日本文藝家協会 各都市巡回文藝イベント 第10回 【東京】  シンポジウム 漂流民から始まった対外関係  -吉村昭を再読する-|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2017年8月24日

日本文藝家協会 各都市巡回文藝イベント 第10回 【東京】 
シンポジウム 漂流民から始まった対外関係  -吉村昭を再読する-

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左から、関川夏央氏、石田千氏、フレデリック・ショット氏

海の祭礼(吉村 昭)文藝春秋
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吉村 昭
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冬の鷹(吉村 昭)新潮社
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黒船(吉村 昭)中央公論社
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アメリカ彦蔵(吉村 昭)新潮社
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真夏日となった海の日の7月17日(祝・月)、今年三月にオープンした荒川区の中央図書館「ゆいの森あらかわ」一階ゆいの森ホールで、第10回目を迎える各都市巡回文藝イベント「漂流民から始まった対外関係 吉村昭を再読する」が開催された。同館は、中央図書館、吉村昭記念文学館、子どもひろばが一体となった、すべての世代が利用できる、新しい発想の魅力ある施設として注目されている。

吉村昭記念文学館を併設する同館で語り合うテーマのテキストとして選ばれたのは、鎖国下の日本に漂流民として密入国した米国人ラナルド・マクドナルドと長崎通詞・森山栄之助を通して開国に至る日本を描き出した『海の祭礼』(文藝春秋)、「解体新書」成立の過程と杉田玄白、前野良沢の相剋を描いた『冬の鷹』(新潮社)、ペリー艦隊来航時の主席通詞・堀達之助の劇的な生涯を辿った『黒船』(中央公論新社)のほか、『アメリカ彦蔵』『大黒屋光太夫』(新潮社)といった、吉村作品の中でも幕末期における漂流民と外国語、外交交渉を描いた作品群。

パネリストとして登壇したのは、米・サンフランシスコ在住の、作家・翻訳家で漂流民を含む日米交流史研究家のフレデリック・ショット氏、作家の石田千氏のお二人。司会として日本文藝家協会常務理事で作家の関川夏央氏が進行役を務めた。一九六五年から交換留学生として日本のICU大学に留学していたショット氏は日本語も堪能で、手塚治虫作品をはじめ日本のアニメ文化を世界に紹介する研究者としても知られている。当日も日本語の受け答えで旧知の友人だという関川氏とジョークを交えながらの掛け合いが弾んだ。

実在の人物である、『海の祭礼』の主人公ラナルド・マクドナルドは、一八二四(文政七)年生まれの米国人(日本の西郷隆盛は一八二八(文政十)年生まれ)。父親はスコットランド人で毛皮の交易事業を経営するハドソン湾会社の幹部、母親はネイティヴ・アメリカンでチヌーク族の部族長の娘だった。彼の育ったオレゴン州コロンビア川ほとりのフォート・ヴァンクーヴァは様々なネイティブ・アメリカンの種族が混在する地域であった。このマクドナルドに興味を抱いたショット氏は、『NativeAmericanintheLandoftheShogun:RanaldMacDonaldandtheOpeningofJapan.(将軍の国のネイティヴ・アメリカン)』(StoneBridgePress,2003)という著書も著している。

講演は、『海の祭礼』の重要な場面を石田千氏が朗読、マクドナルドの足跡を辿る資料、写真等を手掛かりにストーリーに沿って進められた。

日本語を学びたいという向学心を持って捕鯨船に乗り込んだ米国人青年マクドナルドは、漂流民を装って鎖国下の日本の利尻島に上陸。松前藩の護送で長崎へ送られ、座敷牢に入れられる。最初に朗読された、マクドナルドと通詞の森山栄之助(後の森山多吉郎)が長崎で出会う重要な場面について、主人公にどんな感情を抱くかと関川氏に訊ねられた石田氏は、「本当に日本に来たくて話してみたくて、日本の人たちが自分を受け入れてくれるのではないかという一途な思いがあった」と答え、同じ米国人で留学経験のあるショット氏は、「自分にとってマクドナルドはヒーロー。当時彼の置かれていた状況は首が刎ねられてもおかしくない大変な状況だった。それなのにすぐに通詞の森山さんとコミュニケ―ションが取れたということに感動する」と答えた。

