史家
精神科医・精神医学史家、1950年東京都生まれ。1974年岩手医科大学医学部卒業、同年国立医療センター(現・国立国際医療センター)内科研修医、1975年名古屋市立大学医学部大学院入学(臨床精神医学専攻)、1980年同修了(医学博士)。 1981~83年ドイツ連邦共和国給費留学生(ミュンヘン大学精神病院)。1986年医療法人財団・大富士病院(静岡県)副院長。1990年上野メンタル・クリニック(東京都)院長、2015年退職。2002~2006年東京保険医協会理事。 主要著書:『ナチスもう一つの大罪』(1995年、人文書院)、『精神医学とナチズム』(1997年、講談社)、『精神病院の起源』(1998年、太田出版)『精神病院の起源・近代篇』(2000年、太田出版)、『近代精神医学の成立』(2002年、人文書院)『ドイツ精神病理学の戦後史』(2002年、現代書館)、『検証 人体実験』(2003年、第三文明)、『精神医学の歴史』(2005年、第三文明)、『異常とは何か』(2010年、講談社)など。共著・分担執筆:『系統看護学講座・精神保健福祉』(医学書院)、『Psychiatrie im Kulturvergleich』(VWB-Verlag)、『臨床精神医学講座』(中山書店)、『精神医学文献事典』『現代精神医学事典』(弘文堂)など。 主要翻訳書:G・セレニー『人間の暗闇』(2005年、岩波書店)、W・グリージンガー『精神病の病理と治療』(共訳、2007年、東大出版会)、J・フォン・ラング『アイヒマン調書』(2009年、岩波書店)など。
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「飽食した悪魔」の戦後    731部隊・二木秀雄と『政界ジープ』/花伝社
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