反復し続ける日常の限りなく豊かな差異 ジム・ジャームッシュ「パターソン」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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映画時評
2017年8月15日

反復し続ける日常の限りなく豊かな差異 ジム・ジャームッシュ「パターソン」

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ジム・ジャームッシュの新作『パターソン』は、パターソンという街に住むパターソンという男の一週間を描く。一日目を描く冒頭の一五分だけで、映画の素晴らしさが十分に分かる。まず月曜日の朝、パターソンがアラブ系の恋人の隣で目覚め、バス運転手の仕事に出かけるまでが簡潔に描かれる。クロースアップが繰り返し挿入されるが、そのタイミングや長さが的確で完璧だ。窓から差し込む朝日も印象に残る。次に主人公が外に出ると、二つの固定ショットの後、映画は移動ショットで彼の歩行を捉え出す。この時のカメラの動きが自然だ。男の視線の切り返しで建物が示され、綺麗な朝日がその外壁を照らすのもいい。男がバスを運転し出すと、通りの眺めが移動ショットで、バスのなかが固定ショットで示され、それらの複雑で豊かな連鎖に舌を巻く。オーバーラップが通りの移動撮影の一部を飛ばすあたりから雰囲気が変わり、昼休みに運転手がベンチに座って詩を書く場面にいつの間にか移行するあたりは絶品だ。この詩の場面では、三重写しの画面にさらに詩の字幕が重なり、詩を読む彼のオフの声に、実景の川の音とBGMが重なるという凝ったショットも出て来る。だがそれ以上に注目したいのが、昼休みの場面の後、午後の仕事が一切描かれずただちに帰り道の場面が来るという大胆な省略だ。男が帰宅すると恋人との会話の場面になるが、間接照明による室内の光と影が繊細である。また、ここでもクロースアップの挿入が的確だ。ただし朝の場面と違って、主に男の視線の切り返しで挿入され、カット割りの原理が異なっている。やがて男は犬を連れて外出する。夜道の散歩が滑稽に描かれた後、彼はバーに入る。バーの前の通りですでに店内の音楽が聞こえ、ドアを開けて男が入ると音楽がわずかに大きくなるという音の処理が心地良い。店内の場面は、人物の会話や動きにあわせたカット割りが滑らかで、しかも、夜の自宅以上に凝った、間接照明による光と影が見事である。

こうした至福の描写が日曜日まで一週間続く。並外れた技巧だが、あくまでさり気なく技巧として突出していない。ドーナツ模様や水玉模様、頻出する双子、飼い犬のブルドッグといった愉快な諸要素も、こうした技巧に支えられて最大の効果をあげている。物語に起伏はないが全く退屈せず、反復し続ける日常の限りなく豊かな差異に目が眩むばかりだ。

主人公のバス運転手はそんな豊かな日常を詩に紡ぐ市井の詩人だ。彼は日常の詩人としてまず観察者である。繰り返されるバスの場面で、彼は運転をしながら、目で通りの光景を眺め耳で乗客たちの会話を聞く。彼は主人公として行為者であると同時に観察者でもある。そしてこの外界の観察は常に内省へと転調して、詩を書く描写に移っていく。豊かな日常を観察し、そこから詩を生み出すのだ。

『パターソン』は主人公の行動と観察を巧妙に組み合わせながら、物語を豊かに語る。この映画は詩を書くことについての物語を語り、またそれ自体が日常の詩でもある。永瀬正敏扮する詩人が最後に現れ、落ち込んだ主人公を救う。日本から来たこの眼鏡にスーツの詩人が素晴らしい。彼が画面に登場する際の、待ちポジをあえて用いたカット割りも完璧だ。その登場の仕方自体が詩である。

今月は他に、『ハローグッバイ』『密使と番人』『ローサは密告された』などが面白かった。また、特集上映で観た城定秀夫の『方舟の女たち』も素晴らしかった。

2017年8月11日 新聞掲載(第3202号)
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