そしてマクドナルドは日本初の母語話者による公式のアメリカ英語の教師になる。通詞の森山以下一三人の生徒が彼から発音を聞いてカタカナで書き留めた。
「感心するのが、マクドナルドが日本語の発音を把握しようとしている努力が読み取れること。当時の日本は外国との共通認識の部分が殆どなく、そういうなかで彼は一つの言葉がどこから始まりどこで終わるのかということを一つひとつ判断していた(ショット)」。

当時は外国人に対して日本語を教えることも御法度とされていただけに考えさせられるとショット氏は語り、「もう一つ大変だったのは、英語の発音を文字で記すこと。カタカナで英語の発音を表わすのは極めて難しいことだが、長崎の通詞たちはそうせざるを得なかった」と述べた。

マクドナルドの帰国後、森山は英語の字引きの作成に着手するが、外交交渉が多忙を極め中断。その後、『黒船』の主人公・堀達之助が字引きを引き継ぎ、一八六二(文久二)年に三万五千語収録の日本初の本格的な英和辞書『英和対訳袖珍辞書(えいわたいやくしゅうちんじしょ)』が完成する。その次に刊行されたのが一八六七(慶応三)年のヘップバーン(ヘボン)と岸田吟香による『和英語林集成』と、字引きの歴史が積み重なっていく。字引きの発展には幕末の通詞が深く関わっていた。

幕末の外交記録に名を残す、長崎通詞の森山栄之助は当初からオランダ語に長けていたが、英語の発音もマクドナルドから徹底的に修正されて習得し、幕末の外交交渉には欠かせない人物となった。

日本に渡る以前のマクドナルドは学校教育を終えた後、父親の手配で銀行員の見習いになるが馴染めず、ドロップアウトして捕鯨船に乗って世界を旅する。なぜマクドナルドが放浪の旅に出たと思うかという問いかけに対してショット氏は、「マクドナルドは謎に包まれているところも多い」としながら、当時は捕鯨全盛期で面白い職業だったこと、混血社会での生い立ちや差別の問題もあって、白人社会や社会生活に馴染めなかったのかも知れないと答えた。

最後のチャプター「二人のその後」では、それぞれの晩年を描いた一節が朗読された。十五年間外交交渉の激務にあたり、小石川金剛坂上の自宅に逼塞していた森山は四〇代後半で老いが進み、痴呆のような症状まで出始める。ショット氏は、「日本の運命がかかっていたわけで、彼の肩にのしかかったプレッシャーたるや凄まじかった」と推察する。

一方のマクドナルドは日本で書き留めた「和英語彙筆稿」を終生持ち続け、一八九四年、本の出版を夢見ながらワシントン州の姪の家で亡くなる。最後の言葉は「ソイナラ(さようなら)」だった。彼の日本の回想録は、彼の死後、一九二三(大正一二)年にウィリアム・ルイスと村上直次郎の編纂によって公刊された。ショット氏は『海の祭礼』の主人公たちについて次のように語った。
「日本でもアメリカでもラナルド・マクドナルドや森山栄之助は知られていない。おそらく吉村先生は二人のことを調べているうちに、やはりこの二人はもっと知られるべきだと思ったのではないだろうか。私ももっと多くの人たちに二人のことを知ってほしいと今でも思っている」。

関川氏は、「吉村先生は歴史の裂け目に落ち込んでしまった人、もっと評価されるべき人に光を当てたい、そういう思いが強い方だと思う。その意味ではショットさんも同じ」と述べた。

その後の茶話会では、大勢のファンや関係者が参加して、作家三人を囲んで会話を愉しんだ。

(おわり)
2017年8月18日 新聞掲載(第3203号)
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