松木秀「5メートルほどの果てしなさ」(2005) 平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年8月29日

平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪
松木秀「5メートルほどの果てしなさ」(2005)

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郊外という空間をここまで端的に表現してみせた歌はそうそうないと思う。都心部に通うサラリーマンの家庭しかない地域なので、働き盛りの年齢層の男性が平日の昼間に堂々と散歩をすることは許されないのだ。この価値観は、たくさんのものを排除する。平日休みのサービス業。時間を自由に使えるフリーランスや自営業。主夫。失業者。長い休暇中の人。闘病中の人。いくらでも挙げられるし、都会はもちろん自営業の多い農村地帯でも、これらのいずれかに当てはまる男性は無数にいる(作者も実際にこの中に当てはまるといっていいだろう)。ただ、郊外だけが「妻がいて、都心部に通勤する、土日は休みの、核家族のサラリーマン」という特定のライフスタイルのみを正しいものとみなして、それ以外を排除するのだ。この歌の作者は北海道在住だが、このような空気感を持った郊外空間は、日本中どこにでも均質的に存在していることだろう。

しかし、特定のライフスタイルを押し付けられることに対してただ怨嗟をぶつけるのではなく、少し自嘲気味のユーモアにくるんでいる。それがこの歌を読みやすくしてくれている。起伏のない淡々としたリズムが続く最後にぽんと「罪」という重い言葉が置かれる構成も、のらりくらりと散歩をした後に公園のベンチにでもどかっと座ってひと休みをしたかのようなイメージを描きやすい。たとえご近所の陰口の対象になっても、この調子なら大丈夫そうですね。

2017年8月25日 新聞掲載(第3204号)
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