「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム / 岡本 勝人(左右社)「詩を読むこと」を中心に  その思想と人生を多角的に論じる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年8月14日

「詩を読むこと」を中心に 
その思想と人生を多角的に論じる

「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム
著 者:岡本 勝人
出版社:左右社
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今日、詩を読む人は少ない。しかし、「詩」というスタイルはずっと、日本の近代の精神史にとって、不可欠の随伴者だった。とりわけ、敗戦からしばらくの間は、詩が特別に重要だった時期である。アドルノは、アウシュヴィッツの後には詩を書けないと言ったが、日本では、敗戦の後に、これと逆のことが起きたからである。つまり、真に深い思索は詩作においてしかなしえなくなったからである。そのような詩のことを「戦後詩」と呼ぶ。

鮎川信夫は、その戦後詩を代表する詩人である。1920年に生まれたこの詩人は、あと数日で25歳というときに敗戦を迎えている。今日、鮎川は、田村隆一・加島祥造等とともに主催した詩誌『荒地』と結びつけられて想起されることが多い。雑誌のタイトルは、エリオットの詩の名に由来する。『荒地』は、戦前に一度始められているが、戦後が中心であり、そのときに、このタイトルは、戦後の日本社会の荒廃の喩だったに違いない。

本書は、鮎川信夫の思想と人生を多角的に論じた評論である。鮎川を「詩人」と呼んだが、彼は、詩だけを書いていたわけではない。詩論はもちろんのこと、鋭い時評的なエッセイを書き、また多数の翻訳も手がけている。本書は、詩を逸脱した鮎川のこうした側面にも目を配っているが、しかし、常に、「詩を読むこと」を中心に据えているところに、本書の特徴がある。また、鮎川の家族的な背景や詩人・文学者たちとの交流についても記述され、単純に時系列を追っているわけではないが、本書は全体として評伝としての意義をも担っている。

本書を通読すると、鮎川信夫という詩人が、日本の近代化が――戦争と敗戦の体験を含む日本の近代化が――通り抜けねばならなかった葛藤を、過剰なまでに敏感に反映しつつ考え、詩を書いていたことがよくわかる。たとえば、父との激しいエディプス的な葛藤。戦争の原因ともなったファシズムや全体主義への批判と個であることへの頑固な執着。田舎に根をもつ者の、都市へと向けられるロマンチックで叙情的な視線。

本書が特に重視している詩のひとつに「橋上の人」がある。戦前に一度書かれ、戦後に改作された長編詩である。「橋上の人よ、/美の終わりには、/方位はなかった、/花火も夢もなかった、」とあるが、やがて橋上の人は、彼方の岸の灯や幻の都会の灯を見る。そして橋上の人の内にも外にも灯がともる。「死と生の予感におののく魂のように、/そのひとつひとつが瞬いて、/そのひとつひとつが消えかかる、/橋上の人よ。」二つの岸をつなぐ橋の半ばにいるという設定が、鮎川が生きた葛藤の寓意になっている。橋上の人の内外にともった灯とは何か。私は、本書から、それは鮎川が生涯手放さなかった自由主義だと解した。

本書の中で最も心動かされる話題は、鮎川信夫と吉本隆明との交渉史である。鮎川が、吉本の詩集に感動したのがきっかけで、二人は出会う。鮎川が父を亡くしたすぐ後の1953年秋のことである。吉本は鮎川より四歳年下。二人は意気投合し、深い友情を育む。鮎川は、吉本に、父のように、兄のように接することができる唯一の人だったという。

それなのに決裂のときがくる。二人の最後の対談は1985年に行われた。吉本は、消費社会やポストモダンを積極的に肯定する姿勢を示す。鮎川は、同じ社会現象に「虚偽」を感じる。最後の対談のあと、鮎川は「吉本がなぜ私と全く対立する見解を持つに至ったかは、実のところ不明である」と書いている。戦後の間もない頃、互いに認め合い、そして共振しあっていた二人が、どうして遠く離れることになったのか。一見、吉本は時代の流行に乗ることができたが、鮎川はついていけなくなった、というように見える。しかし、オウム事件や原発事故など、その後のことを知っている今日から振り返ると、どちらが時代に適切に応答していたか、簡単には決められない。

いずれにせよ、二人の間に開いてしまったギャップにこそ、日本の近代の謎と困難が隠れているように感じる。鮎川は、吉本との決裂の一年後に、母親の後を追うようにして亡くなるのだが、本書は、もし鮎川がずっと吉本の傍にいて、父や兄のような対話者であり続けたならばどうだったか、と問う。この国の思想は、まったく別の光景を見せたに違いない。
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2017年8月11日 新聞掲載(第3202号)
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