星の子 / 今村 夏子(朝日新聞出版)信じられないくらいの独創性  観念では語れない手強い作品|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年8月14日

信じられないくらいの独創性 
観念では語れない手強い作品

星の子
著 者:今村 夏子
出版社:朝日新聞出版
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星の子(今村 夏子)朝日新聞出版
星の子
今村 夏子
朝日新聞出版
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この作家を評する言葉はもしかしたらまだ存在しないのではないだろうか。文学史に端的に表れているが、先行するのはつねに作品で、決して批評や批評理論ではない。それらは作品の跡を追う形で現れる(エリオットなどを想起されたし)。批評はそもそも対象があって為されるものなので、わざわざ指摘するようなことではないかもしれないが、最新の批評理論に則った実験的作品といったものが積極的に書かれるようになれば、実作と批評双方でまた面白い展開があるのではないだろうか。

太宰賞と三島賞を受賞した今村夏子の初の長編である本作は、〈あやしい宗教〉に統べられていく家族を子供の視点で描いた作品である。この作品を既存のものやこれまであった傾向と結びつけるのはかなり難しい。

子供が主人公、平明かつ鋭敏な文章、的確なエピソード、抜群の構成力、一風変わった主題、酷薄さ、ユーモア……これらの要素をこれだけ淡々と結びつけた日本人作家はこれまでいない。文章の平明さに惑わされるが、ちょっと信じられないくらいの独創性である。

いや日本人作家と言ったが、世界的に見ても同じことが言えるかもしれない。

小説というのはどうしても観念的になりがちである。リアリズムの小説も非リアリズムの小説も、表面下では観念が多大な力をふるっている。つまり〈あやしい宗教〉を登場させる時には、書き手のなかにある〈正常な社会〉という観念がどうしても浮き彫りになってしまう。つまり社会論のようになってしまうのだ。

しかしこの作品には正常な社会という観念はない。だから当然あやしい宗教の〈あやしい〉は存在しない、もしくはそのように見える。

存在するのは正常な誰かが、たとえば姉や友人に近い存在の「なべちゃん」が言及する時だけであって、あやしい宗教はごく普通のものとして扱われるし、あやしさもそれにたいする嫌悪も観念にはならず、生活上あるいは日常のものとして描かれる。

太宰賞の受賞作品「こちらあみ子」もそうだった。主人公のあみ子は発達障害である。しかし彼女は「発達障害の一少女」には見えない。あくまであみ子はあみ子なのである。

発達障害というのは人間の属性であって、社会では大きな意味を持つ。属性とは社会的な記号である。社会を切り離せば失くなる。つまり観念上のものだ。

観念から距離を置く筆致で書かれた小説がどれほど貴重か、ある程度小説に親しんでいるかたには明白だろう。観念が勝ちすぎると歌舞伎のようになってしまうのだ。世はそのようなもので溢れている。

しかし評する者にとっては、今村夏子の作品はかなり手強い。彼女が描くものは観念の糸で操られる人形ではない。批評するほうも観念では語れなくなる。大きな理論や既製の用語が使えなくなり、手元にあるものだけを頼りに、持ち出し覚悟で臨まなければならなくなる。

そのことは結末を読むとよく理解できるだろう。本書の結末はオープンエンドというべきスタイルをとっている。おそろしいことにどうとでも解釈できるのだ。これから良いほうに向かうか悪いほうに向かうか、読み手しだいなのである。

今村夏子という作家には間違いなく怪物的な側面がある。しかもおそらく成長する怪物だろう。

独創性に秀でていることを述べたが、海外の小説を紹介している身としては似た作品を挙げられないのは悔しいので一作だけでもあげておこう。『ワインズバーグ・オハイオ』、アメリカの作家シャーウッド・アンダーソンの短篇集である。
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2017年8月11日 新聞掲載(第3202号)
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