伝説・神話研究 / フェルディナン・ド・ソシュール (月曜社)ソシュールとは何者だったのか?  私たち自身に突きつけられた問題――「歴史と伝説」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年8月21日

ソシュールとは何者だったのか? 
私たち自身に突きつけられた問題――「歴史と伝説」

伝説・神話研究
著 者:フェルディナン・ド・ソシュール
翻訳者:金澤 忠信
出版社:月曜社
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ソシュールとは何者だったのか?――金澤忠信氏による二冊の労作を読んで、改めてそんな問いが浮かんだ。

まずは『伝説・神話研究』と題された訳書を開いてみよう。二〇〇三年に刊行された『レルヌ』誌「ソシュール」特集号に収録された手稿のうち四篇を収録したものだ。四篇に直接のつながりはないが、いずれも貴重な資料であることは間違いない。二篇目の「身体の始原空、語の場」はアナグラム研究のテクストで、同じ金澤氏によって二〇〇六年に邦訳が刊行されたジャン・スタロバンスキー『ソシュールのアナグラム』(一九七一年)を補完するものである。のちに見る著書でも訳書のあとがきでも触れているように、金澤氏は「第一のソシュール」から「第五のソシュール」まで五人のソシュールを区別している。その分類に従って言えば、スタロバンスキーの訳書と今回の二冊によって、日本の読者は「第三のソシュール」から「第五のソシュール」をようやく本格的に知ることができるようになった。この功績は幾度も強調したい。

一八五七年に生を享けたフェルディナン・ド・ソシュールは、のちに記された回想録に従うなら「十二歳か十三歳」の頃に言語学との出会いを果たした。その後、古典ギリシア語の学習を始め、一八七四年夏には言語の一般体系を追求する論文を執筆、翌年秋にはジュネーヴ大学に入学している。訳書の四篇目「ポリティキュスの冒険」は大学入学前後に書かれたもので、ソシュール自身による挿画から成る絵物語である。すでに言語に憑かれていた一七歳の少年がこのような内面世界を生きていたことが私には興味深い。ここにいる少年は五人のソシュールのどれにもあてはまらないが、そのいずれにも感じられる孤独な姿があるように思えてならない。

大学に入学したソシュールは、翌一八七六年秋にはライプツィヒに留学する。かの地で書かれた書簡のアンソロジーが訳書の三篇目「ライプツィヒからの手紙」である。はからずも当時のライプツィヒは言語学を刷新しようとしていた「青年文法学派」の牙城でもあり、彼らの主張に接した少年は自身の見解の先駆性を確信した。そうして、わずか二年後に『インド=ヨーロッパ祖語における母音の原初体系に関する覚え書き』を発表し、「第一のソシュール」(印欧歴史比較言語学)が確立される。一八八〇年二月に博士号を取得した少年はフランスの都に向かった。パリ高等研究院で一年の学生生活を送ったあと、同院の教壇に立つ。順風満帆な日々が訪れたかに見えるソシュールには、しかし「第一のソシュール」に対する疑念が生まれた。教師生活が一〇年を迎えた一八九一年秋、栄誉ある地位を捨ててまで故郷のジュネーヴ大学に就任したのは、そのことと無関係ではないはずだ。事実、この時期を境に「沈黙」に入っている。その裏側で「第二のソシュール」(一般言語学)の格闘が始まった。

ジュネーヴ帰還直後から着手された「書物」を書くという企ては、およそ一〇年にわたって断続的に続けられる。それさえ実現されれば「第二のソシュール」は完成され、放棄されてよいはずだった。しかし、この企ては破綻する。書物の企てが破綻した直後に開始された地名研究は、やがて伝説・神話研究に姿を変えた。その手稿の一部が訳書の冒頭に置かれた「北欧の伝説と説話」であり、「第四のソシュール」にあたるものだ。そして、一九〇六年から約三年にわたって行われたのが「第三のソシュール」にあたるアナグラム研究であり、これと重なるようにしてジュネーヴ大学から打診され、三回にわたって行われたのが「一般言語学」講義(一九〇七―一一年)――のちに二人の弟子の手で『一般言語学講義』(一九一六年)という書物になる講義――だった。
ここで、もう一冊の『ソシュールの政治的言説』に目を転じてみる。この著作で描き出されているのは、一八九四年から九六年頃に「政治的言説」を生み出していた「第五のソシュール」である。未公刊・未公開のものも含めたメモや書簡下書きを紹介しつつ、背景の綿密な調査によってその意味を明らかにしていく本書は、従来のソシュール像からは想像できなかった姿を提示している。とりわけ冒頭で取り上げられる一八九四年末頃の書簡下書きが反ユダヤ主義の急先鋒エドゥアール・ドリュモンに宛てられているという事実はショッキングだ。

