手描きジャワ更紗Reisia代表・藤井礼子さん(下)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年8月29日

手描きジャワ更紗Reisia代表・藤井礼子さん(下)

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ジャワ更紗が生まれる村は、ジャカルタから遠く、最も近いところでも車で6時間ほどかかる。

くり返し通ううちに、職人によって仕上がりが違うこともわかるようになっていった。「一九九八年だったでしょうか。当時はバテッィクが売れなくなっていました。インドネシアは社会保障のない国なので、仕事がなくなると稼げるところに移ってしまう。腕のいい人がどんどん辞めて行くのを、とても残念なことだと思っていました」

そのうちに、親しくなった工房のオーナーに話をして、藤井さん自身が布の柄をデザインするという、次のステップへ踏み出す。まだ帯地にするという発想はなく、あくまで洋服の生地としてであったが、帰国した折に洋服に仕立てて着ていると、それが、とあるテーラーのオーナーの目に留まった。「日本では更紗というとコットンのイメージが強いのですが、私が着ていたのはシルクのバティックでした。着心地がよくて軽くて。あなたのシルクを、洋服のインナーとして使いたいと言われたんです」

これが初めてのビジネスだった。インドネシアに移り住んで四年がたっていたが、量産できないため、取引条件をはっきり決めずにいた。「中途半端なことをしましたね。ジャワ更紗は本来色止めの工程がないんです。私の生地を帯に仕立てる人が現れましたが、汗など掻いたら着物に帯の色が移ってしまう。帯地にするのはやめてほしいと頼んでも、聞き入れてもらえなくて」

それから藤井さんは、ジャワ更紗の色止めを徹底して研究する。

帯幅の布地に手描きすることは、ジャワの職人にとっては未知の経験だった。さらに滑らかな平布ではなく、野蚕や麻も素材とした。人がやらないこと、ジャワ更紗というインドネシアの伝統的な手仕事に、日本の帯地というトラディショナルを重ねるという発想。工房の人たちの抵抗に遭うのは覚悟の上だったが、やはりなかなか受け入れてもらえなかった。「もう、ダメかなと諦めかけていた時に、ジャワから段ボールが届きました。試し織りでしたが、これならいける!と」。インドネシアに暮らして十年がたっていた。

色止めの問題も何とかクリアし、出来上がった帯地を六反持って帰国した。「展示会のオーナーからは“いいのができたじゃない?”と声がかかった」が、果たして?

「午前十一時から午後一時の間に五本売れたんです。本当に驚きました!」

小さいころから人と同じものを着たり、持ったりするのがとても嫌だったという藤井さん。「そんな私を母は叱らずに、言うとおりに作ってくれたりいろいろと工夫してくれたり。今も私は工房のスタッフにイメージを伝えて、それを形にしてもらっている。やっていることは小さいころと全く同じです」

今ではジャワ島の北の海岸線沿いの村に二つの工房を持ち、二十八人の職人を雇っている。社会保障のない国で、お金を稼げなかったら、すぐに生き死にに関わってくる。去年の秋は十人の職人を雇い入れた。去年は八〇本の帯を製作し、今年は一〇〇本を目指している。
ジャワ更紗をフレームに入れて


藤井さんは海外五か国に暮らし、十年以上住んだインドネシアを一番近しい国、好きな国だと感じている。「インドネシアにいた時間は本当にいろいろな経験をしました。今一緒に働いているインドネシアの人たちが、本当に更紗で生きていけるようになってほしい。仮に私がいなくなっても、日本とインドネシアが更紗を通じて、ずっと繋がっていられるように。日本の着物雑誌や本にレイシアの帯が写っていたりすると、みんなすごく喜ぶんです。日本というアジア最先端の国。そのトラディショナルな衣装の中に自分たちが作ったものが使われていることの喜び。だから、誇りをもって仕事をしてほしいんです」

子供を産んでお母さんになりたかった藤井さんの夢は、海を越え、別の現実となって今、大きな役割を果たしている。(おわり)

2017年8月25日 新聞掲載(第3204号)
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