【横尾 忠則】ライフ・レボリューション宣言。馬頭観音大したご利益|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
2017年8月15日

ライフ・レボリューション宣言。馬頭観音大したご利益

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神戸行きの新幹線にて(撮影・徳永明美)
2017.7.31
 退院後初の小旅行。新横浜駅で週刊誌を買おうとしたら一銭もない。ジーンズを履き替えたまま来てしまった。仕事での出張はいつもひとりだが、今回は病気上りなので徳永同伴のため、彼女に支払ってもらう。こういうことで過去何度も切り抜けて来た。

新神戸駅には美術館の田中さん、平林さんが迎えに来てくれていて、その足でそば屋へ。明日、NHKテレビの取材があるが、時間があったので美術館の三階から摩耶山を望みながらタマの絵を描く。絵を描いている時はいつも元気だ。声はまだガラガラ蛇状態。

夕食はANAホテル内の鉄板ステーキ。大好物だ。シェフのパフォーマンスを見ながらの食事は実に愉しい。

今日は長い長い一日だった。

2017.8.1
 そうか、今日から8月なんだ。ふと子供時代の夏の到来を描いた少年雑誌の表紙絵を想い出す。

迷った挙句、今日の取材を考えると充分の睡眠が必要なので睡眠導入剤を飲んだせいか熟睡。

10時から美術館でテレビの取材。現在開催中の「ワールド・ツアー」展の会場内でのトーク。番組の内容に関してはまだ公表できないそーだ。秘密にするような番組でもないと思うけどね。約3時間、撮影にかかった。蓑館長らと館内のレストランでハンバーグカレーを食べて、3時間の新幹線で帰京。車中、ツイッターのライブ。

2017.8.2
 病気にならない居住空間を想像しながら、先ずアトリエの生活環境の改善。ライフ・レボリューションと名付ける。

旅の疲れか今日のガラガラ蛇は手ごわい。ほとんど声にならない。

夕方、整体院へ。施術後、声が出るようになった。

2017.8.3
 午後、玉川病院で躰の見直しを。まだ咽が赤いが、呼吸は通常に戻った、と。

久し振りに事務所に行く。先ず喜んだのはツートンとパソコ。くっついて離れない。驚いたのは山積していた本が見事に整理されて、部屋が清潔になっていた。ライフ・レボリューション宣言の効果か。

2017.8.4
 導眠剤レスで眠れるようになった。

岡部版画工房の牧島さんが完成した版画5点を持ってきて、約3分の1の作品にサインを入れる。

わが家(ぼくのベッドルーム)に空気清浄器に続いてシニア向け新製品のクーラーが設置される。3つの居住環境が徐々に改善されていく。それにしてもクーラーがものを言うのには驚いた。難聴なので聴こえないが、何か独り言をしゃべっているらしい。

2017.8.5
 家には本が小さい書店くらいあるけれど何を読んでいいやらわからない。そんな時は何でもいい、一冊買えばそれが呼び水になる。『乱歩と正史』(内田隆三)、『半身棺桶』(山田風太郎)を買う。

磯﨑憲一郎さんは「横尾さんはいつもサッと自転車でぼくの前を走り去ります」と言うが、今日は彼がそれをぼくの目の前でやった。

わが家の隣はクリニックで今日なんかは車8台、待ち合い室は人で溢れている。皆んなが病んでいると思って安心するしかない。

夕方、整体院へ。この間、ガラガラ蛇声の時、マッサージをしてもらったら、声が出るようになったので、中二日置いて、もう一度やってもらうことにした。

夜、帰宅すると、おでんは昼頃からいないという。10時間近くも不在だったことは一度もない。事故にでも遭っていないかが心配だ。深夜に探しに行くとしてもどこへ行けばいいのか途方にくれる。徘徊老人になるにはまだおでんは若い。今頃どこにいるのか想うだけで眠れない。夜中にポーンとベッドに跳び上ってくる幻想を描きながら寝るしかない。動物のカミ様馬頭観音に祈念してみる。すると5分後の10時5分に帰ってきたではないか。大したご利益だ。

2017.8.6
 山田さんとマジョルカ島から帰ってこられたお嬢さんと増田屋と風月堂へ。ミロのアトリエと、ダリの家などの写真を見せてもらう。

フェリーニとヴィスコンティのテレビでフェリーニは、「自由でいいんだ」と独白したと山田さん。ピカソは加齢と共に「保守的になっていく」と言う。こんな単純なありふれたひと言でも彼等の口から出ると重いひと言に変る。

久し振りに古書店へ。フンデルトヴァッサーとマン・レイとアンリ・ルソーと素朴派の画集を買う。ぼくが画集を買う時は自らの創作意欲を鼓舞する時だ。言葉でいいきかせてもダメ。買うという肉体的行為を起こして初めてエンジンがかかるのである。画集を見ることと描くことは同じだ。ひとの絵を見ながら、実はその絵をそっくり頭の中でなぞっている。そう、なぞりながら時々その絵を変えていくこともある。絵を描かない時は人の絵を空想、または妄想することで創造体験ができる。

2017年8月11日 新聞掲載(第3202号)
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