翌一八九五年九月以降にはアルメニア人虐殺をめぐって新聞記者に手紙を書こうとしている痕跡が認められるほか(七一頁以下)、九六年一月頃にはイギリスの政策について『タン』紙の論説委員に宛てた質問状をしたためている(三〇頁以下)。つまり、ソシュールはただ私的に「政治的言説」を抱いただけでなく、それを新聞や雑誌に発信しようとしていた。そして、本書はドレフュス事件をめぐるソシュールの手稿を分析し、冒頭で触れたドリュモン宛の書簡を書いた頃には反ユダヤ的、つまりは反ドレフュス派だったソシュールがドレフュス派に転向していったさまを明らかにしていく。その上で金澤氏が下す評価は「ソシュールには『真実』があって『正義』がない。結論を言えば、ソシュールの政治思想は、情緒、正義、人道主義など、道徳的価値を徹底的に排除したところから出発している」(九八頁)というものだ。そのような政治思想を抱いていたソシュールが「あくまで新聞というメディアと手紙を通じて歴史的事件に関わろうとしている」(七九頁)こと、「ジャーナリストに宛てて手紙を書く際にはおそらくつねに偽名・匿名を使っていた」(一一八頁)ことが合わせて指摘される。

このとき、私は訳書で紹介されていた「第四のソシュール」が気にかかってくる。「北欧の伝説と説話」に収録された手稿は、冒頭でこう記している。「伝説と歴史のあいだに完全な一致を想定しようとする者などいまい。特定の一群の出来事が伝説を生み出したという、この上なく確実な証拠があったとしてもだ」(一九頁)。ある出来事が起きる。それを目撃した者がいる。その人は自分が見たことを人に語る。それは語り継がれていくうちに変化をこうむる。そして、「歴史」を語っていたはずの語りは、いつしか「伝説」や「神話」と呼ばれるようになる。――こんなふうに説明されて違和感を覚えない者に対して手稿は言う。「『歴史と伝説』を、『真実と虚構』として対立させることに由来する大きな誤解。この区別は、歴史的批判にとっては適切であり、それが歴史的批判の高邁なる義務である。この区別は、詩的伝説の起源の研究にとっては、結局意味のないものである」(二七頁)。

ここには金澤氏が使っていた「真実」という語が現れている。ソシュールは新聞や雑誌を通して政治的事件について考えをめぐらし、「政治的言説」を紡いだ。それが「歴史的批判」であるかぎり、「真実と虚構」の区別には意味がある。その「政治的言説」は後世に残された。今やそれをも含めたさまざまな手稿を読んで、人はソシュール像を作り上げることができる。だが、金澤氏が五人のソシュールを区別しているように、容易に唯一の像には収斂しない。人間にはさまざまな面があり、表も裏もあると言うのはたやすいし、ソシュールの言語思想と政治思想には関係がないと言うことも、それらにつながりを見出すこともできるだろう。だが、そこで問題になっているのは「歴史的批判」だろうか。さまざまな人物について「詩的伝説」が作り上げられてきたことを私たちはよく知っているのではないか。そのとき、ソシュールが放った「歴史と伝説」という問題は、この二冊の書物を手にする私たち自身に突きつけられている。

ソシュールとは何者だったのか?――答えなどない。あるのはいつも問いだけだ。


2017年8月18日 新聞掲載(第3203号)
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